クオリアの問題を抜きにしても、あなたの「赤い」とあの人の「赤い」は違うかもしれない。

※この記事では、諸般の事情により色が正確に表現されていない部分があることをご容赦されたい。

たとえば、こんな色があったとする。

あなたが「この色をもっと赤い色にして欲しい」と言ったとしよう。

すると、ある人はこんな色を持ってくるかもしれない。

一方、別のある人はこんな色を持ってくるかもしれない。

両者は最初の色からそれぞれ逆向きに変化していて、似ても似つかない色なのだが、どういうわけかこういうことが起こり得るそうだ。

どうして二人は「赤い」を逆方向へ捉えたのか。クオリアの問題ではない。クオリアの問題は、色名と解釈した色の間のズレとなって現れることはない。ここには明確に、「赤い」という言葉をどういった文脈で解釈したか、という違いがある。

前者の色は、所謂純色の赤である。それは我々の日々使うコンピュータディスプレイで色を現すのによく用いられるRGB値でもって、例えばR=255, G=0, B=0といった具合に表現される。最初の色はその表現で言えばR=255, G=0, B=64だった。つまり一人目の人にとって、「赤い」とは、赤でないBの要素を取り除き、純粋なRに近づくことだった。

後者の色は、同様に表現するならばR=255, G=0, B=255である。一人目の人が見たらあまりの「赤くない」度合い、あるいは「青さ」に腰を抜かすだろう。ただ、この色というのは所謂マゼンタであって、CMYKの4色の判で色を作る印刷物の世界では、C=0%, M=100%, Y=0%, K=0%と表現される純色のマゼンタなのである(実際にはRGB表示のディスプレイ用に変換されているので正確な純色ではないが)。最初の色はおおよそC=0%, M=96%, Y=63%, K=0%程度らしいので、後者の色を持ってきた人はここからYを抜いて、純粋なMに近づくことを「赤い」としていたのだ。この人にとってみれば、前者の色は「黄色い」ということになる。

もちろんこれらは一部の例であって、画面上の色を扱う人がすべて前者とは限らないし、印刷物の色を扱う人がすべて後者とも限らない。そればかりか、これらのどちらとも違う色、例えば朱色や、もっと濃い赤をこそ「赤い」と考える人も大勢いるだろう。

文脈や文化の違いは、当たり前のように思っているところにでも、些細なところにでも、いくらでもある。「赤い」という、それ以上分解しようがないように見える言葉やアイデアでも、実際には様々な「赤い」がある。まったくもって、意思疎通とは難しいものである。

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