オホーツクのアナウンサーの日記(2024年5月8日)

北海道の東側、道東のオホーツク海側でアナウンサーをしている、伊藤ゆりかです。東京の50分の1の人数が、東京の5倍の面積に住んでいるという「隣人までの距離が遠い」この地域で、「アナウンサー」を名乗って生きています。

きょうから、とりあえず毎日ここに何かを書き残そうと思い立ちました。
5行でも3行でも1行でもいいから何か書けばいい、という自己中心的な決まりとともに。5行でも……の中に、冒頭の自己紹介は含みません。これは定型文です。しつこく毎日入れます。

5月8日 水曜日 雨 雪 寒い
私を表すキャッチコピーがあった方がいい。この前、ある理由からふと思った。アナウンサーと名乗らなければ私が何者かを説明できない。だが、名乗ったら名乗ったで、「高尚な職業の人」とか「お高く留まっている人」とか「軽率にお願いできる仕事なんてない」とか思われているのではないかと考えた(私の実像を知っている人は、私がお高く留まっていないことなどをよく知っているだろうが)。
この「田舎」で、あえて「アナウンサー」を名乗って生きることは、案外それなりの覚悟をもって選択したことではある。誰もがなれる職業ではない。でも、誰もが名乗れる職業でもある。替わりはいくらでもいる職業でもあったりする。ここで生きているアナウンサー。ここにいるアナウンサー。この地域の仕事だけをするアナウンサー、ではないが、この地域にいてできる仕事は札幌でも東京でもやりたいアナウンサー。私のやれることは。やりたいことは。考えれば考えるほど深みにはまった。
ふと、10年ほど前に業界の先輩から言われた一言を思い出した。その人とは、私が20代後半のころ年に何度か仕事をご一緒し、それはそれはいろいろと教えてくださった。あるとき、私が体験リポートをする映像を見ながら、その人は言った。「山内さん(旧姓)は、近所の姉ちゃんキャラでいけばいいんじゃない?」。映像の中の当時の私が、およそ公共放送のリポーターらしからぬ口調と態度だったのだろう。それから10年、もうすぐ私は37歳。こっぱずかしいにもほどがあるが、この言葉は、いまの私に改めて気付きを与えてくれた言葉であることは間違いなかった。
「姉ちゃん」キャラ、で、いくかいかないかは別として、「このオホーツクという田舎で生きていくアナウンサー」としてのキャッチコピーというか、あり方のようなものを表せそうなことばは見つかった。
私は「あなたの隣のアナウンサー」です。

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