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今年の1冊は『エチカ』スピノザ、上野修訳、岩波書店

 細々と続けている「今年の1冊」は『エチカ』スピノザ、上野修訳、岩波書店にしました。

 350年前の哲学書で、ほぼ必読の書と言われていますが、学生時代から何回かトライしてみたものの、ヘーゲル・マルクスの文脈にどっぷり浸かった身には肌合いが合わないというか概念がユニークすぎる感じがして放っておいたんです。今年、岩波から新訳が出始め、その評判も届くようになってきたことから、ようやく読了することができました。

 1部から順に読んでいたら、おそらく挫折していたと思いますが、國分功一郎先生のアドバイスやライプニッツの手になる『エチカ』の抜き書きが第三部から第五部であることなどを考えて、三部から読んで本当によかったと思います。 

 1-2部で「神が全て」と理論空間にくり込んでしまえば、後に残るのは人間の主体性だけであり、そうした人間たちがつくる共同社会も有益であるという肯定感というか楽観論が浮かび上がるのかな、と。人間が肯定された存在であるとするならば、人間は感情に隷属しているので、それまで軽視されていた感情論などを検討していったのが3部以降なのかな、と。

 3部をざっくりまとめると《精神のもろもろの決意はもろもろの欲求そのものにほかならず》《精神の決意と欲求は身体の欲求と本性上同時、というかむしろ同じ一つの事物》であり《自身としてあり続けようとする努力は、その事物の現実的な本性にほかなら》ず《欲求は人間の本質そのもの》で《(喜び、悲しみ、欲望という)三つの感情以外にはどんな基本感情も認めない》。

 そんなスピノザのリアリズムがつまった言葉としては《誰も他人が自分と同等でなければその徳をねたみはしない》というのが印象に残ります(p.169)。

 個人的に面白かったのはイエスではなく、ペトロとパウロに何回か長く言及しているところ。第三部では、ペテロについて書くなかで、悲しむ原因は憎むのと類似している、というあたりが印象的でした。

 翻訳された上野修先生の『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』講談社学術文庫も読んだのですが、『エチカ』とは直接関係ないものの、社会契約説は王権神権説に対抗し、当事者の同意だけが服従を正当化しうる根拠である、という人間主義からの指摘はハッとしました。

 4部も肯定感にあふれていて《人間たちが最高に良いものとして感情から欲求するようなものは、たいてい一人しか所有できない》p.226なんていうあたりや《適度に美味しい食べ物と飲み物、良い香り、緑の美しさ、装飾、音楽、スポーツ、演劇といった他人に危害を加えることなく各人が利用しうるもので気分を一心し、元気を回復することは知者にふさわしい》p.236あたりの全肯定感は素晴らしいな、と。貨幣が全事物を要約したので、民衆は《どんな類いの喜びも、原因のように金の観念が伴わずには表象できない》p.265なんてあたりは資本主義も肯定している感じ。

 今年は、まがりなりにも『エチカ』を読めて、知識のブラインドサイドをひとつ埋められたかな、と勝手に満足しています。

 上野訳『エチカ』のほか、以下の4冊を合わせて年末年始にお勧めの今年の新刊(2022年12月から23年11月までの書評年度)のベスト5とします。

『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』ロビン・ダンバー、小田哲(訳)、白揚社

『安倍晋三 回顧録』安倍晋三、橋本五郎、尾山宏、北村滋、中央公論新社

『シリーズ歴史総合を学ぶ3 世界史とは何か 「歴史実践」のために』小川幸司、岩波新書

『言語ゲームの練習問題』橋爪大三郎、講談社現代新書

 『宗教の起源』によると霊長類はグルーミングによって親密な関係をつくるのですが、その上限は50。ヒトがそれ以上の結束社会集団をつくっていくために編み出しのが、宴を開き、歌って踊って宗教儀式でハイになり、エンドルフィンを脳内に分泌させること。エンドルフィン(endorphin)は内因性モルヒネ(endogenous morphine)の略。それでもヒトが真に親密性を感じて暮らすことができる集団のサイズの上限は150人(ダンバー数)というクリアカットな説明は分かりやすいな、と。

 自民党の派閥は100人を超えてダンバー数の150に近くなると分裂、崩壊するな、と思ったのですが、自民党の最大派閥を率いた『安倍晋三 回顧録』も、そういった眼で読み直してみると面白いかもしれません。組織には外部対抗と内部統制という二つの力学があり、回顧録では外部対抗が主体ではあるのですが。

 世の中はこうした人が一隅を照らしているからこそ成立しているんだな、と改めて感じたのが、高校教師をやりながら世界史について発信してきた小川幸司先生による『シリーズ歴史総合を学ぶ3 世界史とは何か 「歴史実践」のために』。世界史は自分のものとしてひきつけて考えるということなんでしょう。ぼくは広尾の出身なんですが、都立広尾高校で教鞭をとっていた吉田悟郎教諭は高校の屋上に生徒を連れていき、庚申塚・板碑・中国人留学生の学校を指さし「世界史の授業は、この地域から始まる」と宣言したそうです。庚申塚・板碑はおそらく吸江寺に近い白根記念渋谷区郷土博物館にそばにあるものだと思いますが、来年こそ探してみようと思いました。

 橋爪大三郎さんのヴィトゲンシュタイン言語論は軽視されていると感じるのですが『はじめての言語ゲーム』に続く『言語ゲームの練習問題』では、こに痺れました。《あなたが死んだあとにも、世界は存在することをあなたは知っている。この確信は、経験によるのではない。この確信は、社会の前提である。ならば社会は、すみずみまで経験的に明らかにし、語り尽くすことができない。言い換えれば、社会は、自然科学の枠に収まらないのである》。人が言葉を用いて、意味をやりとりし、価値を紡ぎだす。世界はこのような、言語を交わす人びとの交流の場であり、人びとが社会を営むそのやり方が言語ゲームなのだ、と。

 このほか、今年は有斐閣アルマ、ストゥディアの素晴らしさを改めて実感しました。

[今年読んだ新刊]

『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』ロビン・ダンバー、小田哲(訳)、白揚社

『ブッダという男』清水俊史、ちくま新書

『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』宇都宮徹壱、集英社インターナショナル

『『安倍晋三回顧録』公式副読本 安倍元首相が語らなかった本当のこと』中央公論新社

『キリスト教の本質 :「不在の神」はいかにして生まれたか』加藤隆、NHK出版新書

『アメリカ政治』岡山裕、前嶋和弘、有斐閣ストゥディア

『シリーズ歴史総合を学ぶ3 世界史とは何か 「歴史実践」のために』小川幸司、岩波新書

『戦後日本政治史 占領期から「ネオ55年体制」まで』境家史郎、中公新書

『エチカ』スピノザ、上野修訳、岩波書店

『組織・チーム・ビジネスを勝ちに導く 「作戦術」思考』小川清史、ワニブックス

『政治家の酒癖 世界を動かしてきた酒飲みたち』栗下直也、 平凡社新書

『言語ゲームの練習問題』橋爪大三郎、講談社現代新書

『安倍晋三 回顧録』安倍晋三、橋本五郎、尾山宏、北村滋、中央公論新社

『国商 最後のフィクサー葛西敬之』森功、講談社

『陸・海・空 究極のブリーフィング 宇露戦争、台湾、ウサデン、防衛費、安全保障の行方』小川清史、伊藤俊幸、小野田治その他

『記者のためのオープンデータ活用ハンドブック』新聞通信調査会

[今年読んだ旧刊]

『吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史』福田利子、ちくま文庫

『初歩からのシャーロック・ホームズ』北原尚彦、中公新書ラクレ

『記者のための裁判記録閲覧ハンドブック』新聞通信調査会

『原点 THE ORIGIN』安彦良和、斉藤光政、岩波書店

『革命とサブカル』安彦良和、言視社

『社会学の歴史I 社会という謎の系譜』奥村隆、有斐閣アルマ

『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』ダロン・アセモグル (著), ジェイムズ・A・ロビンソン (著), 鬼澤忍 (訳)、早川書房

『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』 國分功一郎、講談社現代新書

『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』上野修、講談社学術文庫

『キリスト教の幼年期』エチエンヌ・トロクメ(著)、加藤隆(訳)、ちくま学芸文庫

『第二幕』望海風斗、日経BP

『アメリカ政治』岡山裕、前嶋和弘、有斐閣ストゥディア

『現代政治学 第4版』加茂利男,大西仁,石田徹,伊藤恭/著、有斐閣アルマ

『新しい地政学』北岡伸一、細谷雄一、東洋経済新報社

『ショットとは何か』蓮実重彦、講談社

『世襲』中川右介、冬幻舎新書

『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド、文春新書

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