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イマドキ大学生を洗脳する「すきなこと・やりたいことをやれ」という宗教

ほげほげ大学卒様式にて

A子「私、イラストを描くことが昔から好きで、卒業後はフリーランスのイラストレーターになることにしたの〜」
B子「私の場合は、なんか事務とか営業とかやりたくないから〜春からYoutuber頑張ることにした〜〜。Youtubeだったら私の好きな大食いを仕事にできるからさ」
C子「私なんて、よくわからない保険会社の営業だよ〜。A子とB子はいいな〜、好きなこと仕事にできて。私別に営業なんて好きじゃないし、やる意味あるのかな。かといって、別に好きなことも無いし、A子とB子が羨ましいよ」

自己紹介

僕は、都内の大学に通うただの大学生で、春から大学を休学予定です。休学するというのが一般的に「ただ」では無いかはどうでもいいです。ここで言いたいのはこのnoteは「ただの」大学生が書いている適当なものだと思って、鼻で笑いながら読んでくれればそれでいいということです。

今回このnoteを書こうと思ったきっかけは、自分が春から休学をするということで、当然周りから休学して何をするのかを聞かれることも多く、そうしたやり取りの中で個人的に思うことがあり、自分なりに考えを巡らせてみた結果として、このnoteを書くに至りました。
また、以前けんすうさんのVoicy(音声配信サービス)を聞いていて、その時点では腑に落ちていない部分が、今回休学を機に色々と考えていて納得感に変わったということもあります。↓けんすうさんの放送   

誰に読んで欲しいか

僕というただの1人の大学生が休学すると聞いて、自分は何もしていないとドキッとしてしまう大学生や、就職を控えてやりたいことが無い自分を卑下してしまっている人、あとは僕の事を嫌いな人にも是非読んでほしいです。僕の嫌いな要素がふんだんに含まれているので、もっと嫌いになれます。あ、あと今日は4月1日ということで、就職なさる僕の先輩方にも読んでいただいて鼻で笑っていただいたいです。

好きなことを仕事にするのが全員の正義ではない

先に結論から言ってしまえば、必ずしも好きなことを仕事にする必要は無いし、絶対に好きなことを見つけなくてははならないとは限らないんじゃないかなぁ、ということです。以下このnoteではこの結論にたどり着くまでに自分がたどった思考をだらだらと綴っていきます。肩肘張らずに読んでいただけると幸いです。

よくあるやり取りと僕の考えていること

冒頭でも書いたとおり、僕が春から休学すると聞くと周りは

「休学して何をするの?」
「何か大それたことでもしようとしているの?」
「何かやりたいことがあるの?」

と頻繁に聞かれます。気持ちは勿論わかりますし、僕が周りにいる人だったら同じようにすると思います。珍しいものは気になりますよね。それで、そうした人への回答として僕はいつもアプリのデザインの勉強をしていると言っています。実際アプリのデザインの勉強をしている点に間違いは無いのですが、休学した理由に関してはもっと別の部分にある気がします。とはいってもまあそんな強い想いは無くて、デメリットが感じられずなんか面白そうだからっていうのが自分としては適切な回答な気がします。
で本題に入りますと、僕がアプリのデザインの勉強をしていると聞くと、「お前はやりたいことがあっていいな」とか、「私にはやりたいことが無い」っていう反応をよく受けます。

ただ実際問題、僕としては今僕がやっていることが僕の本当にやりたいことだと断言は出来ないし、もっと言えば、やりたいことを見つけたなんて感覚は全くありません。数年後は全く別の事をしている可能性も十分あります。
そんな僕がこうしたやり取りを通して感じたのは、最近の大学生は、

「やりたいこと・すきなこと」を見つけ、それを仕事にしなくてはいけない

という感覚が昔の時代の人に比べて人一倍強いんじゃないかという仮設です。

「好きなことでいきていく」という宗教

2014年頃Youtubeがうっていた宣伝で、「好きなことで生きていく」というキャッチコピーがありました。今は亡きマックスむらいさんが全盛期だった時代です。(今でもむらいさんは精力的に活動されています。すみません)

こうしたYoutuberという職業やTwitterやInstagramが一般化したことで、従来の会社組織には囚われない、自由でやりたいことを仕事にしているオトナ達の姿が様々なところで見られるようになったのが今の時代だと思います。ときに、こうしたオトナ達は、自分の好きなことを仕事にしていない人たちの事を自分より下の存在として扱っている姿すら見たこともあります。いわゆる職業インフルエンサーの方々です。こうした時代の流れを受けて、今の大学生は「好きなことを仕事にしなくては」と考えているんじゃないでしょうか。そしてその一歩目として「好きなこと」を探さなくてはという切迫感に駆られているのでは無いでしょうか。僕も例のごとく、好きなことを探さなくては、好きなことを仕事にしなくては、逆に自分の好きなことじゃないことを仕事にしたくない。そう考えていました。イマドキの量産型大学生です。
ただ、冒頭で言ったとおり、最近その考え方が変わりました。今の僕の立場としては、勿論考え方の一つとしてそういう考えがあり、それで成功している人の存在は認めつつも、実際問題この考え方って結構辛いし大変かもしれないな。って感じです。

好きなことで仕事をする世界

もし、この「好きなことだけを仕事にする」という考えを全員が持っている世の中になったとします。これはけんすうさんのVoicyでも仰っていたことですが、そうなったときあなた達のライバルは、好きなことなら何時間でも出来る人達です。プロゲーマーの世界を想像してみれば分かりやすいと思います。プロゲーマーの世界に、自分がちょっとゲームが好きだからくらいの気持ちで入っていくのってめちゃくちゃ辛くないですかね。どんなに頑張ってもそういう何時間でも出来る人たちには勝てないし、自分の価値を見いだせなくなってしまう気がします。そんな誰もが好きなこと、やりたいことをしている世界が果たして本当に望ましいのでしょうか。

好きなことをすることとそれを仕事にすることは違う

好きなことをするという事を、行為という軸で見るのと、職業という軸で見るのは大きく違うと僕は考えています。どんな「好きなことを仕事にする教」の信者でも、1円も稼いでないくせにそれを仕事だという人はあまりいないでしょう。どんなに好きなことでもそれを仕事にするのであれば、それを仕事として成り立たせる=マネタイズする必要があります。で、僕個人的にはこのマネタイズという部分がかなりこの思考の難しい所だと思っています。例えば、絵を書くのが好きだった人が今までは趣味として自分の好きなように好きなだけ書いていたとします。しかし、それを職業にするのであれば、誰がこの絵を買うのか、納期はいつなのか、どの形式に合わせる必要があるのか。こういう今まで趣味としてやっていた時には必要のなかった事が必ずつきまといます。好きなことを仕事にして食べていけるのは一握りの努力と我慢をした人間だけであって、全員がそれで食べていくことは難しく、趣味としてやっていた時のほうが楽しかったとか、好きなことだったのに嫌いになってしまったなんて事も十分有り得るんじゃないでしょうか。

「好きなこと教」は他の宗教と決別する必要がある

加えて、もし好きなことを仕事にすると決め、実際にそれを自分の仕事にしたとき、もしかするといくつかの価値観を諦めなくてはならなくなるかもしれません。例えば、その産業自体の強さや周りからの印象など。好きなことを仕事にするとは、こうした他の価値観を捨ててでも、「自分は好きなことをしたい」と覚悟が持てる人間にのみ許されるものなのでは無いでしょうか。逆に言うと、その覚悟が持てない人間がこの宗教に首を突っ込むと、とても辛くなってしまうかもしれません。


こう考えると、好きなことを仕事にするのって結構大変だし、いいことばかりでは無いように思えてきます。少なくとも、僕はそうでした。そこでこの長々しい文章を読んで頂いた方に対する責任として、そんな僕がどういう事を仕事にしたいのかを傲慢にも語って、この長々しいnoteを締めたいと思います。

僕の考えたさいきょうのおしごと

それは「好きなこと(=行為)では無く、届けたい価値を見つけて、その価値の最大化に、自分が最大限貢献できる仕事」です。
具体性が無く抽象的で本当に申し訳ありません。分かりやすく言うと、僕が自分の価値観という物差しをもってしてこの価値を届けたいと思えるようなもの(ex. 日本の文化は素晴らしい)の為に、形はなんであれ自分がめちゃくちゃ貢献するって感じです(ex. 伝統工芸品を販売する会社で営業を死ぬ気で頑張る)。何かまだ分かりづらいですね。でも良いです。重要なのは、「自分の価値観という物差しをもってしてこの価値を届けたいと思えるようなもの(ex. 日本の文化)」の存在と「その客観的価値を最大化するために自分が貢献する=自分の得意なことを作る(ex. 学生の内から営業のインターンに行く)」という2つのことが必要だという事です。※ ex.は例で僕ではないです。
そしてこの考え方をベースとして「なんで休学するの?」と聞いてくださる方へ本当のアンサーが出来ると思います。「自分が届けたい価値」を探すと同時に、「自分に少しでも出来ることを作る」この2つを休学中にやります。そのために現状選んだものがUIデザインであり、自分が届けたい価値はゆっくり探していきます。別に休学中に見つからなくたって良いと思っています。
本当に自分が届けたい価値なんて人生の内いつ見つかるかは分かりません。もしかしたら気づいた時には50歳かもしれません。でも大事なのは、その価値を見つけた時に、それを最大化させる為に、「僕に出来ること」を最大化させておく事です。だから、若いうち(=届けたい価値が見つからないうち)はどんな形であれ、得意な事を作る時期だと思います。僕が「好きなこと教」を引き合いに出すのは、若い内は「好きなこと」じゃなくても形を問わずに努力して「得意なこと」を作ればいいという考えに変わったからです。4月1日、新しく社会人となる先輩方も大変なことが多々あると思いますが、「得意なこと」の研鑽の為に日々頑張ってほしいと学生身分ながら応援しています。そして届けたい価値を見つけた時に、めちゃくちゃに暴れて世界をかき回してやりましょう。僕は冒頭で登場させたC子にこそ、頑張ってほしいと思っています。長々と拙い文章を読んで頂きありがとうございました。


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