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無印良品という看板を自ら外し、自分の名前で生きていく<清水屋商店・清水洋平さんインタビュー>

誰がやっても同じ仕事から自分だけの仕事を追い求めて 清水屋商店・清水洋平さん

<Iam>の井坂です。今回取材させて頂いたのは、2021年2月に㈱良品計画を退社された清水洋平さんです。
清水さんは、無印良品がスタートさせた書籍販売部門、MUJI BOOKSをゼロから立ち上げ、コンセプト、選書、企画・運営をこなし、プロジェクトリーダーとして活躍されていました。そして現在、清水屋商店というご実家の屋号を引き継ぎ、新たなる挑戦に挑もうとしています。

清水さんとは、銀座店で書籍イベントのご提案をいただいたのがきっかけとなりいくつか仕事をご一緒させて頂きました。そして突然の退職メール。
当時「残念」と同時に正直「無印を辞めるなんてもったいないなぁ」とも思いました。

その後しばらくして私たちの所属する部署でWEBメディア<Iam>を立ち上げることが決まりました。
コンセプトは”肩書なき私”。<Iam>が求める人物像は肩書でなく、「私個人」として働き・稼ぎ・生きる人。
その時「あ!」と清水さんを思い浮かべました。
優良企業というステイタスやブランドという肩書を自ら外し、個人として生きて行く。清水さんはまさしく<Iam>な人です。

40半ばにして、日本中誰もが知っている優良企業の看板を自ら外し、裸一貫で生きていく覚悟を決めた清水さんにお話しを伺いました。


自分の仕事の整合性が取れなくなってきたことへのジレンマ

2021年2月まで約6年間MUJI BOOKSのプロジェクトリーダーとしてコンセプトをゼロから立ち上げ、選書をはじめ出店からイベントの企画などMUJI BOOKS運営のあらゆることをやってきました。

無印良品が本を扱う意義は、店内の品揃えバリエーションが増やせるということはもちろんですが、無印良品が提案する「くらし」のヒントや発見を提案することです。具体的には本を置くことでお客さんが立ち止まり、手に取った本から想起して何かに繋げていくというものです。
そのためにはまずはお店を増やしてMUJIBOOKSを認知させていく必要がありました。
現在まで日本国内に約50店舗にコーナーを設置しました。無印良品は国内に約500店舗なので10分の1ぐらいのお店に入っています。1年に10店舗ぐらいの出店ペースでしたので、ならすと月1店舗くらいのスピード。本の選書と発注、什器レイアウト、棚詰めも自分たちでやっていたので、すべての業務を(自分を含めて)2名のスタッフで回していました。お店を増やすことにとてもやりがいを感じていたし、一店舗一店舗それぞれに愛着も沸きます。

でも店舗を増やすスピードや規模が広がっていくにつれて、本来掲げたコンセプトと自分のやっている仕事に整合性が取れなくなっていると感じるようになりました。
開店準備は1から10まで全部1人でやるので、1店舗作るのにとても時間がかかります。さらに地域に根差した選書をしていくと思い入れも入るし、愛着がでるのと同時にもっと良くしたいという欲が出てくるんです。でも業務が立て込んで、それがなかなか出来ない。
コンセプトの中に「本のある暮らし」というものがあって、丁寧に時間をかけて本を選んだり、出店後もその地域や特性に応じて、編集し直したりすることが必要だと考えていました。
しかしピーク時は1店舗立ち上げた後、1週間後に別の店舗の立ち上げ業務が控えていて、並行して準備をしなければいけないことも多々ありました。
店舗数も増え、作っては終わり作っては終わりっていう流れ作業で仕事を回していく必要が出てきて、次第に本の選書もパターン化していくことが求められるようになってきました。
そういう状況になっていくにつれて、自分がやっていくことって大量生産に向かっていて、本来考えていた本とはこうあるべきという理想からどんどんかけ離れていってしまいそうで、何となく虚しさを感じていました。
こういうことを来年再来年も繰り返すのかと考えた時に、先が見えなくなってしまったんです。

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会社の中での仕事を続けて、果たして65歳の自分は胸を張れるのか?

今年で45歳。人生80年とすればちょうど折り返し地点で。定年後のことを考えた時に、このスピード感で仕事していると、仕事以外の人間関係を築くことも難しいし、定年後に友達と言えるような人がいないんじゃないかと不安がよぎりました。それって何だか張合いがないし、自分自身に胸を張れるようなことが残るのだろうかと疑問もわきました。

会社員って割り振られた仕事をこなしていく側面がどうしてもあり、本当の意味でのプロフェッショナルとは違うような感覚が自分の中にあるんです。
だからサラリーマンとして65歳になった時に、自分にはこれが出来るって言えるものがあるのかなと思ったら、何もないような気がして、なんだか怖くなりました。
もちろんMUJI BOOKSも専門的なスキルが必要なので、ないことはないんです。でも結局それは会社の中でのプロジェクトであって、プロとしてというよりも担当としてというニュアンスが強く、自分がやった仕事だって言い切れないだろうと感じていました。

相手が見たのは自分ではなく看板だった

それにMUJI BOOKSの仕事をしている中で、ちょっとハードルの高そうな企業とか、プロフェッショナルなことをされている方にアプローチすることが幾度もあったんですけど、やっぱりこの無印良品の名刺を持っていると、誰もが扉も開けてくれました。これはすごく助けられたことなんですが、自分はあの名刺を“どこでもドア”だと思っていました。
誰かに会うたびに名刺を交換するわけですが、ふと、もしこの名刺がない状態で同じ企画書を持って行ったとしたら、結果はどうだったんだろうという純粋な疑問も湧いてきて。

最初はちょっとした思いつきくらいでしたが、そのうちにその疑問でモヤモヤすることが増えてきて、だんだん答えを知りたくなってくる。どうやったらその答えがわかるのかといえば、その名刺を捨てることしか思いつかない。そしたら独立しかないなと思ったんです。裸一貫になったときに、自分ひとりでやっていけるのかっていうのを試すことで、そこをはっきりさせたいっていう欲が出てきた。

会社を辞めたいと思い始めた時、もちろん肩書きがなくなることに対する恐さはありましたけど、辞めて独立してみたらどうなるんだろ?という好奇心というか興味のほうが強くて、ちょっと楽観的な感じもありました。

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代替えの効く組織の強みが、自分の個を見失わせる

MUJI BOOKSに従事する前はずっと店長をやっていました。
無印良品では国内に500人くらいの店長がいると思います。全従業員が17000人もいるので店長になるのは大変ですが、店長といえども500分の1の存在。そしてチェーンオペレーションとして誰が入れ替わっても成立する組織力が無印良品の強みでもあります。
自分もその一人としてその役割を果たそうと働いていました。でも一方で自我があるので、やっぱり自分らしさを求めていくようなところはありました。だから社内では少し変わり者と思われていたのではないかと思います。

業務上定期的に店舗異動がありました。店長が変わればやっぱりお店も変わるもので、自分の築いてきたものが徐々に薄れていくのが目に見えてわかる。そこに虚しさも感じるわけです。
また小売りの世界って1年単位で計画することが多く、たとえば、営業面では春は引っ越し、夏は長期休暇、秋は味覚、冬はボーナスとパターンがあって、それをひたすら繰り返すんです。パターンが見えているので、極論を言えば目をつむってもできちゃう。これをあと何年繰り返すんだろうと数えるとゾッとすることがありました。もしかすると、自分はマンネリをすごく恐れているのかもしれません。

そういうところからも、自分は会社に属する組織人としてフィットできていないという思いをずっとどこかで感じていました。
それがどこから来ているのかを紐解いていくと、幼少期の体験や、家庭環境があったのかなと思います。

<後編に続く>



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清水洋平さんプロフィール
2000年アルバイトとして㈱良品計画に入社。店長を経て、2015年にMUJI BOOKS事業の立ち上げに携わる。以降プロジェクトリーダーとして選書・売場企画・プロジェクト企画を行う。2021年独立し、さまざまな形で本のある暮らしをプロデュースしていく清水屋商店を立ち上げる。


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