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【鉄面皮日記】22/04/19

今宵も月が睨みをきかしてる。
無目的です。
本来無一物、という仏語(フランスではなく禅です)がありますね。
事物はすべて本来空 (くう) であるから、執着すべきものは何一つないということ。とあります。
その通りですね、
素っ裸の猿でこの世に放り出されて、それから羞恥心が生まれたりして、服を着こんじゃって着膨れしていって、終わり際には裸であったこともすっかり忘れてて、おっ死んでからまた素っ裸にされ埋められる、と。
因果応報とはこのことか。
キリスト教に於ける原罪も同じことなのかなぁ。
変な知恵つけるからややこしくなってしまうのかなぁ。
水槽を掻き回したら水は白濁するけれど、暫く放っておくと濁りもとれて透明になるよな、
そんな感じ、人の一生てば。
それだから、寄り道、道草、上等といふことになる。
掻き回すんだ、やたらめったら掻き回してみるコトだ!
それは、踊ることや激情や酩酊、恋や音楽、それにぶっ壊すことに通じてる。

デイヴィッド・バーン『アメリカン・ユートピア』(2021)
素晴らしい映画だ。
トーキング・ヘッズからまったくブレない男がいた。
「ストップ・メイキング・センス」も間違いなくイカした映像だったが、こちらも凄い。
過去の歌をリメイクしつつ、総勢11人がステージ上を踊り歌う。
何が凄いって、生演奏だからだ。
ノープラグなので、板の上を縦横無尽に駆け抜けられ、圧巻のステージが生まれる。
D.バーンらしいシニカルな詞、居心地の良い(悪い)家がたくさん描かれる。
見終えた後の興奮は、なにか妙な力を得たかのような魔法。
因みに監督はスパイク・リー、合点がいきます。

『コントロール』(2007)
サム・ライリー主演、ジョイ・ディヴィジョン、イアン・カーティス伝記的映画。
先とは真逆の吸引力、モノクロで描かれる23年の生涯。
イアン・カーティスといえば、全米ツアー前謎の首吊り自殺である。
その事象に囚われるような恰好で音楽も引っ張られる。
ドアーズやデヴィッド・ボウイに憧れた少年、日常の仕事とバンドを行き来するどこにでもいるような子が巻き込まれる奇妙な物語。
「24アワー・パーティー・ピープル(2002)」では、演奏力の欠如が際立っていたが、マンチェスター・ファクトリーレーベルの成功と衰退をコミカルに描いた映画だ。
後のニュー・オーダーの成功が、またイアンの自殺を覆い隠してしまう。
いったい彼は何者だったのだろう?
もちろんこの映画にもその答はない。
伝説という幻想に包まれてしまうと、もうその正体は掴めない。

以上、2本の音楽映画。
毎日つけていこうという目論見も怪しく、昨日は寝落ちしてしまう。
義務ではない、ぜんぶが自由であるべきだ。