聖母の愛情

幼少期から性的なことは悪いことであると繰り返し刷り込まれてきた。異性の身体に触れることは汚れること、異性を受け入れることは自分をすり減らすこと。それが母の教えだった。「新しい彼氏とはセックスした?」。母から問われるたび嘘をつき通せるほど器用ではない私の身体の反応は素直だった。

母は職質をする警察官さながら私の反応をじっと観察し、その質問を聞くと私は罪を犯したかのような後ろめたさに追い込まれた。「した」と言えば「あーあ、減ったね」と言い、「してない」と言えば「そのままババアになるね」と言った。正解など存在しないその問いに答えるたび、私は私の血を沸かせた。

「異性の身体に触れることは汚い/悪いこと」だと信じて疑わなかった15歳の冬、熱を出して学校を早退すると寝室で母が父ではない男とセックスをしていた。脳裏に焼きついて離れない動物のような母の姿と母の性の教えは吹き出しそうになるほど乖離していて、私の身体は釈然としない浮遊に包まれた。

父が出て行くと母はその男を家に連れ込むようになった。異性の身体に触れることは悪なのに私がそばにいるだけじゃだめなの?そんな疑問符を口にすることは終ぞなかった。男が大学の学費を支払ってくれたからだ。私は男に感謝しなくてはならなかった。男のおかげで生涯年収が大きく変わったのだから。

大学を出たことは男と別れた母の生活を支えることにも役立った。しかし母は決して自己保身のために私を大学に入れることを男に頼んだのではない。母は愛情深い人なのだ。だから「お父さん」とは呼ぶことのなかった男との入籍後、男の車に毎朝ボイスレコーダーを取り付けることを私に指示したのだ。

来る日も来る日も私は寝る前にボイスレコーダーを充電し、早起きをしてボイスレコーダーを男の車に取り付けた。ある日男が車内で浮気相手と電話している声が録音できていた。母は男を責め立て慰謝料を取り、私の功績を労った。……母に褒められた!その事実は脳に大量のドーパミンを放出させた。

それからは男の価値を下げる手がかりを見つけることに精を出した。母の身体をすり減らした汚い男と、血の繋がりがないのに高い学費をぽんと出してくれた優しい男はなぜ同一人物なのだろう。男が借りている事務所の鍵を盗み中を探すと、ココハンドルと鮨屋で使った高額の領収書を見つけた。これだ!

「舐めてんのかお前ママにこんな高えバッグなんて贈ったことねぇだろ、いい歳して色ボケしやがって、てめぇ女出せLINEの履歴データ社員にばら撒くぞ、嫌なら一千万払え、いや二千万だ!!!」。闇金ナントカくんのドラマで覚えたはずの私の恫喝は母によく似た声で、その発見に驚き心臓が高鳴った。

ところで私は今年で37歳になる。結婚を焦る気持ちとは裏腹に母と住むためのマンションを私名義で四谷三丁目に購入したばかりだ。男から没収した金は銀行で借りた金と合わせてマンションの頭金にした。それを褒める母の声は私を責める私の声を掻き消してくれた。私をくすぐる中毒性の高い白砂糖。

母は「そろそろ結婚しないと孤独死」「子供のいない人間なんてカスみたい」と言った翌日「ずっと私のそばにいて」と泣き「捨てたら許さない」と髪を掴みかかってきた。母のために早く未来の夫を連れてこなくてはならないし母と暮らさなくてはならないしこの家のローンをあと30年払わなくてはならない。

母のセックスを見たあの日、蛮族なスレッドが並ぶ掲示板で知らない男と出会ってセックスをした。その次の日も。またその次の日もだ。しかし一度も我を忘れて没入したことも、達したこともない。ただ母の姿に自分を上書きさせるため何度も機械的に行為を繰り返し、無気力な怠さを下半身に残した。

そして母のあの質問と「あーあ、減ったね」という言葉を待つのだ。すり減ってすり減ってやがて汚い私がいなくなるまでこぶしを固めて、母の言葉を待つのだ。一度バラバラになった身体は輪郭を取り戻すことはなく浮遊し続ける。本当の私の人生がどこにあるのかがさっぱりわからない。

地に足がつく感覚がなくても汲み取ることができるのは母の愛情深さだ。友人や彼氏の機嫌を損ねないよう顔色を伺って細心の注意を払って言葉を選んできたと言うのに、今そばにいるのは母だけなのだから。(完)

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