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ジョルジョ・モランディ - 僕の好きな藝術家たち vol.4

好きな藝術家について書きたいように書いてみるシリーズ。その藝術家についてのバイオグラフィとか美術史的意義とか作品一覧とかはインターネットで他のページを参照してください。


Wikipediaによれば、モランディは

20世紀美術史において最も重視される画家の一人である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3

だそうだ。でも、ピカソやあるいはウォホールやバンクシーのような知名度はないと思う。僕は全く知らなかった。たまたま見かけたモランディ展のチラシの絵が、どことなくニコラ・ド・スタールっぽいなと思って、展覧会を観に行った。

時系列的に言えばモランディはド・スタールに先行するし、ド・スタールはモランディの影響を受けたようなので、モランディがド・スタールに似ているというよりド・スタールがモランディに似ているというべきなのかも知れない。

しかしまあ、誰かに似ているという評価ほど藝術家にとって侮蔑的なものもない。残念ながら人は未知のものを受け入れる時はきちのものとの類似性や非類似性の関係性の中で受け止めるしかないので、しょうがないんだけど。なるべく僕は「誰々に似ている」ということは言わないようにしている。

でも、モランディを初めて知った時にド・スタールに似ているからという理由で興味を持ったのも事実なので、とりあえずそう書いてみる。そしてこう続けたい。

展覧会を観たあとは、ド・スタールに似ているとかどうでも良くなった。

モランディという人は恐ろしく引き籠もりな人で、とにかく家の中で並べた瓶を描き続け、それ以外のモチーフといえばせいぜいが窓から見える景色を描くくらいのことだったらしい。

展覧会でも、とにかく瓶の絵ばかり。何故こんなに瓶を描くのだろう?と考えてもしょうがない。そして僕には、瓶というモチーフではなくて、色のほうが強く印象に残った。

モチーフにおいても色においても、とにかく独特の個性で、ひとたびモランディを知れば、作品をひと目見て「あ、モランディや」と分かるようになる。これは凄いことだと思う。

先日視聴した李禹煥の対談動画で、同じような夥しい反復における微細な差異が重要なのだと李が言っていたけれど、モランディの瓶の絵たちにおける差異に着目して鑑賞するのも面白そうだ。またまとまってモランディの作品を観る機会があると良いなと思う。

しかし何より僕にはモランディの哀しみを湛えた静かな色に満ちた世界が、何とも切なくて胸締め付けられる。悲しみに満ちた光が、瓶の存在を浮かび上がらせている絵が。物言わぬ瓶たちと僕たちと、どれほどの距離があるのだろうかと考えたりしながら。

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