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【映観】『ゴジラ-1.0』(2023)

『ゴジラ-1.0』(2023)
監督・脚本・VFX : 山崎貴
出演 : 神木隆之介、浜辺美波、吉岡秀隆、安藤サクラ、他
■第96回アカデミー賞 視覚効果賞

映画館で観たいと思った。
アジア映画史上初アカデミー視覚効果賞である。
製作費15〜22億円で、34年ぶりに全米での歴代邦画実写作品興収第1位(それまでの「子猫物語」に驚く)
韓国「パラサイト」を抜きアジア映画最多の興行収入であるという。
予備知識もなく、怪獣娯楽映画をしっかり楽しもうと、ビールを買い込んで。
そうしたら、時代背景が戦時中45~47年(ゴジラ一作目は1954年で戦後)であり、まさかの特攻隊から始まったので驚いた。
小笠原諸島の日本軍整備基地で暴れまくるまだ小さい怪獣、島では"ゴジラ"と呼ばれそのまま呼称されていく。
知らずうちにそのネーミングてのも変だし、誰が名付けたのか、そういったところはリアル感を際立たせるためにもけっこうタイミングが重要である。
映画の最中に映画を意識させたら、それはもう駄作、最後まで夢ん中に没入させて欲しいから。

ところではっきりさせときたいのが、約7年前「シン・ゴジラ(2016)」の件だ。
僕はこちらも劇場で観て、大興奮した。
庵野秀明氏スゲェの撮った!って、エヴァ好きなので大絶賛、後の"シン"作品もそれぞれ素晴らしい。
そこでどうしても比べてしまうワケで、ここでは好みが優位に立ってしまう。
あちらのまくしたてる役者の棒読み、エヴァから継承したかのような非日常感、考えさせる隙もなく進行し絶えず驚きを追加していくスタイルは、まさに没入の真骨頂だった。
そこで率直に言えば、"シン"が好きだ。

でもそこで、ゴジラ一作目を想ふ。
そーなのだ、そこで云えば、それを伝承してるのは本作というコトになるだろう。
ゴジラは核実験で変異した怪獣である。
戦後、原爆は水爆へと変貌を遂げ、ビキニ環礁での水素爆弾実験に被曝しあのような形態になった。
背びれが光って口から放射する光線、何度も蘇生して再生する細胞、ぜんぶその影響下にあると思われる。
アメコミに於けるダークヒーローの最たる形態をとっていた。
ゴジラは、"核"エネルギーの化け物なんだ。

東宝でゴジラのフィギュアをパクったみうらじゅんのようなコアな愛好家ではない。
ゴジラがパンダ化され、擬人化され、大決戦だの息子ミニラをつれて愛嬌ふりまくとか、そんな頃が僕は小学生。
お正月になれば、寅さんと並んでテレビ放送されてたのを見るくらいだった。
だからかなり大人になってから、一作目を見て吃驚したのです。
ぶっ壊してるよ、電車も日劇も国会議事堂も、銀座を焦土と化して日本国を嘲笑うかのように暴れまくる。
痛快だった。

筒井康隆の小説で、怪獣に話せば分かるとかいって近付いてったら、無遠慮に踏み潰されるっていうのがあったけど、
ゴジラは放射能で変異した爬虫類、人が持つ情感なんて無意味、ただただ平等に分け隔てなく殺傷していくのです。
お金持ちだろと貧乏人だろうと、それこそジェンダーの垣根などなく、一切合切を駆逐してく。
そこが痛快だった。

オッペンハイマー博士にすべての責任を負わせるのはどうかとは思うが、象徴として、彼が原子力を発見しなければ、このような物語も「渚にて」も、原子爆弾が広島長崎に落とされる事も、無かった事だろう。
あった事をなかった事にするコトはできない。
もう進んでしまった時間を巻き戻すコトはできない。
核が無かったとしたら、ゴジラの物語は一瞬で消え、そうしたら311福島の原発も無いし、そうしたらそうしたら日本は敗戦してないかも知れず、そうしたらどうなってしまうんだろうかと考えだしたらキリがない。

ゴジラは暴力の権化。
ただただ破壊し尽くす、シヴァ神のような、人のあらゆる摂理を無に帰する。
自然の厄災に近く、それは神のようで、祈り畏怖するのみ。
僕らの小さな営みとは無縁に、人智を超えたエネルギーで根こそぎ壊してしまう。
無慈悲とは違う、慈悲なんて概念がゴジラにはないんだから、仕方ない。
そういった意味で原点回帰をしたのが本作ではないのだろうか。
アメコミのように新しい作者が、原作を生かし、圧倒的な今を描くコトができる稀有な存在。
ゴジラは、語弊があるやも知れないけれど、天皇のような日本の象徴なのだ。

Next Godzilla!!!

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