私の経験は私だけのもの | 2024/02/05
朝、目を覚ましたら涙のようなものを流していた。夜見た夢が怖すぎて、涙を流しながら朝を迎えたのだと思う。本当に夢のなかで怖い夢を見てた。
たくさんの人が不本意な形で命を落とす夢で、私はずっと逃げ続けている夢だった。しっかりと映像が残っていて不安になったからパッと携帯を取り、見た夢について心を落ち着かせるために調べてみる。
【 他の人が大量に殺されていく夢 意味 】
まとまらない言葉をなんとか。
目をこすりながら調べてみたけれど、検索キーに入れている自分の手は少し震えていた。本当に怖かったのだろう。
夢占いの検索結果がたくさん出てくる。こういう時の占いって、人の心を少しばかりでもあるけど落ち着かせていくものになるんだろうな。
一体これはなんの暗示なのだろうか。占いのページに書かれている結果であったら、本当に困るのだけれども違和感が確信に変わるような映像が脳裏に浮かぶ自分もいて「違う違う、落ち着け落ち着け」と言い聞かせている自分がいる。
色々と思いもよらないところで、断捨離や手放す時期が始まっていくのだろうか。ちょっと怖い。
最近は、何か心に引っ掛かるような出来事が多い。ある程度は対処できることがほとんどだけれども、どうしても根幹に触れることがあると固まってしまうし、平穏を保てる私がすこし平穏を保てなくなる。
私の経験がもつマイナスな面も、プラスに働く面も。全部全部私だけのもの。他人の誰かがそれを元に、私をジャッジするべきじゃないし、私もジャッジされるべき事柄じゃないはず。
時に他人はその経験を元に私自身を「良い」とか「悪い」とか「きつい」とかで判断しようとする。顔の見えない誰かのために「このように言えるようになると、本当に良いよね」とかシナリオを書いてこようとする人もいる。
でも、それをしていいのは世界中のなかでたった1人。私だけであるはず。
昔、苦しかった家庭環境や、家族環境のことを聞いた人が軽い筆致のような書き振りを表現したような口調で「いつか、許せるようになると良いよね」と言われた時、本当に衝撃を受けた。衝撃に近い怒りだったのかもしれない。
その衝撃冷めやらぬという状態がいまだに続いている。
なんで、なんで … と。
今の私は、子どもたちに関わるにはちょっと遠い存在ではあるけれど、いまの仕事に就いてから色々な感情の揺らぎや、自分の苦しいところに触れながらも、見える景色が変わってきているのは確かにある。
私の持つ、私しかない経験に対して無責任に手を入れ脚色をつけようとしたり、その人が描く理想の人物像になれるようにするために、臨界線を超えて私に求めてこようとする人は、なんでこんなにもたくさんいるのだろう。
もう疑問ばっかり。
苦しいなあ。
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