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わたしが炭次郎を好きな理由

鬼滅の刃で、わたしが特に好きなシーンがある。

それは16巻の136話「動く」の回で、炭次郎が、富岡と不死川の修行に
出くわす場面だ。

いつも優しい炭次郎が、この回もあちこち練り歩いては、仲間の世話を焼いている。
炭次郎は玄弥を心配し、善逸を心配し、禰豆子を心配しながら、富岡のいる場所に出かける。
そこで、前述した富岡と不死川の稽古に遭遇するのだが、炭次郎は、2人がケンカしていると勘違いしてしまう。

そこで炭次郎が2人に言ったセリフに、私は痺れてしまった。
彼は2人に「おはぎの取り合いですか? もしそうなら俺が腹一杯になるまで作りますから…」と述べたのだ。


炭次郎お前…どこまでいい奴なんだ………!!


もちろん富岡と不死川は、おはぎの取り合いなどしていないのだけど、不死川は炭次郎の、すっとんきょうな言葉に調子を乱されて、
立ち去ってしまった。

この場面は単なるギャグシーンなのだけど、私は炭次郎のこのセリフに、
彼の本質が詰まっている気がする。
これまでの少年マンガの主人公は、上昇志向が強く、夢に向かって猪突猛進するタイプが多かった。

しかし炭次郎は、海賊王や火影のような存在に興味がない。
(※出典:ワンピース、NARUTO)
上記のエピソードの前に、炭次郎は、遊郭編で上弦の鬼を倒すという大手柄をあげたのだけど、彼はそれを誇るそぶりを一切見せなかった。
玄弥に、「お前が上弦の鬼を倒せたのは、仲間に助けられたからだ!
だから柱に出世してない」という趣旨の言葉をぶつけられたときも
「え?そうだよ」と全く意に介さなかった。

これまでの少年マンガの主人公なら、そんな事を言われたら悔しくてムキになるはずなのに。

私はそんな炭次郎の、おおらかな所が大好きなのだけど、この辺りに、
鬼滅の刃が大ヒットする理由があるような気がする。

今の日本は不景気が長く続いたせいか、ギスギスした空気があるように
思う。
「世の中は、勝った者の総取りゲーム」だから、どんなことをしても、
”勝ち組”に入るべき…みたいな。

でも、いくら努力したところで、”勝ち組”になれるのは、ほんの一握りだ。
ほとんどの人は出口の見えないラットレースに、とても疲れているように
見える。

そんな中、作中の炭次郎は、妹を救うため、そして人々がこれ以上悲しまないために鬼と全力で戦う。
炭次郎の優しさは、鬼に襲われた被害者のみならず、鬼にすら向けられる。
鬼になってしまった人間の、やるせない運命を想い、
涙を流す事すらあった。

炭次郎の、この思いやりは、競争に疲れて、乾いたわたしたちの心に
深く、優しく沁み込んだように思う。
だからこそ、鬼滅の刃は、世代を超えて、多くの人の心
をつかんだのではないだろうか。。

そう考えると、上昇志向の強い猪之助が、ギャグキャラとして描かれているのは興味使い。
またひたすら、強さのみを求める、猗窩座(あかざ)や黒死牟(こくしぼう)が
悲しい存在として描かれているのも、面白い描き方だ。

上昇志向の強いキャラとは対照的に、煉獄さんは、「強きものは、弱いものを守るために存在している」という、亡き母の言葉を信条としている。
このあたり、作者の吾峠先生の思想が強くあらわれていると思う。

というわけで、私が炭次郎を好きな理由は、
彼が、私心のない友愛の心を持っているから。そして
炭次郎のふるまいを見るたびに、心がひたひたと、潤うから…なのでした。

ところで、私の親戚の女子高生も、鬼滅の刃が好きなのですが、推しキャラは「善逸」との事でした。
私が「え?炭次郎は?」と聞くと彼女は
「顔が好きじゃない」と答えました。


なんでや!?炭次郎は顔もカッコいいやろ!!


う~…、確かに善逸も可愛くて、カッコいいけどさ💦
とにかく私はこれからも炭次郎の魅力を、世の中に伝えていく所存です…✨

おわり

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