留学が新しい私を切り開いた話

いきなりですが、私はこの夏より、実家で自由のない暮らしをしたくないという思いがコロナを押し除けNYの大学に留学しています。これまでの人生で経験したことのない濃度の毎日を過ごしている私が、ここ、アメリカで見つけた新しい自分について書いていこうと思います。

8月17日、朝。不安と期待で胸を膨らませ、日本を飛び立ちアメリカに到着。私は”ひとり移動”が大好きなので、不安とか言ったけどそんなの忘れて飛行機で映画鑑賞やらゲームやら睡眠をエンジョイ。コロナの影響で乗客が少なくて、ひとりで広々3席使用でき、コロナが続けばいいのにとかなり不謹慎なことを考える余裕アリ。

時差があるので、同じ日の昼ごろにアメリカに到着。その日の空にはミラーボールばりのギラギラ太陽があって、私の気持ちは最高潮でした。

そして、1週間後に始まる授業に備えて、キャンパスを散歩したりウォルマートに行ったりしたと思うけど、正直ご飯がマジで不味かったことしか覚えてません。何がまずいか説明できないくらいまずい。その時はアメリカのご飯ってこんなもんだよね〜くらいにしか思ってなかったけど。(後々食事が不味すぎて病みます。)

しかも、ずっと時差ボケで不定期睡眠だったから気づいてなかったんだけど、部屋に電気がありませんでした。私は明るい場所大好き芸人なので、この部屋で過ごすということがそもそも私にとって苦痛でしたahaha。そしてさらに、ルームメイトがコロナのせいでアメリカに来れないと言う連絡が入って、私は電気のないふたり部屋で、ひとりで生活することが決まりました。推しの写真を見ても涙が止まらないくらい本当に辛かったです。その時仲良くしていた日本人の子のルームメイトは普通に来ていたから、余計。

それから二週間くらい、毎週末、泣きながらお姉ちゃんに電話して、「なんで私だけルームメイトいないの?」「どうやって友達作るの?」って言ってました。めっちゃ迷惑だったと思うけど、毎回ありがとうね。

そして驚いたことに、実家で暮らすという一種の呪縛から解き放たれてひとりで生活することを求めていた私が、その生活を寂しいと感じていました。確かに、部屋が汚くても一日中寝ていても怒られないのは楽だったけど、今日あった出来事を聞いてくれる人のいない寂しさは、この日に初めて実感しました。私って、ひとりでカラオケしたり映画見に行ったり焼肉したり普通にできるから、人が好きなんだって気づかなかった訳です。

でもまあ、友達は少ないなりに出来て、特に黒人の女の子と仲良くなって、ほぼ毎日その子の部屋で寝泊りするうちにその子のルームメイトとも仲良くなって、ずっと3人で一緒に生活してました。一緒にNYC行ったりもして、私みたいなネイティブ級の英語話者じゃない人を相手にしてくれる2人って多分めちゃくちゃ優しいよね。そして友達の大切さを実感しました。

兎にも角にも、私をこの世に産み落とし、私の人生を歩ませてくれている両親と、何かと頼りになるお姉ちゃんと、時差があるのに連絡を取ってくれる友人たちに大きめに感謝すべきということに気づきました。失ってからじゃ遅いみたいなこと言う人いるけど、失ってないからセーフ。それと、適当に寂しさ埋めるために連絡とってた人とか、どうでもいいってことにも気づきました。これがアメリカ生活1カ月で見つけた新しい私。

まだまだ続きます。

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