見出し画像

【鉄日】24/03/01. ぶらんにゅーでい

自分がひねくれてるってコトに異存はない。
しょーがないよね、イロイロこんがらった生き方してたら、いわゆる世間一般の生活人とはかけ離れる。
それでいいのです、同じであるならばこんなにたくさんの人間は必要ない。
流行り言葉の多様性ってヤツでひとつ。
隔絶してるってコトに快感を得てるというコトも了解している。
他者と違っていた方にステイタスを感じてしまうのだから、天邪鬼みたく逆へ逆へと攻めていく。
正解なんてないのだから、自身が気持ちいい方へ動いていくってのは自然の摂理なのです。

さて言い訳の下地をつくったとこで、本日お子が高等学校を卒業した。
それはそれでいいのだけど、どうも学校というものに嫌悪感を持つ我としては、何の感懐もない。
本人はすごく楽しんでいるので、それを邪魔だてするようなコトなどしない。
僕は、とうに親としての道義的責任は放棄していて(というか責任だのそんなもん押し付けられるのが厭)
彼は好きなように生きていけばいい、
僕は相談役というくらいの立ち位置をキープしたい。
快楽のため性交すれば確率的に子供ができ、それを生かすために親としての役割に何年か費やし、そうして子は巣立っていく。
これは役割分担なので、当然自身もそうやって養われし、こうして生きている。
子供はべつだん好きでも嫌いでもないが、喋らない時期は格別に可愛く思えた。
それは植物を愛でるような、愛玩動物に情を持つような感じで、それほどそれからに気を使ってはいない。
ここが男性と女性の違いなのかも知れないが、親はなくとも子は育つ、僕は無関心にやり過ごす。
けれども余計なとこに首を突っ込む。
食べ物がどうだの、電子レンジを使うなだの、テレビを見せるなだの、とかく何もやりはしないのに口を挟む。
そうして自分と同じ轍を踏ませたくないが故に、相談役の立場も越え、うるさく云うのである。

お子には、近道を通って欲しいと思っていた。
遠回りするより、一番早い道を通っていけば、それは早くから幸福へ近づく。
幸せの価値観はそれぞれであろうが、とにかく分かってしまってるコトに時間を費やすよりそれをスルーし、先を急ぐのだ、人生は短し。
そういった教訓を垂れたところで、そりゃあ聞く耳持ちゃしませんぜ、旦那。
人間なんてラララララララ〜ラ、自分だってそうだったでしょ?
誰か先輩の有り難い訓示も馬耳東風、
やってみなきゃわかんないじゃんって、同じ過ちを繰り返すんです。
近道なんて幻想、とにかくぜんぶやってみちゃってから気付かなければ腑に落ちない。
だから当然、自分と同じように時間を費やして同じような場所で立ち尽くすしかないのかも知れない。
あゝここは前に来たとこ、懐かしい感じ。

先人たちがやっとの思いで辿り着き、せっかくそこに目印を置いていってくれてるのに、それを無視して遭難するようなものである。
しかし、とかく若者は新しい道を模索するものであって、同じ道を通りたくないと思うのは至極当然であるし、まして遭難なんて平気のへっちゃらであるので、優しいコースを提示しても無駄だし、簡単に天辺まで到達してもいけないのだ。
何でも経験してからでないと実感が伴わない、それを教えてくれたのも彼だった。
僕なんてもう敢えて遠回り、そのうえ道草当たり前、誰かに教えてもらう行程ではない、己れの路を進むのが本筋じゃないのか。

半分、同じ血を持ちながら、まったく真逆な生き方をしてる。
当たり前、別人格ですから。
挫かなければ学べない、とこは同じような気はする。
いっぱい失敗して後悔して、にが湯を飲まされてから、いつか酒でも飲もう。
そうでもないと話も出来やしない。
まずは、無難におめでとう。

Confusion Is Next!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!