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大学を休学することにしました。

私は今年度から大学4年生になるはずだったけれど、一旦大学を休学することにしました。多分長くなるけどその経緯を残しておきたい。


1.就活

就活休学を考え始めたのは大3の夏。サマーインターンに向けて周りが動き出して、大学からも自己分析やESをするように言われたけれど、私はどうも歩き出せなかった。「めんどくさいからやりたくない」じゃなくて、「進めない…」みたいな感覚。何を目標に歩けばいいのか分からない、というのが多分「進めない」っていう感覚の正体。でも進まないと…!と思って就活の目的を考えたり、人に聞いたりしていたら…

自己分析やESは何のために? → 働くため
働くのは何のために? → 生きるため
何のために生きる? → ???

という壮大な問いにぶつかってしまった。自分にとって重要な問いである気がしたし、何のために生きるかを明確にしてから進みたい。周りの同期はとりあえず就活しながらこういうことを考えてたんだと思うけど、私にはそんな器用なことはできない…💦でもそんなこと考えてる間にサマーインターンの期限はどんどん迫ってくるし…時間がないから一旦自分の感情に蓋をして、何個かインターンにエントリーして参加した。でも頭で考えていることと行動がちぐはぐだから体調を崩しちゃったりもして…

一般的なレールから外れることに不安もあって、当時は決断でできずにいたけれど、自分の体と心のために一度立ち止まりたい、というのが本心だったように思う。

2.プレーパークでの実習

夏休み、就活と同時に進めていたのは社会教育士の資格を取るためのプレーパークでの実習。ここでの経験、とても大きかった!

「遊んであげるじゃなくて遊ぶ」

これはプレーワーカーさんから教えてもらったこと。でも私にはとても難しかった。子どもがやりたいことをくみ取って、一緒に“遊んであげる”はできるけど、子どもと遊ぶ…?実習を重ねてもやっぱり難しくて、プレーワーカーさんに相談したら、「素の自分を出すことだよ」と教えてもらった。素の自分……って何だろう……

私は、「何が好きなの?」という質問が苦手。でも「どうすべきだと思う?」という質問はけっこう得意。素の自分は多分、「何が好きなの?」の領域。私の苦手なやつだ…と思った。でも周りには、好きーー!!という気持ちだけで無邪気に遊んでいる子どもたちがいて、その子たちのおかげで、私もだんだん自分の気持ちに気付けるようになった。

私の場合、自分の”好き”より先に”嫌い”に気づいた。
私は争いが嫌。取っ組み合いごっことかはあんまりだったし、勝敗がはっきりつくような遊びにも気乗りしなかった。
始めは、子どもの遊びにはなんでも付き合っていたけれど、自分の気持ちに自覚的になってからは、自分の希望を言うようになった。例えばPK対決の途中で取っ組み合いごっこが始まったら「私ぬーけっぴ!」と言ってみたりした。自分勝手かな…と発言を躊躇したし、嫌われるかもと思ったけど、意外にもその後、子どもたちと私の間に生まれたのは”対話”だった。

子ども「なんで抜けるの~?」
  私「取っ組み合いごっこ好きじゃないんだよ~」
子ども「え、じゃあどうすれば一緒に遊んでくれる?」
  私「PK対決の続きしたいなあ」
子ども「えーでも飽きた」
  私(あ、取っ組み合いごっこがしたくなったんじゃなくてPK対決に飽きてたんだ…)「じゃあ今度ニュールールで、ゴールの幅広くしてみる?」
子ども「…」
   「それならキーパーが二人必要かも!!」
  私「えー!それ楽しそうじゃない?!」

という感じで、結局(私含めて)みんなが納得して楽しくPK対決を続けることができた。私にとってこれはとても感動的なできごとだった。自分の思ったことをぶつけてもけんかにならない…。こうやって気持ちを表に出していいんだ!という感動。それ以降、気づけば自分の素を出せるようになっていたし、子どもたちとの関係も対等になった。(対等になったことで容赦なく水を掛けられたり、鬼ごっこでめっちゃ追いかけられたりするようにもなったけど笑)

「遊んであげるじゃない、遊ぶ」という感覚がなんとなく分かったような気がした。実習を経て、子どもがありのままでいられる場づくりを支えたいと思うようになった。また同時にそういう場で私も救われたいと思った。

3.学校の意義を問い直す授業

秋から大学の講義が始まって、プレーパークに魅力を感じた私は教育学科の授業を取った。一つ目は学校の意義を問い直すような授業。今まで、学校は絶対!と思っていたけれど、プレーパークで子どもが思いのままに遊んでいる様子を見てから、考えが変わった。学校には校則があり、先生がいて、生徒を評価する。果たしてそんな環境の中で、子どもはありのままでいられるのかな…

この授業は、学校の意義について問い直す場だったけど、私にとっては自分を問い直す場だった。私は今まで学校で、比較的優等生?的な立ち位置で、それが正しいと思っていた。でもそれって正しかったのかな…。先生の目を気にして、迷った時は評価される方を選択していたように思う。100%自分のやりたいように行動したこと、あったっけ。

私の軸は学校や評価だった。だから授業で学校の在り方が否定されるたびに、今まで私が学校で積み重ねてきた努力や我慢まで否定されて、私の存在そのものが根元から崩れるような感覚になった。学校でけっこう頑張ったつもりだったけど、ベクトルが違ったのかな…

私は物事を比較的平和に、ポジティブに捉えられる方だと思っていたけれど、この時ばかりはけっこう絶望した。お先真っ暗…。

いろいろ考えて、結局、自分の軸で生きよう!と思うようになった。学校や社会の正解ではなく、自分にとっての正解で生きていきたい。自分の”好き”も”ありのまま”も分からない私に、自分の正解なんて今は全く分からないけど、それを見つけるために頑張りたい。評価のために頑張るんじゃなくて。

4.哲学対話

もう一つ、秋に取った授業で自分に影響を与えたのは、哲学対話の授業。人と話すのは得意ではないから、対話と聞いてとても不安だったけれど、意外と話せた。びっくり。対話では自分の思ったことをありのまま言っても否定されない。とても安心できる場だった。秋はwell-being・自己肯定感・居場所について特によく考えていた時期で、どの問いに対しても答えは出なかったけど、少なくとも哲学対話の場には居場所感を感じたし素の自分でいられた。

休学決意!

こんな感じの経緯で今、休学を決断するに至っている。
書いてみて、、、経緯、ぼんやりしてるなぁ。笑
でも一旦立ち止まりたいという自分の感覚信じてやってみる!
社会の目より自分の感覚を優先して休学の決断ができたことがすでに第一歩!だと思いたい。

関心は明確。居場所づくり・地域コミュニティ、well-being・自己肯定感。
各地の居場所や地域コミュニティに滞在して、自分の体で体感してくる!
あとは「あんた本当は何したいの?」って自分に問う!
放っておいても何かと考えちゃう性分なので、思考<行動でやってみます!



大学のみんな、直接伝えられなくてごめん!
対面で話す勇気が出なくて、話さないままずるずる来てしまった。
これからはもっとオープンに話したい。
学年ちがっちゃうけど、よかったらこれからもよろしくお願いします!


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