【随想】成年後見制度を考える#5−面談のプロセス(5/6)

 裁判所の事務官は、さきほど提出された申立書類をわずかな時間でしっかりと読み込み、的確な質問をわたしに投げかけた。わたしが申立人として適当な人物であるか否か、そして、後見人として適切な人物か否かについて。わたしも、いくつかの質問については、それに対する答えが有利に働くか、または不利に働くか、およその計算ができないものではなかったが、誠実な事務官の質問に包み隠すことなく、誠実に回答することこそがつとめであると思い、わが家の事情を有利・不利にかかわりなく丁寧に説明した。
 一般に、身内が後見人になることは、被後見人が死亡した後、親族間での相続争いとなる原因であるので、第三者が選任されることが多いという(特に弁護士などが多い都市部においては)。また、後見人が遠方に居住する場合も選任にあたってはネガティブに働くことが多い。本人の財産等を遠方にいてきちんと管理できるのかという点について懸念があるからである。しばしば、後見人に選任された弁護士が、選任後まったく本人に会いに来ないで報酬だけを受け取っているとの批判はよく耳にするところである。
 わたしの場合、これらの2つの要素が選任にあたっての懸念材料だった。しかも、後見人の選任は、裁判官の職権によって行われ、その決定に対する不服は認められない。事務官からはその点、幾度も注意を喚起された。
 ひととおりの質問を終えたあと、最後に事務官から、「たいへん失礼ながら……」とおもむろに差し出されたのは、10問程度の試験問題(クイズ)である。この段階になると、わたしの職業は事務官の知るところであり、このような試験でわたしを試すことに事務官としては躊躇があったのだろう。しかし、ルールである。わたしは、「専門ではありませんので、お気遣いなく」といい、さっそく問題を解き始めた。日常的に起こりうる問題に対する判断を試す問題で、制度の趣旨が適切に理解されているかを問う問題であった。
 答え合わせは、ディスカッションのかたちをとった。おおよそ理解しているとの評価をいただいたが、やや制度趣旨を厳格に捉えすぎていますねと指摘された。やや慎重にすぎたであろうか(2019年7月5日記)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?