幾度目かの断捨離挑戦

みなさん、唐突ですが、ご自宅の荷物はいかがですか。

散らかってる?
ほどほど?
それなりに片付いている?
いやいや、むしろモデルルームやホテル並みに何もない?
誰にもいえないけど、実は汚部屋なんです……?

ちなみに、私の家は「そこそこ」である。
物には定位置があり、たいていの場合、使われたものは定位置に戻される。
疲れている時は床に放置。
こればかりは致し方ない。私のズボラな性格が原因だ。
……まぁ、世の中に数ある「断捨離」や「捨てる技術!」やら「こんまりメソッド」によると、適正量になれば、ちゃんと物は片付くらしい、が。
ほら、人間って見たくないものは見ないって言うからね。ね?

それでも、私の片付けはリバウンドしていない。
まだまだ物は多いが、昔に比べたら確実に減っているし、減った後は増えていない……それほどは。
増えていたとしても誤差範囲である。

そんなこんなで(どんなだ)、私の長きに渡る(そして未だ終わりの見えない)断捨離の歴史を、忸怩たる思いはかなぐり捨てて書き連ねてみたいと思う。

はじめての断捨離

そもそも、片付けってなんだろう。

「片付けをする時は、最初に物を捨てるんだよ」

なんて、だれか教えてくれたこと、あったっけ?
いや、ない(反語)

恐らく日本人の大部分がそうだと思うが、私も例に漏れず、「片付けは物を収納すること」であり、「収納する前に余分なものや不要なものは捨てるんだよ」、なんてちっとも考えたことがなかった。
(もし、「いや私は昔から知っていた!」という方がいたら、申し訳ない。きっと貴方は稀有な存在だから胸を張っていて欲しい)

そんな私は、社会人一年目に実家を出るとき、全ての私物を持って出た。
家に戻る予定はなかったから、それこそ根こそぎである。
しかも、一人暮らしに必要なものを買い足した。
私は末っ子だったので、親兄弟、親戚からのお下がりが山ほどだったにも関わらず、私物が増えた。
捨てたのは学生時代の思い出……ではなく勉強道具くらいだ。

結果、新居は物で溢れた。ゴミは捨てていたから、汚部屋ではなかった。

しかし、服はクローゼットに入らず溢れる。
本は本棚に入らない。
実家から仕送りされた食料品は冷蔵庫、冷凍庫、シンクの下に収まりきらず、段ボール箱で積み上がる。

お下がりをくれた親は、何を私にプレゼントしたかきっちり覚えていて、捨てるのを許さない。
たまに私の家に来た時、目ざとく見つけて、「あんた、私があげたあの服、どこにやった?」とか訊く。
「捨てたよ」など言おうものなら、その後半世紀は嫌味が止まらない。

どれだけ高かったのか、希少なのか、価値があるのか……。

そんなに大事なら自分で仕舞っておいてくれい、と、シビアな私は心の中で毒づく。
口に出してなんて、到底言えませんがな……。

そして更に、初めての会社(ちなみに限りなくブラックに近いグレー、と思っていたらブラックだったことが退職後に判明した)でストレスが溜まりまくっていた私は、小説好きが高じて、大量に本を買っていた。
読む時間なかったんだけどね。
読む時間がないのに、本を買ったらどうなるか?

積読になるんだよ。

本をつんでおく。つんどく。積読。

便利な言葉ができたよね〜〜。
結果、私の家には本棚に入りきらない本が山を成したのである。

そんな中、私が人生初の断捨離を決行したのは、転職と引越しがキッカケだった。
地方都市から首都圏への引越し。
会社都合ではないから、引越し代はもちろん自腹だ。
その上、一番の問題は家賃である。

1社目は家賃補助が潤沢であり、家賃の安い地方都市だったこと、そして私に「駅チカ」や「新築」や「高層階」と言ったこだわりがなかったため、当時の私は2LDKに住んでいた。
だが、転職先の会社(ここも、そこそこブラックだった)は家賃補助がない。
年収も下がる。
しかも首都圏。

LDKなんて、住めるわけねえだろ?(低音ボイス)

ということで、人生初の断捨離が始まった。
しかし、捨て方がわからない。
当時の私が選んだのは、「こんまりメソッド」だった。
従順で真面目な私は、親の言うことを、まるで自分の意見や価値観のように捉えていたのだ。
そんな私が、持ち物を断捨離するにあたって「トキメキ」を基準にすることは、難しくもあったが、自分の人生を生きるために必要なことだった
正直、当時の私は、本当に自分の好きな服やカバンがどんなものかも、把握できていなかったのだ。

私は捨てた。
こんまりの言う通り、一室に服を集め、山のように積み上がった衣服の中から「トキメくもの」を探した。
今思えば、その時の「トキメキ感度」は鈍かったので、大量に捨ててもなお残った物は多かった。

しかし、45Lのゴミ袋を30個以上は捨てたと記憶している。
とてもスッキリした。
ペットは飼っていなかったはずなのに、いつの間にかクローゼットで緑色のクネクネした虫さんが成長していたのは、想定外だったが。

……ほかに虫さんは居なかったものの、どうやら私は、冒頭で述べた「汚部屋ではなかった」という前言を撤回し、「汚部屋に住んでいた」と言わねばならないかもしれない。

2度目の断捨離

引越しを機に荷物を減らし、首都圏郊外の2DKに越した私は、どうにか荷物が全て収まったことにホッとした。
だが、しばらく暮らしていく内に、私は気付いてしまったのである。

……モノ、多くね?

2LDKでは全ての収納に収まる程度になった荷物も、2DKの収納には収まりきらなかったのだ。
当然だね!

そこで、私は快適な住環境を確保すべく、再び断捨離を実行した。
幸い、実家から更に離れた結果、1度目の時よりも「トキメキ感度」は上がっていた。

私は服を知人に譲った。
1度目の断捨離の時は、「本気で嫌いな服」と「もう着られない服」しか捨てていなかったのだ。
私は、ようやく「好きだが似合わない服」を手放した。

私は、本とCDを売った。
1度目の断捨離の時も半数以上を手放したが、「嫌いではないもの」が残っていた。
「嫌いではない」って、それ「トキメキ」とは真逆じゃねえか

私は、食器を洗う桶と、乾燥させるためのカゴを捨てた。
台所も狭くなってるのに、なぜ作業台の3分の2を占拠するカゴを置いて、まな板が半分シンクにはみ出る不安定な状態で食材を刻むのか?
洗い物もそんなにないんだから、都度拭けば良いではないか。

他にも細々と、色々なものを手放した。

結果、私は服をファストファッションなどの安い店で買わなくなった。
高いが好きなものを少しだけ、手入れしながら、長く大切に使うようになった。

本は図書館で読み、どうしても手元に置きたいものだけ買うようになった。
CDも好きなものだけ、手元にある。
元々オタク気質なので、完全に電子化はできないし、する気もない。

台所は非常に快適だ。
乾燥用のカゴがないため、食器はすぐに布巾で拭いて食器棚に戻す。
洗い桶もないから、作業台を拭くついでにシンクの中も拭けて、常に水回りが綺麗だ。

さあ、満足である。
もうこれで、私の家はパーフェクトだ。

そう思うんだよね、片付け終わった直後って。

しかし、時間の経過と共に違和感が生まれるのだ。

まだだ……まだ足りない。
「カチッと」する量まで減ってない。
何が多いのか。
うーん。うーーーん。分からん。

そして私は、運命の日を迎えた。

2度目の転職である。

そして、今直面している断捨離

転職しすぎだって?
気にしちゃいけねえよ、お客さん。
企業だってリストラするのに、従業員が会社をリストラしねえでどうする。
ブラック企業で神経すり減らして暮らすよりも、楽しくパーッと暮らした方が、人生楽しいじゃねえか。

ということで、私は3社目でホワイト企業らしき会社に移った。
良い会社だが、あいにく元々が「寝たい」「食いたい」「遊びたい」からできている快楽主義者なもので、通勤が辛くなった。
前職はドアツードア30分だったのが、実に3倍の1時間半である。
合計3時間。

そんだけありゃ寝れるじゃねえか……。

と思った欲求に忠実な私は、職場の近くに引っ越そうと決意した。
ちなみに、まだ物件は決まっていない。
良い家見つかるといいな~。

だが、あいにくと、職場の近くは都心郊外などという、財布に優しい立地ではない。
すなわち、家賃が馬鹿高い。
当然、2DKになんて住めるわけがなかった。

そこで立ちはだかっているのが、物量である。

……いや、無理だよ。どう考えたって入りきらねえよ(まだ見ぬ新居に思いを馳せつつ)。
部屋が――否、家が狭くなるのは目に見えて明らかだ。
致し方がない。私は決意した。

「ときめき」に「断捨離」の考え方を加えて、オリジナリティあふれる基準で断捨離を決行しよう。

断捨離の基準

今、私が行っている断捨離の基準は単純だ。
おそらく、探せばどこかに同じ基準で断捨離をしている人のブログか何かが見つかると思う。

(1)ときめくか、否か
(2)「ときめ……く?」となった場合、大人しく「最近使ったかどうか」で判断する

この順番で考えると、まだ完全には至っていない「トキメキ感度」を補足できて良い。

私が陥っていた、「こんまりメソッド」が上手くいかなかった原因

上記基準でザクザクと物を捨て、もしくは売り、ある程度「親戚や知人から貰ったもの」がなくなった段階で、ようやく私は一つのことに思い至った。
なぜ、私は「こんまりメソッド」で言う「カチッと」ラインに至らなかったのか。

「こんまりメソッド」では最初に「どんな部屋で暮らしたいか」、「どんな暮らしをしたいか」を考えてから、物の選別をはじめる。
だが、私は、この発想がうまくできなかった。
「スッキリと片付いた部屋で暮らしたい」という思いはあったものの、それは漠然としすぎていて、具体性がなかったのだ。
私が「理想の部屋」を思い描く時、そこには必ず、親が「これは良いものだよ」「使い勝手が良い」と言った家具があった
それでは、本当に自分が理想とする部屋など思い描けるわけがない。

今回、強制的に家具を捨てざるを得ない状況になるにあたって、私の中にあった呪縛が解けた。
だって、部屋が狭くなるんだから、親が大切に思っていた家具を捨てることになっても仕方がないじゃないか。
そんな言い分が、自分の中で正当性を持ったのだ。

そして今ようやく、私は自分の理想とする部屋の様子が思い描けるようになった。
スッキリとした部屋で、机に座って窓から外を眺め、のんびり小説を読んだり文章を書いたり勉強をしたり、映画を読みたい。
オタクで好きなものは手放したくない自分との折り合いをみつけながら、引っ越し先が決まるまで、私の断捨離は続くだろう。

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