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【鉄日】24/02/10. 春節なんです。


福来たる! #一骨画

なんですオメデト。
春節は中国の暦というわけではなく、日本でも明治以前は使われていた旧暦"太陰太陽暦"のお正月です。
アジア圏ではいまだにこの暦が根強いが、日本は改暦して西洋に見習った"グレゴリオ暦(G暦)"となっている。
農耕民族なら太陰暦(月の満ち欠け)と、太陽暦(地球が太陽の周りを1回転する1年)を基準にしたいところ。
僕は約20年ほど前に改暦し、13の月の暦(マヤ暦+ツォルキン)を数年間使っていた時期がある。(今は特に意識してない)
もちろん日本人の社会はG暦を基準にしているので、同時に並行してそのカレンダーで生きてみたということです。
そこの目的は、違った角度からカレンダーを見直してみるということで、現実の社会はG暦、心の尺度は13暦、
てな感じだった。
暦というものは、便宜上の定規のようなもので、ルールを決めて時間を区切っているに過ぎなくG暦に根拠などない、
ローマ教皇グレゴリウス13世が制定し神の名前を12ヶ月に振り分けたもの、
古代ローマの神と権力が結びつき時間を秤に掛けたもの、
その真意は宗教の教義と同じ構造で、民をその影響下に置き支配すること、等々、、
今でいう陰謀論的な意味合いもあった。

兎に角、"今あるものを疑え"というヒッピー思想には合致した。
無意識に時間をやり過ごすのでなく、意識的になってみるという試みだった。
そしてそんなゲームを楽しんでいたのだが、最初は目新しく新鮮に映る新しいカレンダーも、使い古せば便所に掛けてある日めくりカレンダーと同じく。
そうやって違った視点でみるというコトが肝要であって、道から外れまた戻ってくるようなもので、それが遠回りだろうが近道であろうが同じようなもんなのである。行き先はいっしょだから。
そんで僕はどんな行事もパーティーにするコトにした。
恵方巻きだろうが、クリスマスだろうが、肉の日だろうが、花祭り(お釈迦様の誕生日)だろうが、春節だろうがね。
ええ、お酒呑んでても無礼講、そりや素敵じゃあーりませんか、お祝いだからさ。
"なんでもない日おめでとう"てアリスも歌ってたし、
"何もしていないをしているのさ"てプーさんも云ってるし、
なんならコジコジだってさ、なんでもない日だって春節だって、パーフェクトデイじゃん、違う?

そんなふーに日常を楽しむコト、トコ? 
それで意味を見出してくと、お酒を飲むアリバイが完成するワケであります。

そんなよーな話を好きな彼女と話していたら、相手が急に怒っちゃった。
面白いよね、得意げに無意識の殴打ていう話をしてる本人が、無意識に相手を傷つけてしまうというトコが。
それだからどんなにしたって、正解なんてもんは無いんだ。
言語でどれだけ積み上げたって、感情はそれを上回って、そして思いもつかない地平へと辿り着く。
すごく楽しい。
独りの中にそんな多様性はない。
どうしたって一人称に潜むものは、自身を壊さない程度で、その範疇を逸脱しやしない。
だから僕はそこが好きなのです。

春節、おめでとう。
今年はもっともっと知らないコトを知ってそれを知らなかった自分を知って、
知れば知るほどどんどん窮地に陥ったりして、それをまた知り難解になるコトを楽しんでいこう。
まだまだ何もわからない、それが前へ進ませる。(後ろかも知れない)
でもでも、Move On!