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輝く女の子を、マンガで描き続けたい

私に及んだ呪いの余波

私は女の子やお姉さんがめちゃくちゃ好きだ。

はじけるような美しい女優さんはもちろん好きだし、カラフルな洋服を楽しむおばあさんも、憧れる。尾田栄一郎先生の描くワンピースで特に好きなキャラは、ウォシュウォシュの実の能力者であり76歳の大参謀、おつるさんだ。

申し遅れたが、私はプロの漫画家を目指して毎日、マンガを描いている。主人公はもちろんヒロインで、ついでに言うと百合が多い。このように、女の子が大好きで、自分自身も社会的には一応女性のカテゴリに入っているので、ジェンダー問題には、アンテナが敏感に反応してしまう。

女性のおかれた立場が、あまり理想的でないことは、ここで詳しく取り上げるまでもないだろう。今回は重い話を避け、とても身近な例をあげるなら、私は学生時代の体育の授業で、ブルマ姿になるのがめちゃくちゃ嫌だった。何が悲しくて、下着同然の姿を公衆の面前で晒さなくてはいけないのか…。高橋留美子先生の描く、らんま1/2の天道あかねちゃんのブルマ姿は確かに眩しいが、こちとら生身の人間なんだ。「ボクにも羞恥心ってものがあるんだい!」と、体育の先生を呪った。

また前職の制服は、タイトスカートにストッキングで、靴はパンプスだった。スカートは可動域がかなり制限されるし、パンプスは足が痛い。そして冬のストッキングは、とてつもなく寒かった。上司に「タイツを穿かせてくれ」と頼んだが、「社則では、女子職員全員がタイツにするなら良いが、ストッキング女子とタイツ女子が混合すると、景観が良くないからダメ」と言われた。



何だっっそら!!!!!



怒りで鼻血が出そうになった。景観という言葉を調べると、「眺め渡す景色の様子」らしい。


勝手に景色にすな。


確かにここは京都だが、景観条例は建物だけに適用してくれ。京都市長は一体何をやってるんだ……!結局あの時は泣き寝入りをしたが、思い切ってタイツ派とストッキング派で連合を組み、本社に突撃すれば良かったと、今でも思う。

少し?話題が逸れたが、現在の体育授業では、性別にかかわらず、みんな膝上のハーフパンツを穿いているらしい。何故そうなったのか、私は知らなかったが、先日ツイッターで、とある女性議員が尽力してくれたからだと判明した。彼女の功績はつい最近まで、知られることがなかった。(少なくとも私の中では)

彼女は、今回私が取り上げる課題図書、「世界は贈与でできている」が述べる「アンサング・ヒーロー」に相当すると思う。(近内悠太さん著作)

評価されることも褒められることもなく、人知れず社会の災厄を取り除く人

今の女子学生たちが、無用な恥ずかしさを感じずに授業を受けられるのは、素晴らしいと思う。

私が贈与されたもの

女性の人権問題は、今が過渡期であり、一進一退が続いているが、全体としてみると徐々に前進していると思う。私は体育のハーフパンツには間に合わなかったが、名も知らぬ贈与者のお陰で、多くの恩恵を受けている。私が生まれたときから持っている選挙権と被選挙権は、昔の女性は持ちえなかったものだ。靴は徐々に、選択できる企業が増えてきたし、職場でお茶くみを求められることもなくなった。

また「百合が好き」など、いくらネットとはいえ、数年前なら私は恥ずかしくて言えなかっただろう。しかし性的指向に関する土壌も変革しつつある。こうした変化は偶然によるものだろうか?そうではない。本書では、人間社会を本質的に不安定なものと定義している。

世界は「丘の上に偶然置かれたボール」のような状態で(中略)ボールは転げ落ちていくのが当然なのです。

それが均衡を保つだけでなく、ジェンダーに関しても、じりじりと前進している。それは無数のアンサング・ヒーローが、ボールを支え続け、社会の穴をふさぎ続けてきた証拠である。

本書の最終章では、アンサング・ヒーローの贈与を受け取ったものは、ある衝動を持つ(事がある)と述べる

受け取った純粋な自然の贈与を、それをまだ受け取ることのできていない誰かに向けて転送する。(中略)メッセンジャーになるということです。

私が周囲に転送したいものは、女性の自由と笑顔だ。マンガを描く事でそれを成し遂げたい。実は最近、JICA(国際協力機構)の国際女性デーに関する企画で、ネパールの女性差別に関するマンガを投稿した。※文末にリンク設定

現時点で受賞するかは分からないが、ネパールの女性の自由に貢献できるといいなと願っている。

本書の革新性

本書を読んで私が革新的だと感じたのは、贈与の方向性についての著者の見識だ。贈与という概念は、私も以前から耳にすることがあり、とても素敵な価値観だと思っていた。しかし同時に、「あなたは貰ったからには、バトンを次にパスしなければいけない」という息苦しさも感じていた。

私は確かに贈与のバトンを受け取ってしまった。しかしそれを他の誰かにつなぐことができないー。そのような自責の念は、ときに強い呪いとして機能してしまいます。

しかし本書はこのジレンマに、通り道を切り開く。著者の近内さんは、そもそも受取人がいなければ、贈与者はメッセンジャーになれない事実に読者を誘導し、こう述べた。

贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。(中略)もはや一体どちらがどちらに贈与しているのか分からなくなり(中略)差出人と受取人が一つに溶け合ってしまう(中略)だから贈与は与え合うのではなく、受け取りあうものなのです。

私はこれを読んだときに、ふわっと風が通り抜けたような気がした。なんて優しい贈与の仕組みなんだろう。そして次の瞬間、私の脳裏に太陰大極図が浮かんだ。


太極図2

そうなのだ。いくら私が全力でマンガを描いたとしても、読んでくれる読者がいなければ、意味はない。受け取ってくれる人がいるから、私は生命力を与えられ、またマンガを描く事ができる。

予祝

今起きている差別を大胆に知らせ、人々を啓発する活動を、私は肯定する。前述したJICAのネパール女性のマンガは、まさにその一環である。

このように直接、女性を応援するマンガを描く事は今後もあると思うが、私が主に描きたいのは、ヒロインが生き生きと活躍する、ロー・ファンタジー漫画だ。

私が描くヒロインは基本的に女言葉を使わない。スカートやセクシーな衣装を身にまとうヒロインもいるが、それは彼女達が自身で選んだものだ。百合やバイセクシャルもいれば、おばあちゃんのヒロインもいる。彼女たちは弱き者を守るために、健気に、ひたむきに奮闘する。

これは期待する未来を前もって表現する事で、現実を引っ張る呪術的行為、つまり予祝である。

現実にそんなパワーが存在するかは分からないが、少なくとも思考や行動の制限という呪いから解放された女性を見て育つ新しい世代は、今の私たちとは、異なる価値観を獲得するのではないかと期待している。


女の子の、鎖を外したい。


今の子供が「体育にブルマって何のこと?」と首をかしげるように、私のマンガを読んだ少女や少年が、多様なジェンダー観を持ってくれるなら、こんなに嬉しい事はない


伊吹天花

#キナリ読書フェス #マンガ #エッセイ #国際女性デー #世界は贈与でできている



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