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【評価を捨てる】

自分がわからなくなったら
それはサインだ。

魂が伝えている。
もう、重すぎると。

何が重いのか?

目に見えず
知らず知らずのうちに
身にまとってきたもの。

あれがいい
これがいい
これからはこうだ
それはもう古い

これは誰の言葉か?

世の中には正解がないって言ってたじゃないか
なぜそれを身にまとっているのか。

みんな違っていいって言ってたじゃないか。
なぜそれを身にまとっているのか。

自分の言葉はどこにある?
魂は何と言っている?

それが聞こえないのなら
もう本を読むことも
ネットで情報を探すことも
やめた方がいい

誰かの言葉に
耳を傾けるのではなく
自分の言葉に
耳を傾けるのだ。

身にまとっている
誰かの評価を
一つ一つ脱ぎ捨てる。

それは怖いかもしれない。
なぜならそれで
自分を守っているつもりだったから。

しかし、本当に守られているのなら
自分が見えなくなるなんてことはない。

それは守られているのではなく
同化することで忍んでいる。

みんな違っていいって言ってたじゃないか。

本当にそう思うのか。
あるいは
みんなと同じがいいのか。

誰かのために我慢すると思っているのなら
いますぐその我慢という考えを捨てた方がいい。

誰も我慢してもらいたいと思っていない。
自分が我慢する方が良いと思っているだけだ。

ただ、我慢と辛抱は違う。

我慢は我を抑えることだ。

辛抱は辛さに耐えることだ。

自分の魂の声が聞こえないのが
我慢だ。

自分の魂の声が聞こえるのが
辛抱だ。

我慢して得た評価と
辛抱して得た評価は違う。

我慢して得た評価は捨て
魂の声で邁進する時に出逢う痛みは辛抱する。
それが魂をより強くする。

我慢をするな。
辛抱せよ。

そのうち辛抱もが
人生を豊かにしていると
楽しめるようになる。

人生は、そこまで厳しくない。












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