それでも私は演劇を観に行きたい!
今日は学部の友人の演劇を観てきました。
この友人のお誘いで演劇を観るのは今日で4回目かな。
女優の夢に向かってがむしゃらに頑張ってる姿観に行くたびに、何かエネルギーをもらえてる感じがします。
今回は劇研主催で旗揚げ団体の試演会らしく、
場所は劇研お馴染みの講堂裏にある掘っ建て小屋でした。
ここの空気感が私はとても好きで、
なんだか暗くて怪しくて、
ベニヤ板の匂いがして、
そういう独特な感じがするんです。
何か未開の地に足を踏み入れるみたいなワクワク感がたまらないんですよね。
あと長椅子をギシギシと詰めて座って
観客の距離感が異様に近い。
今日は千秋楽だったので余計にそれを感じました。
以前、私の学部の講義とかで、演劇などの舞台芸術は、テレビと違って「いま、ここ」という一回性があることが利点だと言っていて、よく分からないけどなんとなくで納得してた節がありました。
でも、実際に行ってみて、
演者だけでなくお客さん含めて演劇なんだってことを感じました。
それが一回性だということなのかな。
演劇が始まると「演じてる」こと自体に圧迫感というか緊張感というか、、
そういう空気を一気に強いられている感覚。
"演者がこう感じているんだからお前らも感じろ!!"みたいな。
例えば、演技中に怒鳴られるとテレビ越しだと別になんとも感じないけど、
演劇だと、観てる私たちまでその空気感が生に伝わってきて実際に叱られてる感じがして、こう心臓のあたりがウッて詰まる感覚になる。
そういう、今ここにいた私たちでしか感じられない空気感というところに演劇のいいところはあるんでしょうね。
実際、今回の作品では、このウッてなる感覚が最後まで多かったように感じます。
話の核心が最後まで二転三転して、
結局本当に最後の場面まで落ちどころが分からなかった、、!
それで常に圧迫感のある演技と、核心がつかめないモヤモヤした居心地の悪さ。
旧図書室取り壊し反対運動という小さな出来事から、こんなにディープな話題に入り込めるのか!と驚きでした。
作品の感想自体はまぁほどほどにして、
とにかく、生の演技には生の良さがある、ということです。
そういう直接的な空気感とか、
人間関係の生々しい心の動きとかに、
観客の心を揺さぶるモノが
生で観る演劇にはあるなぁと感じました。
これだけ映像技術が発達してるのに、
なぜ人は舞台芸術を観に行くのか、
そんなことを社会人になってもボーッと考えながら、演劇を観に行きたいものです。
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