『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書

 12月4日、黄色いベスト運動の抗議デモの広がりを受けてマクロン政権は燃料税増税の棚上げや最低賃金を月額100ユーロ引き上げることなどを発表しましたが、フランスの為政者は民衆蜂起に弱いな、と改めて思いました。ルイ16世以来の伝統なのかな、と思ったんですが、もっと根源的な問題として、安全保障としてドイツと組んだEUから抜けられないから、ハイパーインフレにトラウマを持つドイツが求める緊縮的な経済政策というEUのコルセットを外せないという問題があるかな、と。だから財政出動という庶民に優しい政策も取れず、基本的には抜本的な対策を先送りし、目新しい政治家が現れて改革を進めようとすると庶民が暴動を起こして引っ込めさせるということを繰り返してきたのかな、と。

 経済成長の続いた「栄光の30年」の後は1995年の「ジュッペ・プラン(社会保障制度改革)」反対運動、2006年の社会保障制度改革や初期雇用契約法反対運動、2018年の黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)とほぼ10年ごとに庶民が大暴れして、政府が政策を撤回することが続いています。

 財政出動も出来ず、年金制度改革なども先送りされ、失業率も高止まりしているという経済情勢の中、政治は経済改革を諦め、ポピュリズムに走らざるを得ないのかもしれません。重層的な非決定といいますか。

 それにしても《エコロジー運動をはじめとする新しい社会運動は基本、フランスでは、基本的に左翼に分類されている。ただし、それは、アイデンティティ・ポリティクスに土台を置く点を、国民戦線と共有する。その意味で、両者は、経済成長と近代化が完了した時代に登場して広まった新しい思想潮流の体現者として、コインの表と裏をなしているのかもしれない》という指摘に膝を打ちました(p.122)。

 といいますか、このまとめはエコロジーや文化的多元主義のみを声高に叫ぶような左翼的アイデンティティ・ポリティクスに対する批判として、過不足なく問題点を指摘していて痛快です。

 アイデンティティ・ポリティクスはアイデンティティも所詮は幻想ということを忘れて上から目線で啓蒙しようとしていることが最大の欠点だと思うのですが、自分たちが信じている幻想を元に社会正義を語る欺瞞性が綺麗に批判されている感じ。

 さらには、どうせ実現できない「庶民にやさしい経済政策」の代わりに「文化的多元主義」という阿片を勧めている感じもして、マルクスも「そうじゃない」と草場の陰で泣いているんじゃないでしょうか。

 小田中先生も「『フランス現代史』を書きおえて」の中で、社会的リベラリズムは《経済的困窮に苦しむ民衆層には届かない。彼らは、緊縮政策に反対する「左翼の左翼」か、経済的困窮の原因を「統合欧州」や「移民」に求める「極右」を支持》しているとブログで書かれていますが、結局、有権者のボリュームゾーンは庶民ということで、アイデンティティ・ポリティクスで勝負する限り、普通の人々の嫌悪感をうまくすくい取ったトランプなどに今後も敗れていくんじゃないでしょうか。

 いわゆるリベラル・レフトは文化的多元主義というコルセットを外せない限り、庶民との対話も難しいし、強迫観念のように「社会的差異」にこだわれば、ますます大衆との距離は拡大していきそうです。彼らがトランプや安倍政権の反文化的多元主義的側面の問題ばかりに言及するのは、実は自分たちが無謬だというエスノセントリズム(自民族中心主義、自文化中心主義)的なバイアスがかかっていることにさえ気付いていないのかもしれない、と愕然としながら読み終えました。

 あと、人々が社会的ルールさえ守って自由に行動して豊かになればいいという自由主義者サルコジでさえも、《重要な輸出産業である自動車産業を保護するためには、積極的に介入することをためらわなかった》というんですから、今回の日産問題はどれほど重要かということも改めてわかります(p.191)。とはいっても、直近のブルームバーグでは筆頭株主であるフランス政府とルノーは会長職の後任人事について検討を開始した、とのことで、こうした問題も少しずつですが前進していくのかな、と。

『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書

 いきなり、序章からいいんです。一人当たりのGDP、平均寿命、スーパーの品揃えや雰囲気、高齢化など日仏は似ている、と。しかし失業率や難民受入数はフランスが高い、と。米英とともに日本のモデルだったフランスは問題点の先行者であり、しかも深く重層的な分裂を抱えている、と。

 戦後のフランスは当初、中間層からエリートを支持基盤とする保守層(ドゴール含む)と庶民を支持基盤とする左翼が対立する構図でしたが、その萌芽は戦時中にあった、みたいな話しは総動員体制が戦後の経済成長を準備したという日本と似ているな、とも感じました。仏でも第二次対戦前に国主体の経済の組織化を求める声が支配層に広がっており、ヴィシー政権もテクノクラートが経営者と「組織委員会」をつくったほどです。また、反独派も労働者のアクセス権といった語を用いつつ、CNR綱領で計画経済を提唱。戦後もその流れをくむCNRが主導したというんですが、これは戦前の新官僚が社会保障制度なども完備した総動員体制をつくり、戦後は岸信介など政治家としてもリードした、という構造に似ていると感じました(p.27-)。

 戦後、CNRは生産材の生産に資金と資源を優先的に割り当てるなど《同時期の日本と同じく、一種の傾斜生産方式が採用》したのですが、投資資金を捻出する体力はフランスになく、最後に救ったのは米のマーシャルプランという顛末も似ている。消費財の供給不足でインフレも惹起したなんてあたりも日本と同じだな、と(p.32)。

 ここらへんで『官僚病の起源』岸田秀、新書館、1997を思い出しました。それは、フランスが実は独裁者が好き、というあたり。その原因は200万人が死んだのに、実のところ、あまり成果らしい成果がなかったフランス革命に対する自信のなさとか。

 日本と違うなと感じたのは、バンリュー(郊外)の集合住宅の失敗。日本で団地は憧れをもって迎えられましたが、フランスでは不評で、メンテナンスも不十分となり、1973年以降、大規模団地の建設は禁止されます(p.80)。やが荒廃したバンリューでは若者が警官と衝突するように事態にもなり、《貧しい失業者としてゲットーに隔離された》(p.135)、と。ブールの行進やスカーフ事件などにも言及されますが、個人的にはこうした郊外の団地からティガナ、ジダン、アンリ、アネルカ、デサイーなどのサッカーの代表選手が出てきたことに触れてほしかったかな、と。一時にせよ「フランスの多民族の共存の象徴」と賞賛されたわけですから。

 1950年代に新中間層は社会的上昇の可能性が、小農民、職人、商人には下降の恐怖が広がるんですが、そうしたことを背景に文具店主プジャードは「商人・職人防衛連合」をつくり税務署、商工会議所、スーパーマーケットへ破壊活動などを展開。56年の選挙では50議席以上を獲得。その中でルペンも当選して政界デビューしたということまでは知りませんでした(p.56-)。ルペン一族は根っからの庶民派といいますか、庶民向きの顔を持っていたんですね。

 普仏戦争に敗れたフランス国民のナショナリズムを満足させるために獲得された植民地は1960年代に独立し、第五共和制で発足した「フランス共同体」は名目上の存在となり、脱植民地化が進められます。フランスは植民地帝国ではなく統合欧州の盟主を選択した、というあたりも知りませんでした(p.68)。だから、古くからの植民地だったアルジェリアを除き、インドシナやアフリカの植民地などは戦争が泥沼となる前にアッサリと独立を認めるたんだな、と。

 英仏は第一次と第二次のオイルショックを乗り切ることができなかったというか、資源がないために省エネを進めていた日本が同じように景気は悪くても、いつのまにか追い抜いたいたんだよな、ということも思い出しました。フランスの新中間層というのは、日本でいえば無党派層のことなんでしょうけど、彼らの投票行動についても知りたかったな、と。

 ミッテランが大統領に当選して左翼政権が誕生し「財政規模の拡大と通貨フランの切り下げ」という経済政策を進めたのですが、おりから経済統合を進めようとしていたEUの方針に反していて、それを貫徹できなかった、というミッテランの失敗というか、ミッテランのパラドクスはどうしようもなかったんですかね。

 ミッテランもシラクも改革を掲げて登場しますが、すぐに大反対にあって、ネジレ状態の中、反対派を首相につけざるを得なくなります(コアビタシオン、事実婚)。公務員の賃金凍結や年金支給年齢の引き下げを目指したジュッペ・プランが失敗した後、1997年にシラク大統領のもとでねじれ的に首相となった社会党のリオネル・ジョスパンは、「多元的左翼」を掲げますが、緊縮財政は維持せざるを得ません。こうして重要なのは移民・女性・性的少数派などマイリリティ擁護のアイデンティティ的な主張となっていく、と。

 そしてシラク後の大統領選挙でジョスパンはルペンにも負けて決選投票に進めませんでした。

 経済政策がEUというコルセットを外せないので、ルペン率いる国民戦線も、緑の党も文化的な問題にアイデンティティーを求める政策を掲げることになり、実は庶民の生活が忘れ去られているという状況が続きます。

 にしても、テレビ局が建設業と水道局、新聞は防衛産業(ダッソー)やヴィトンなどのグループの支配下にあるというのは知らなかったな…(p.197-)。

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