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『太平記 (下)』亀田俊和訳、光文社古典新訳文庫

 亀田訳『太平記』の下巻は後醍醐天皇が吉野で南朝を開くものの、楠木正行らが師直に撃ち取られ、北朝の軍事的優位が確定し、武士の狼藉、幕府内の分裂が進む第三部。足利直義は横暴な武士の代表格である高師直を失脚に追い込むが、逆に逃げ込んだ尊氏邸を御所巻きにされることなどを経て観応の擾乱が勃発するという第四部。尊氏の死後、義詮が二大将軍となるが、管領たちの争いは続き、細川賴之が三代義満を補佐することで太平の世となって完結する第五部が収録されています。

 佐々木道誉は第三部では妙法院を焼き討ちするような狼藉を働き、五部でも細川清氏を讒言で滅ぼすなど大活躍。楠木一族は正成、正行、正儀と一部から三部まで通奏低音のように存在し、最終的には正儀が両朝合一に動くわけですが、道誉は武士たちの狼藉が目立ってきた第三部からの影の主役というか、トリックスターのような存在なのかな、と感じました。

 また、五部の清氏の反乱あたりから、それまでの何十万騎というオーバーな表現が、五百騎、七百騎と常識的な数に減ってリアリティが増すと同時に、文章表現も上品になっていくんですが、亀田先生の想定する太平記工房(p.383)は最後まで機能して、新しい才能を獲得していったんでしょうか。

 ぼくの学生時代を含めて『太平記』の評価は、右翼が好むイデオロギッシュで観念的な歴史書というのが一般的だったと思います。また、その圧倒的な分量を前に読むことなどは考えられませんでしたが、中世研究の第一人者である亀田先生がセレクトした90話の現代語訳を読むことによって鎌倉幕府の滅亡、足利幕府の誕生、南北朝の分裂が引き起こした観応の擾乱を経ての安定という大きな『太平記』の流れを一応「読んだ気」にさせてもらい、本当に感謝です。

 あと、二点だけ。

 個々の物語に関しては興味深いエピソードが多く、ぜひ読んでいただきたいのですが、上巻で《稚児は紅、下濃の鎧、僧兵は黒糸の鎧を全員着て、稚児は皆紅梅の造花を一枚ずつ兜の正面に差し、楯から身を乗り出して政府軍の先頭を進軍していた》(p.247)と書かれた尊氏の愛する美少年集団の花一揆がどんな活躍をするのか楽しみだったのが、ようやく下巻にお目当ての箇所を発見しました。

《三番に、饗庭命鶴丸が先頭に立って花一揆およそ六千騎が進撃した。新田武蔵守はこれを見て、「花一揆を倒すためには、児玉党がよいだろう。旗の団扇で風を煽いで、花を散らせ」と言って、児玉党七千騎あまりを差し向けた。花一揆は全員若武者だったので、深い思慮もなく敵にかかって一戦しようとしたところ、児玉党に揉みくちゃにされ、一度もやり返せずにパッと退いた。その他の一揆は攻めるときは一つにまとまって攻め、退くときは左右へパッと分かれて新手に交代したので、後方の軍勢はあわてずに攻めることができた。しかし花一揆の戦い方は稚拙で、後方の将軍の陣のど真ん中へ退いたので、新手はこれに邪魔されて進むことができず、敵は勢いに乗じて勝鬨の声を上げながら攻め立てて追いかけてきた。
将軍が「こうなってはかなわない。少し退いて、一気に押し返そう」と言い終わるや否や、配下のおよそ一〇万騎は後ろも振り返らずに一目散に退却した。新田武蔵守義宗は旗の前に進み、「尊氏は、日本にとっては朝敵である。私にとっては親の敵だ。今、尊氏の首を取って我が陣の門にさらさなければ、いつそれができようか」と述べた》(p.191)。花一揆、激弱でしたw

 もう一点は清貧思想の貧しさ。

 人類史のこの100年以前は、多くの人は農耕でしか生きていけなかったわけですから、その方面の倫理ばかりが蓄積されて、資本主義というか金融が世界を覆った後の倫理観というか、カネにまつわる酸いも甘いもかみ分けた考え方みたいなのは、宗教も扱えなかったし、文学もあまり言及してこられなかったというか、太平記でも、清貧思想ぐらいしか提示できなかったんだな、と改めて思いました。


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