大きくて、もっちりとした餃子

1から餃子を作った。

餃子の皮だけ買って、餡を包んで焼くとかじゃなく、皮から作った。

理由は思いつき。なんとなくやってみたかったし、何より餃子が食べたかった。

流石に餃子の皮を失敗しては元も子もないから、皮を作るための粉の種類だとか、粉の量に対してどれくらいの水がいるのかをざっくり調べ、薄力粉と強力粉を買いに行き、足早に帰宅し作業に移った。

大きめのボウルを軽量器の上に載せ、薄力粉と強力粉が1:1になるようにボウルへと移していく。

2つの粉をボウルへ移し、粉同士を軽く混ぜたら、水を少しずつ入れながら混ぜていく。

最初は粉っぽい部分が多く、水が足りないかと疑ったが、だんだんまとまりが出てきて、生地っぽい仕上がりになってきた。

まとまりは出てきたが、ダマになっている部分が多く、しっくりこない。
おまけに粘りも強くてなんかコレジャナイ感。

考えても仕方ないから、とりあえずボウルからまな板の上に取り出し、押し潰しながら広げるようにこねる。

すると、だんだんとダマと粘り気が少なくなったイメージ通りの生地が出来上がった。

出来上がった生地を細かく切り分け、それぞれを薄く伸ばし、餃子の皮にしていく。

職人のように全て同じ形で、とはいかず、なかなか不揃いだったが不器用な自分らしくていい。

餃子を作るまでの過程の大半は終わったと言ってもいい。
餡を作るのに必要なのは好きな挽肉、にら、キャベツ、塩胡椒だけでいい。
あとは入れてたいものを自分なりに入れればいい。
分量なんていらない。人生は目分量だ。

餃子の皮を作るために必要な粉を調べていたことは置いといて、餡を皮に包んでいく。

今回の餃子は「大きくて、もっちりした餃子」がテーマだから、1つ1つがそれなりに大きいため、包む作業自体にさほど時間はかからなかった。

餃子が包み終わり、焼く作業に入る。

ごま油をフライパンへ引き、餃子に焼き目を軽くつけたら蒸す。
この時間が料理の中で1番じれったい時間だが、今回は特に気にならなかった。

焼き上がった餃子を皿に移した。

自分がイメージした通りの焼き色と並びに少しだけ感動した。

餃子の食べ方には迷いはなかった。
何もつけずに何個か食べたあと、ポン酢でいただく。
これが自分なりのこだわり。流儀とも言えるかもしれない。

通常の皮とは違い、少し分厚めでもっちりとした皮を噛むと溢れ出る肉汁のコンビネーションは格別だった。

この感覚は何度味わっても気持ちがいい。
この感覚にままに勢いよく食べるもんだから、あっという間になくなってしまった。

自分で作った料理で満足したのは久々かもしれない。

料理が好きとは言っても、主にスイーツしか作ってこなかったから、普段の食事のような位置付けの料理は実はあまり得意ではない。

だが実際、そんなことどうでもよかった。
「1から理想の餃子を作って食べる」ということに意味があった。

皮を粉のから皮を作ることから始め、それをこねて形にしていく。

普段やることのないことをすることに意味があった。

スイーツを作る時は、「このスイーツが食べたいから作る」というよりかは、「作ってみたいから作る」という感覚に近くて、自分ではない誰かに向けて作ることが多かった。

しかし、今回は全ての工程や、それを介してできるものまでの全てが自分自身のためだけのものだったから、これまでにはない、満たされていく感覚が確かにあった。

普段の生活というか、考え方とか全てに他人にどうみられているんだろうか、違う考え方はないだろうかと、必要以上に考える癖があるから、つい自分のことを蔑ろにしてしまう。

不器用で、うまく言葉にできなかったり、考えすぎてがんじがらめになってしまう自分も悪くないんじゃないか。

餃子を食べながら飲もうと思ったビールを買い忘れたのもまた、自分らしいなと思いながら残った最後の餃子を食べた。





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