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蝿のギン太と「老いの世界」

【はじめに】
このたびのいばふく万博DAY2、村瀬孝生さんのお話を聞き、ぼろぼろ泣きました。なぜこんなに気持ちが揺さぶられたのか……? 考えたときに、このへんてこな構成が浮かびました。へんてこさも合わせて味わってもらえたら幸いです。
村瀬さんのプロフィールののち(福岡からやってきてくれました)、本編をどうぞ!

村瀨 孝生

福岡県飯塚市出身。東北福祉大学卒業。
1988年、特別養護老人ホーム生活指導員。
1996年より宅老所よりあいに勤務。現在は、よりあい代表。
著書に『シンクロと自由』『ぼけと利他』等がある。


パッパラパッパラ〜! ども、はじめまして。ギン太と申します。ニンゲンからは「蝿」って呼ばれています。自由自在に飛び回ります。ときに空に舞い上がり。ときに室内にしれっと舞い込む。
ニンゲンの生活にわりと近いところにいるかんね。これまでも、いろんなことを見聞きしてきたよ。

時刻は夕暮れ。このところよく見かけるのは、おじさんとおばあさんの2人連れ。
おじさんはムラセさんといって、おばあさんのことを「トメさん」って呼んでる。
2人で外を歩ってるのはいいんだけど、この2人、いつも行こうとする方向が逆なんだよな。

ムラセさんが「トメさんこっち」と手をとって、ピシャリと叩かれている。「私とあなたが、こうして手を握り合ったら、世間の人がどんな噂を流すかしれん」とトメさん。やるう……!

いつもムラセさんは、だまってトメさんについていく。
「お父さん、お母さんが待ってるから、帰らなきゃ」
少女のようになっているトメさんは自分の家を探す。けんど、なかなか見つからない。

次の角まで、もうひとつ先、次こそ……。

行けども行けども家が見つからず、2時間。万策尽きはて、その場に座り込んだトメさん。俺様がその落胆する手の甲に止まっても、気づきもしない。顔を上げてムラセさんに問う。
「どうしようか」
ムラセさんもさすがにくたびれている様子。
「俺の知っている旅館がある。そこへ行こう」
立ち上がれないトメさんをおぶり、そろって帰る。
「宅老所よりあい」へ。

これが、このところの毎日の風景。

***

ある日。宅老所よりあいにしれっと入り込み、顔を洗うのは俺様・ギン太。顔をあげると、若い女の人がトメさんになにかを持ってきたようだ。
「トメさ〜ん、薬の時間ですよ」
「それは、わたくしの時間ではございません。あなたの時間です」
室内がどっと湧く。

「キコツだ」
「ガッコのせんせいだったからね」
なんて言うひとたちがいる。

俺様を追い払おうと手を動かすひとがいる。わかったわかった。

また別のとき。トメさんは、ソファのところでよろよろしているほかのばあちゃんの目の前に立って言う。
「ほら! 立たんね!」
「……あんたはできる子や!」

トメさんの励ましがあってか、ばあちゃんは立ち上がる。
トメさんとばあちゃんは立ち上がり、お互いを見つめる。
さて、それからどうしたものか。
2人はふたたび腰をおろす。
そしてまた、「ほら! 立たんね!」とやる。

俺様に気づいたひとがいて、今度は庭から外に出される。もうすこし見ていたかったぜ……。

***

最近は、「宅老所よりあい」の窓の外にはりついて、中の様子を観察するのが俺様のルーティーン。

お、トメさんがいたぞ。
やってきた若い女の人が声をかける。
「今日わたしが当番です」
するとトメさん。こう聞き返す。
「え? 朝倉消防団?」

こんなこともあった。
よそから男のひとがやってきて、なにやらトメさんに質問をしている。
「お年はいくつですか?」
トメさん、ちょっと怒ってるみたいだ。しばらくそうやってから、きりっと前を見てこう言った。
「忘れることにしております」

「ご出身はどちらでしょうか?」
めげない青年、またもトメさんに質問をする。
トメさんはすかさず答える。
「あなたこそ、どこのお生まれですか?」
「沖縄です」と返事をする青年。
「そんなに遠くから、ここに来ることになった経緯を述べよ」

……あはは! 立場が逆転してやんの。パッパラパッパラ〜。


村瀬孝生さんのお話


トメさんは、91歳のときに一切の食事を受け付けなくなり、「宅老所よりあい」にやってきました。ほかのおばあさんの食事を手伝うことをきっかけに、自分で食事をとるようになりました。

そこから元気になったトメさん。いやぁ、すごかった。

夕方になると、「さいなら〜!」と言いながら「よりあい」を出ようとする。帰宅願望と、僕らは簡単に言いますが、自分の家じゃないところにいるわけだし、夕方になったら帰るっていうのは当たり前のことですよね。

僕たちは居てほしいわけです。だけど、トメさんが「帰る」と言っている場所は「よりあい」ではない。ここに意見の相違がある。

歩きたいというトメさんに、次の角には家があるはずだというトメさんに、付き合う。体力が尽きて、おぶって家を探していることもあります。それでも家がない。最後は気力が尽きる。

そうして、お互いの万策尽きたときに、ふっと接点ができることがあるんです。

***

認知症を、病理的な理解でしかとらえていないんじゃないか。僕はそう思うんです。「認知症=脳の病気」という理解が、一般的に進んじゃってる気がします。そうすると、正常か異常かでしか人を見なくなる。機能でしか人を判断できなくなっちゃうと思うんです。

それを僕らの現場の実感で言うと、認知症というのは、年を召しているだけ。
年をとると、時間とか空間の見当がつかなくなってくる。いまの僕の見え方や聞こえ方が、変わってくることんだなと。
「老いの世界」というものがどんな風に見えているのか、老いている人にしか教えてもらうことはできません。
この「老いの世界」のおかしみや切なさ、知性や感性の躍動……つまり“老人性アメイジング”を味わいたいのです。

トメさんと沖縄から来た青年とのやりとり。すごいでしょう。あれは、要介護認定の更新調査のシーンです。

年齢を聞かれた時に、出てこない。自分が聞かれて答えられないっていう恥ずかしさと、「いきなり来て、何を聞くとな? こいつは」という不躾な質問に対する怒り。たしかにトメさん、イライラしてました。僕らは普段から付き合っているから、よくわかります。
年齢は言えない。そんな自分が情けなくもある。けれども、己のプライドが傷つかないように、どう乗り切るか。
トメさんの「忘れることにしております」は、秀逸でした。

要介護認定をする僕らは、できるかできないかという、人を機能でしか見ていない。 だけど、向こうは「方針」で返してきた。方針は尊重しなきゃいけないですよね。これは評価のしようがないわけです。

さらに、出身を聞かれたトメさんの答えもグッときましたね。
「あなたこそ、どこのお生まれですか?」と、質問に質問を畳みかけて、自分の質問がなかったことにしちゃう。学校の先生でしたから。もはや「戦略」ですよ。トメさんの知性が躍動した瞬間です。この世界が本当になんだろうと思うんです。
一方で、自分たちの尺度やものさし、一般論と概念で固められた世界がある。狭い閉じた世界、知性を閉じ込めてる世界があると、僕らは感じるんです。こんな風に感じるのは、お年寄りたちのやりとりの瞬間から生まれる。

トメさんは96歳で亡くなりました。僕らが看取りました。亡くなる3日前までデイに一緒にいました。みんなと。洗濯物があったらですね、引っぱって、自分でたたんでました。

つくづく思うんです。老いて死ぬというのは、病気じゃない。自然の摂理に導かれて最期を迎える。

それまで僕は、最後に人は死ぬって思ってました。でも、それも違う。人は最期まで生きるんだっていうことです。


【著者からの補足】
最初に蝿を登場させたのは、「宅老所よりあい」に蝿が出そうだと思ったわけではなく、村瀬さんとそのまわりのお年寄りたちの日常を、ニンゲンが見ているのはどうも違うと思ったからです。「ニンゲンだけの世界ではどうやらないみたいだぞ」ということで、蝿のギン太に登場してもらいました。
あと、「よりあい」にいる方々は、建物の中にいる蝿をそっと外に出してくれるんじゃないかという、勝手な憶測も入っています。「老いて死ぬことは、自然の摂理」という村瀬さんの言葉が残り、ひとと自然が近いところにいることを書いてみたかったのです。

わたし個人の話ですが、家のなかに飛んでいる蝿を「あの世からの使い」だと思って、こそっと話しかけることがあります。「おばあちゃん、なあに?」と。

text by Azusa Yamamoto
photo by Ryota Fuji

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