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「今」を楽しむためには「今以外」も必要らしい

前にこんな記事を書いた

「今」を楽しみたいから細かい計画は立てられない。「今」にフォーカスを当てるには、先を見すぎない方がいい。

そうやって思ってたのに、今は先が見えないがゆえに「今」を楽しむことすらできなくなってしまった。この先起こることが不安すぎて、好きだったはずのことも100%で楽しめなくなってきた。

楽しみたいのに、楽しめない。

心を覆う黒いものが大きくなって、毎日明け方に目が覚めてはがっかりする。明日がくるのが怖いし、時間が溶けるように過ぎていくことに不安を感じるけれど、時間が早く過ぎているってことは実は自分は楽しめているのかもしれない、と思うときもあるし、できるだけそう思うようにしている。

実際、楽しむことはできている。それが100%じゃないだけで。

人生における目標は、「常に今が一番楽しい」と思って生きることだけど、今もそう思って生きることができているし、「過去に戻りたい」とか「あの頃は良かったなぁ」なんて思うことも、幸福なことに人生で一度もない。

もともとそんなに過去に執着がないし、過去は今の自分を形成しているひとつの要素くらいにしか思っていない。でも、過去は「今」を楽しむための要素にもなる。今自分が持っているもの、経験とか、積み上げたものに対する自信とか、過去が作ってきた、そういうものが「今」を楽しむための材料にはなっている。

それと同じで、「未来」も「今」を楽しむための要素にもなるんだろうなぁと最近思う。今取り組んでいることが自分の今後にどんな影響を与えるのか、今後どうしていくのかというある程度の見通しが立っていないと出口のないトンネルを長いこと歩いている気分になる。自分で自覚しているくらいには真面目で心配性なので、計画なしの行き当たりばったりは大きな不安が伴う。でも同時に、それなりに好奇心は旺盛なので、そんな計画性のなさに憧れる。もっと大胆に先を見すぎないで、不安を感じないでいろいろやってみたいとも思う。

常に「今」を楽しみたい。でも楽しむために自分が必要だと思う要素は積み上げていかなきゃならない。それは「過去」にあって、振り返って気づくものかもしれないし、「未来」にあって、計画を立てて少しずつ進んでいくことかもしれない。

いろいろ書いたけど、不安になりすぎたり、焦りすぎたりしないことが「今」を楽しみたい私に一番必要なのかもしれないなぁとも思ったり。

歩みは遅いけれど、ゆっくりだからこそ見える景色だったり、気がつくことができる幸せもあるから。

やっぱり「今」を楽しみたい。でも「今」を楽しむために「今以外」も「今以外の自分」も、もう少し大切にしてみようと思う。


書いては消してを繰り返して、3週間ぶりにやっと書けた。
30以上の下書きはまだ全部書き途中。。。

想いを言葉にするのって難しい。

でも簡単じゃないからこそ、楽しい。


今日も読んでくださって、ありがとうございます!♡



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