アイデンティティの統合

久しぶりの記事です。
1ヶ月以上も更新をしなかったのは初めての事です。
何故こんなに更新が遅れてしまったかというと、あまりにも大量の本や論文をいっぺんに読んで思考をしすぎたせいで頭の中がまるで整理できなくなってしまったからです。
というわけで今回は整理がつかない中で記事を書く事で整理がつけられたらという気持ちで記事を書かせていただきます。

今回はアイデンティティの統合について話したいと思います。
いきなりアイデンティティの統合と言われてもピンと来ない人が多いでしょう。
しかしアイデンティティというテーマにおいてこの「統合」というのが非常に重要なキーワードになってくるのではないかと考えています。

アイデンティティとは自己同一性(セルフアイデンティティなどとも言います)が日本語の直訳として使われます。
よく確固たるアイデンティティがあるなどと表現したりしますが、これは自我が強いという事とイコールではないでしょう。
自我が強いとアイデンティティが強いというのは僕も以前は同じような事と認識していました。

自我が強いというのは自分の我が出ている状態で自己主張が強いというようなニュアンスでしょう。
しかしアイデンティティが強いというのは必ずしも強い自己主張があるわけではありません。
自我が強くなくてもアイデンティティが強いということもあり得るでしょう。
僕自身はアイデンティティというのは「自分が自分であるという感覚が強固である様」と解釈しています。
ここでキーワードになってくるのが統合です。

人間には多面性があります。
仕事をしている時の自分、家で一人でいる時の自分、家族といる時の自分、知らない人と話している時の自分、友人といる時の自分、目上の人といる時の自分など相手や状況によって多少なりとも言動が変わるというのは自然な事でしょう。
また人間には喜怒哀楽があるので、喜んでいる自分、怒っている自分、悲しんでいる自分など感情に応じて変化する事もあるでしょう。

ここでアイデンティティの直訳である自己同一性の同一性という言葉に着目してほしいのです。
この同一性という言葉が非常に誤解されやすいのではないかと僕は考えています。
同一性と言われると「同じである事」が条件として求められているように感じます。
その為、同一性と多面性とは相反するものなのではないかと捉える人も多いのではないでしょうか。

しかし実際にはアイデンティティを統合するというのはこの多様な自分を丸ごと自分という一人の人間であると感じられるようになる事です。
確固たるアイデンティティの確立というのは自分のある種の多面性を丸ごと受け入れてどれも自分であり、どれも自分が主導権を握っていると感じられる状態と言えるでしょう。

愛着障害などがある人にもよく見られがちな現象として自閉的な生き方をする事によって同一性を無理やり保つという方法があります。
これは逆に言うとイレギュラーに非常に弱い、イレギュラーがあると容易く土台が壊れてしまうからこそ同一性の土台を確保する必要があるという状態です。
つまり根っこには同一性のある状況でしか自分の同一性を維持できないアイデンティティの脆弱性があるという事です。

このようにイレギュラーを嫌い、自分の内側ではなく外側に同一性を求める事で自分を維持しようとする試みを僕は戦略的自閉と呼んでいます。
昨今、発達障害というものの存在が知れ渡り、自閉症の存在を知っている方も多いかと思います。
先天的に脳の特性に偏りがあるなどの理由で生じる場合もありますが、不適切な養育環境などにより脳が傷つく事で脳機能に偏りが生まれる場合があります。
戦略的自閉とはすなわちトラウマなどにより極度に傷つきやすい自分を守るための一種の自己防衛として捉えることできるでしょう。
パーソナリティ障害で言うところのシゾイドパーソナリティなどが近いかもしれません。

不適切な養育環境や長期に渡るイジメなどによって脳がダメージを負い、発達障害のような症状が出ると言われています。
これらは「第4の発達障害」という言い方をされており、単なる発達障害として見るのではなくトラウマによる後遺症として捉えてあげる必要があります。
なお、これらは発達性トラウマによる障害として発達性トラウマ障害などと呼ばれています。

そしてトラウマ体験の後遺症があるとまさにこの記事のテーマでもあるアイデンティティの統合機能が奪われてしまうという事にも注目する必要があります。
この辺りに関しては過去に書いたこちらの記事でも書いた通りです。

トラウマ体験をした人というのは、あまりの強いストレスに対応しようと傷ついた自分を切り離す為に脳を仮死状態のような状態にして何とか危機を乗り越えようとします。
これが解離という現象です。
一時的に強烈なストレスから身を守る為には有効な手段ですが、解離は麻薬のようなものなので副作用も非常に大きいです。
この副作用がまさにアイデンティティの喪失、そしてそれによってアイデンティティの統合が阻害されるという事です。

解離というのはゲームで言うところのリセットボタンに近いものです。
生きている中で頻繁にリセットボタンを押していれば、出来事と出来事が繋がらなくなります。
点=出来事や経験とすると、点と点が線で結ばれるという事が経験値になるという事です。
そしてこれがまさに統合なのです。
解離によるリセットというのはこの線が途中で途切れて結ばれないという事です。

お酒を飲んで記憶を失くした事がある人であればそれを想像すると分かりやすいかもしれません。
途中までしか記憶がないが、どうやら自分は何とか家に帰ってきたらしいという体験なんかはよく耳にします。
この場合記憶がない間の出来事というのは本人の身になっていないという事です。
このような解離という現象によって自分が自分であるという感覚すらも喪失してしまうという事です。
(解離についてはいずれまた詳しい記事を書こうかなと思っていますので、この辺りで一度説明はやめておきます)

極論なのかもしれませんが、僕はあらゆる精神的なトラブルの根っこにはこのアイデンティティの喪失、そして統合感の欠落があるのではないかと考えています。
たとえばパーソナリティ障害だとどうでしょうか。
パーソナリティ障害には境界性パーソナリティ障害を始めとする境界性パーソナリティ構造と呼ばれる構造が根っこにあります。
この代表例が白黒思考です。
パーソナリティ障害の人というのは良い所も悪い所も含めてその人であるという統合感を喪失しているのです。

たとえば完璧主義になって一つでも気に入らない点があれば価値がないと捉えてしまうなどの症状として現れます。
このような人は存在し得ない完璧という幻想世界を求めている為、現実に適応する事が難しくなります。
彼らにしてみれば現実というものはいつも不完全かつ不快でコントロール不能なものなのです。

統合感を失った人たちは都合の悪いものを無かったことにして切り離したり、自分が見ている目の前の現実を都合良く理想化しては、期待通りにならないと激怒したり拒絶したりするなど極端な反応を示しがちなになります。
物事をフラットに捉えられなくなってしまいがちなのです。
その他にもなりたい自分を思い描いてはあたかも自分がそれに既になっているかのように錯覚したり、幻想の中で自己愛を満たすような生き方になってしまうのです。
これが酷くなれば妄想などに繋がってくるでしょう。

自分に対しての捉え方と他者への捉え方というものはリンクします。
自己統合感の欠如があると他者に対しても統合感が得られないという事です。
以前書いた「自責と他責」という記事で書いた内容などもそうです。
自分を責めるか相手を責めるかの2択しかなく、ここは自分に非があってここは相手に非があるよねというような冷静な見立てをした上で反省をしたり反省を促すという事が難しいのです。
このような現象も統合感の欠如による白黒思考が原因と言えるでしょう。

また自他境界の問題もこの辺りと関係しています。
自己というものの存在がぼやけている人というのは自分で自分を操縦していない状態になります。
僕はこれを自動操縦システムなどと呼んでいます。
自動操縦システムで生きている人というのは他人から支配をされやすくなります。
他人からの影響を過剰に受けやすくなるのです。

相手のポジティブな反応に対しては過剰に喜び、相手を理想化•神格化する。
相手のネガティブな反応に対しては、過剰に傷つき、相手をハラスメント的な存在として捉える。
この過剰さというのは自己という存在があまりにも脆弱である為に他者からの影響を受けやすくなりすぎているからであると言えるでしょう。
そして1人の人間に対しての評価が極端に変化しやすいのは、まさに1人の人間を統合して捉える事ができないという事の現れなのです。
それはつまり自分自身が統合されていない事による症状なのです。

この場合、相手に原因を求めるだけで物事が解決する事はまずないでしょう。
最も大切な事は自己を喪失しているという事を認識する事です。
そこを認識して受け入れる事なしに自己喪失から抜け出す事はおそらく難しいでしょう。
スキーマ療法と呼ばれる療法の中で治療的再養育という概念がありますが、彼らにとって必要なのはこの再養育なのではないでしょうか。
簡単に言うと幼少期などに済ませておくべき事が済ませられていない人たちを育て直すというような考えです。

擬似アイデンティティという幻想に縋り付いて生きていくのではなく、等身大の自分をまず受容する。
そして自分で自分を再養育する必要があるのです。
自分で自分を再養育するというのは他者の助けを求めてはいけないというわけではありません。
しかしいくら他者の力を借りるにしても、最終的には本人の力で立ち上がるしかないという事です。
他者の力は補助輪のようなものです。

アイデンティティを喪失した人というのは他者に依存しやすくなります。
依存というものは自己喪失というものに気づく事で激しい心理的なショックを受ける事から逃避する為に生じます。
自分の価値ではなく他人の価値を借りる事で自分を維持しようというやり方に依存しやすいのです。
支援している側は自立のための手助けをしているつもりだったのが、実際には自分で立ち上がる事を放棄して他人におんぶに抱っこという状態になってしまうという事はよくある事です。
※他人のアイデンティティに依存するという現象についての解説はこちらの記事で過去に書いています。

アイデンティティを喪失した人というのは自分がモラトリアムの中にいる事を認識してモラトリアムの中で活路を見出す他ありません。
モラトリアムにいる事が悪なのではないのです。
モラトリアムの中にいるのにそれを認めずに擬似アイデンティティを生きる事が問題なのです。
「自分はこうなりたい」という気持ちを「自分はこうである」に勝手に変換してまるでアイデンティティを獲得したかのように振る舞う事や、自分のネガティブな部分の存在を無視してしまう事は幻想の中を生きているのに等しいのです。

大切なのはどんな自分も自分であり、自分を操縦するのは自分なんだという感覚です。
そしてもし他者によって自分という存在が容易く左右されるのであれば、その原因を他者ではなく自分の心の在り方に求める事が大切です。
自分の人生は自分のものだという伝え方だけすると、自分の人生を生きるんだ!他人の言う事など一切聞かない!と極端な方向に行く人が多いです。

しかし他人の言う事を全て無視しなければ自分を生きられないと感じてしまう状態がそもそもおかしいのであると自覚する必要があります。
他人の話を聞いて良いと思えば取り入れればいい、自分にはフィットしないと思えばそういう考えもあるんだなと捉えればいいだけの話です。
それが難しくなっているという事に対して問題意識を持つ事が必要なのではないでしょうか。

喪失されたアイデンティティを取り戻す為には統合が鍵になってきます。
統合というのは先述した通り点と点を線で結んで経験を経験値にするという事です。
特にトラウマなどがある人の場合であればこの統合の鍵となるのは過去でしょう。
過去の未消化の問題を振り返る必要があるのです。

あの時自分は何を感じたのか、何をしたのか、相手はどういう行動を取ったのか、それに対して何を感じて何をしたのか。
抑圧している本当の気持ちや喪失された真実をもう一度冷静に捉え直す必要があります。
ただし重いトラウマ体験などを振り返る場合には激しいフラッシュバック症状が起こる事が想定されます。
解離によって冷凍保存されていた辛い記憶が蘇り、ますます過去を怖いものとして抑圧したくなる衝動に駆られる可能性も考えられます。
その場合は専門家の力などを借りて自身の安全を確保した上で丁寧に振り返る事が望ましいでしょう。

なおフラッシュバックというのは正確に言うと振り返っているというのとは違います。
振り返るというのは自分が今を生きているという上で過去を振り返るという事です。
ところがフラッシュバックの場合は自分がトラウマ体験の真っ只中にいるような体感を持つ事になります。
今を喪失して過去のトラウマ体験に囚われてしまうのです。
こういう場合には本人はコントロール不能になってしまうので、専門家の力を借りなければなかなか過去を振り返るという事は難しいでしょう。

未消化の感情が消化されて自分の中で過去が整理されてくると自分が今までしてきた経験を自分で捉えられるようになります。
主導権が自分の元に戻ってくるのです。
トラウマ体験というのは非常に辛くネガティブな体験ではありますが、同時にそのような経験も主導権が自分に戻ってくると自分という人間の土台を支える力になる事もあります。
そのような経験が似たような経験した人たちに向けての優しさに繋がったり、弱者に対しての想像力に繋がったりする可能性もあります。
人一倍苦労をした上でその経験をもし自分の経験値にする事ができたならば、その人は抜きん出た魅力的な存在になり得るのではないでしょうか。

なおトラウマ体験を想起した場合に起こる現象の一つとしてこちらの記事も書いているので参考にしてみてください。


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