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『「むなしさ」の味わい方』きたやまおさむ、岩波新書

 きたやまおさむさんは、本人は嫌がるでしょうが、なんていうか、時代の良心として日本の社会に寄り添ってきてくれた、みたい印象があります。吉本隆明さんが全集の推薦文として《北山修さんは、二度目には真摯な精神の治癒についての実践的な研究者として、凛々とした切口をもった著書をたずさえてわたしたちのまえにあらわれた。心のどこかでいい変身のマジックをみている気がする》と書いていますが、まあ、その通りだな、と。

 きたやまさんは、吉本さんにも影響を受けていると思っていますが、吉本隆明さんは『母型論』の中で《たとえばひと昔まえの日本の習俗では、うぶ声がたしかめられたあと、出産した胎児は母親の傍らに寝かされて乳首を吸うことをおぼえ、すぐに授乳され、それからあと添寝のまま数日から数週のあいだ授乳がつづけられる。母親が出産のあと体調が回復して動きまわれるまでのあいだ、終日、母と子の添寝の授乳はつづくことになる。これは出産の習俗としては一方の極の典型になるほど重要なやり方だといっていい。巨大な<母>の像が子にとって形成されるからだ》と書いています。こうしたビックマザーが日本社会の基礎をつくっているという問題意識などは、特に共通していると感じます。

 その上で、こんなクリアカットな説明は初めて本書で読みました。伝統的な精神分析では、自他が未分化の時に母親を失うことによって自分自身も失ってしまったような大きな喪失を喪失1として、その段階にとどまり、そこに拘泥してしまっている状態を精神病とする、と。その後、母親が自分のものだけの存在ではなかったことを知った段階で母親を失い、見果てぬ夢にすがりついている状態を喪失2として、そこに拘泥している状態をボーダーラインとする、と。さらに、父親を得た段階での喪失3に拘泥している状態を神経症ととらえる、と。しかし《こうした分類はわかりやすいので、喪失について考えるうえで、私たちの理解を助けてきたのですが、現代社会では、こうした分類が一概に当てはまらない場合が増えています。新たに「発達障害」という概念が登場したり、精神病の軽症化も起こって、はっきりとした「精神病」、はっきりとした「神経症」というふうに分けられないことに私の関心は向かうのです》(p.96)。

 鴨居玲さんについて《彼ほど「なむしさ」を自画像として描き出した作家はいないと考えています》(p.29)あたりも納得的。ぼくも大好きな画家でOld Women (B)の魔女のようなお婆さんが実在の人物だったことには驚いたことを思い出します(写真)。言葉が蝶になって飛んでいってしまうような作品について《鴨居玲の作品に学べば、この目の前の状況こそ、本来的にはむなしいと気づくはずです。でも、相手の反応を再現なく引き出すことで、表面的に「むなしさ」が感じられないようにふるまっている。しかし、それもわざとらしく感じられると、ますます意味がなくなる。それが、「むなしさ」をめぐる現代社会の状況ではないでしょうか》というあたりは、とても良いところんですけど、この35頁の「相手の反応を再現なく引き出す」は「相手の反応を際限なく引き出す」ではないでしょうかね…。ま、いいんですが。

 「あとがき」で《自己分析を踏まえ、日本語・日本文化や現代社会を見据えながら書いた》としていますが、
・「チ」という日本語の音は血、乳、父、くち、いのち、だいちなど親密で生々しいつながりを連想させる(p.59)
・日本語では「心」も「裏」もともに「うら」という同じ語源から発生していて、それは「うら寂しい」という表現にもみられる。精神分析でも、人は現実世界と心の中の現実という二つの世界を生きていると考える。これは表と裏の現実だと言い換えることができる(p.53)
 あたりは、なるほどな、と。

 エディプス王は多面性を備えたスフィンクスという化け物を退治できたのに、自分の后が母親であったという二面性を見抜けなかった悲劇だという簡潔な説明もいいな、と(p.117)。

 これまでの著作にも触れられている話も多いなと感じたのですが、心には「沼」があるという解説と説明は読み応えがありました(p.133-)。そこは湿っていて異臭もするけど、そこに様々ものを投げ込んでしまうことで、人間は生きていける、みたいな。遠藤周作の『沈黙』について触れているところも印象的。『沈黙』で日本にキリスト教が根付かないのは、沼があるからだと主人公フェレイラに語らせる言葉は「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根は腐り始める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」というものですが、きたやまさんは逆に日本人は罪の意識を沼に沈めることができるからサバイバルできているんだと評価してるわけです。

 最後に、きたやまさんの他の著作で印象に残っている言葉を引用します。

《「妄想分裂」とは、世界をきれいで良いものと、怖くて悪いものとまったくの二分法でとらえている状態で、現実はそういうことはありえないので妄想的なのだ》(『ふりかえったら風3』北山修、みすず書房、p.44)

《「われわれは別れていく、これから二度と会えない、どこかでお目にかかれるかわからない終わり方になりますね」というようなことを語り合う終わり方ってものすごく価値の高いものだと思う》(『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』きたやまおさむ、よしもとばなな、朝日出版社、p.81)

《幼い息子を甘やかしながら育てている母親が、同時に父親とも付き合い性的関係を持ち、どちらの側でも「寝ている」ので、裏表のある関係を持っている》ことに裏切られた、という感情を抱くようになります(『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』きたやまおさむ、NHK出版新書、p.135)

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