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個人的に選ぶアビスパ以外の試合ベスト15 15〜12位

(これは昨年、Jリーグが中断していた期間にインスタグラムで細々と書いていたものに、加筆修正を加えたものです。)


2021年1月現在、欧州のリーグ戦は行われていますが、Jリーグも日本代表の試合も行われていない時期のためこういった企画もアリなのかな、と。

ルールは生中継で観た試合で、アラサーの自分がしっかり覚えているもののみ。
ほとんどが、アビスパと同じ程好きな日本代表絡み(男子・女子含む)の試合となっていることはご了承ください。
今回は15〜12位までです。

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第15位「ジョホールバルの歓喜」

日本代表にとって、W杯という舞台が未知の場所だった1997年。
掴みかけた出場権をラストプレーでの失点で失ったドーハの悲劇から4年。今度こそ初出場を!という期待のなか加茂ジャパンは、フランスW杯の最終予選に挑みました。

しかし勝ち切れない試合が続き加茂監督は更迭。ヘッドコーチであった岡田武史氏が監督に就任することに。

その後も厳しい試合が続いたものの、なんとか第3代表決定戦へと進出。そしてマレーシアのジョホールバルにて、出場権を賭けイランと運命の決戦に挑んだのです。

中山雅史のゴールで先制するも逆転されてしまい、途中出場の城彰二のヘッドでなんとか追い付くという紙一重の展開。2-2のまま、勝負の行方は延長戦に託されました。

この頃はゴールデンゴール方式のため、延長でどちらかがゴールを決めた瞬間に試合終了、という一瞬たりとも気が抜けない状況でした。

そんななか延長開始と共にピッチに立ったのが、野人と呼ばれスピードには絶対の自信を持つ岡野雅行。
なんと、この試合が最終予選初出場。岡田監督の大胆な采配でした。

イランの攻撃をしのぎつつ岡野にボールを集めますが、岡野はGKと一対一のシーンでパスを選択してしまうなど何度もチャンスを逃してしまいます。

それでも延長後半13分。中田英寿のシュートをGKが弾き、そこへ走り込んだのが岡野雅行。
スライディングシュートがネットを揺らし、この瞬間日本はついにW杯初出場を決めたのでした。

この当時はまだ子供でしたが、まさに一瞬も目を離せない試合でずっとドキドキしていたことを覚えています。

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第14位「2012年強化試合フランス戦」


2012年10月12日。11年前には0-5と大敗(サンドニの悲劇と呼ばれる試合)しているアウェーの地で、ザックジャパンは一度も勝ったことのないフランスに挑みました。

試合は前半から地力で上回るフランスのペースで進むものの、GK川島永嗣のビッグセーブもあり0-0で推移します。

後半になると日本も徐々に、長友の突破を軸にチャンスを生み出せるように。

そして迎えた後半42分。フランスのCKを弾き返すと、こぼれたボールは今野のもとに。前方には広大なスペース。今野は怒涛のドリブルで前に前に運んでいきます。

フランスは後ろの枚数が足りず、ズルズル下がる形に。さらに湧き出してくるかのように後ろから駆け上がってくるのは、日本の選手達。

そして長い距離を持ち上がった今野は右の長友にパス。これにGKが釣られた所を長友はダイレクトで中央に折り返し、駆け上がった香川が無人のゴールへ蹴り込み念願の先制点を奪ったのです。

個人的にとても印象に残っているのはこの後。歓喜の輪ができている日本の選手達とは対照的に、見るからに屈強なフランスの選手達が膝に手をついて完全に肩で息をしていたのです。
そしてこのまま終わり、1-0で初めてフランスに勝利した試合となりました。

もちろんあくまでも強化試合で、全体的には押される展開だったため手放しに褒められる試合ではなかったとは思っています。

ただ、完全なるアウェーの地で、しのぎながら時間の経過と共に試合のペースを戻していき、偶然ではなく人もスペースも上手く使ったカウンターを炸裂させたこと。
これらの事実は、間違いなく日本サッカーが成長しているということを示してくれました。

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第13位「2002年日韓W杯ロシア戦」

2002年6月9日。この日は、日本代表がW杯で初めて勝利した日です。

1998年フランスW杯に初めて出場したものの3試合で1度も勝利できず。日本代表は未勝利のまま、自国開催のW杯を迎えることとなりました。

過去の開催国はすべてグループリーグを突破して決勝トーナメントへと進出しているというジンクスを継続すべく、初戦のベルギー戦に挑んだものの惜しくも引き分け。

これにより、グループリーグ突破は2戦目のロシア戦の結果に大きく委ねられることになりました。
この一戦もトルシエジャパンの代名詞であるフラット3を継続するも、ベルギー戦で怪我をしたCB森岡隆三に代えてCB宮本恒靖がスタメン入りしています。

0-0のまま経過する試合が動いたのは後半6分でした。
柳沢敦のワンタッチでの落としを受けた稲本潤一が冷静に右足でシュート。

このゴールで先制すると、ややDFラインを下げた守備でしっかりとロシアの攻撃を防ぎきり、1-0でW杯初勝利を収めました。

これでグループ首位に立った日本は、3戦目のチュニジア戦にも2-0で勝利し見事、グループリーグ突破を果たしたのです。

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第12位「2011年女子W杯ドイツ戦」

東日本大震災が起こり、日本中が悲しみにくれた2011年。

その想いも胸にW杯ドイツ大会へ向かったなでしこジャパンだったものの、開幕時はあまり注目度は高くありませんでした。個人的には開幕戦から全試合生中継で観たので非常に思い出深いものになっていますが。

佐々木監督率いるチームはしっかりグループリーグを突破し、決勝トーナメント1回戦(準々決勝)で、開催国でありW杯2連覇中でもあったドイツと激突します。

日本にとってドイツは1度も勝ったことのない国であり、しかも完全アウェー。大方の予想通りに難しい試合にはなりましたが、身体を張りに張った懸命な守備で0-0で粘り続けます。

試合はそのまま延長戦へ。
そして延長後半3分でした。この大会、圧倒的という言葉でも足りないほどの存在感を放っていた澤穂希から途中出場の丸山桂里奈にボールが出ると、角度のない中で放ったシュートは逆サイドのサイドネットを居抜きました。

この1点を守り抜き、1-0で準決勝進出。そして初めてドイツに勝利したのです。


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