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〈旅行記ー海外〉 青の都と飯とナンパ #サマルカンド編

とうとうウズベキスタン旅紀行も半分を迎えた。感慨深いものであるなぁ。と言いつつサマルカンド編、別名をめっちゃナンパされた(お前らの教義はどこ行った)編である。

青の都サマルカンド

我々はブハラからタシュケントへと向かった。勿論今回も文明の力に大いに頼ることとなる。涼しくて快適な電車の旅よ、万歳。
サマルカンドはブハラと比べると広い街だった。ブハラが狭すぎたのか…? と思うが、恐らくサマルカンドが嘗て栄えすぎたのだろう。多分。
なんと言っても、サマルカンドは紀元前10世紀から都市として発展していたのだ。キリストよりも年上。そして、サマルカンドはティムール朝やら旅行家として著名なイブン ・バットゥータやら、世界史の教科書に事あるごとに顔を出す。
その後、いろいろな国や有力者が取ったり奪ったりを繰り返し、麗しのサマルカンドはそのサマルカンド・ブルーと呼ばれるラピスラズリの美しさの大半を失った。
頼むから残しておいてくれよ……!!
と思うのだが、人類の遺産が無益な抗争によって失われるのは古今東西の条理であるし、そして幸いなことにその巨大な遺跡の一部を今も見ることができる。ていうか普通に暮らしている。

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この写真はブハラで撮影したものだが、遺跡ではなく単なる集合住宅だ。リッチなマンションもあったものである。住み心地が良いのかどうかは、分からない。地球温暖化の影響で暑い気もしなくもないが、湿度が低い環境であるが故に、むしろ部屋の中は寒い可能性もある。

我らがホテルOtel' Arbaと死の恐怖

我々を乗せたタクシーはホテルのど真ん前に到着した。ちょうど日本人団体旅行客も到着したタイミングで、狭いロビーには人がひしめき合い日本語と英語が飛び交っている。
ウズベキスタン旅行は個人手配と格安パッケージ(ホテルと交通手配のみ)、そしてめちゃくちゃ高い団体旅行のツアーの3択であり、私と友は常と変わらず格安パッケージを手配していた。だが、そのホテルで出くわした客は団体旅行ツアーの面々だったのだ。お金があるだけあって、やはり年齢層も高い――ということは、色々な要望が多い。

ガイドさん「スーパーマーケットはホテルを出て右に行って、最初の角を右に行けばありますから!」
客1「え、ホテル出て右?」
客2「なんだって?」
客3「ホテル出て左? え、右?」
ガイドさん「分かりました! 後でまとめて連れて行きますから! 一緒に行きたい人は○時○分にまたロビーに降りて来てください!」
客4「あのぉ、部屋の鍵頂いてないんですけど…
ガイドさん「ちょっとどういうことなの!(現地ガイドに詰め寄る)」

カオスだ……ガイドさん大変だなぁ(他人事)
などと思いつつ、チェックインをしたいのになかなか人がいなくならないため、私と友は休憩も兼ねてゆっくりとソファーに腰かけていた。
ようやく人がいなくなったところで、チェックインをする。受付の人は苦笑気味に、「待たせてごめんね」と言ってくれた。優しいねぇ……友と私はほっこりした。鍵を受け取り、ついでに尋ねる。

「あのさ、ドルから両替してもらえるかな?」
「もちろんさ!」

友がドル紙幣を差し出すと、どうやら現金がそれほどなかったらしく、受付の人は数枚のドル紙幣を戻して両替してくれた。
空港では受け付けてくれなかった、くしゃくしゃのドル紙幣が、これまたくしゃくしゃのスム紙幣に変わった瞬間であった。
事前準備編で「え、ドル紙幣はピン札じゃないと両替してもらえないの…?」と不安に思った諸君、安心したまえ。タシュケントでもブハラでもサマルカンドでも、ホテル銀行問わずくしゃくしゃのドル紙幣を両替してくれる。
ちなみに写真はサマルカンドの銀行だ。車がいなくなる瞬間を狙って撮影したのだが、道路も結構広く整備されている。所々穴ぼこがあるけれども。

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荷物をホテルに置いた我々は、ロビーで休憩したため体力も存分に回復していた。さぁいざ街に繰り出さんと、意気揚々ホテルを出る。
地図を見る限り、ホテルは観光地区から多少離れているものの、十分徒歩圏内だ。これなら行けると、私と友は道路を渡ろうとした。
……渡ろうとした。

――――こっっわ!!!

ブハラは非常に呑気な土地柄だったのか、それとも我々がこぢんまりとした観光地の外に出なかったせいか、それほど車の通行に恐怖を覚えることはなかった。だが、ここサマルカンドは車の勢いが凄い。歩行者用の信号があるというのに、構わず突っ走って行く。そして、そもそも歩行者用の信号も非常に数が少ない。
異国の地で命を落としたくはない。命を落とさないまでも怪我はしたくない。
我々は早足で道路を渡る。また渡る。そして渡る。

道路は怖いから、公園の中を歩く。

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大通りにはど真ん中に遊歩道があり非常に歩きやすいが、そこから抜け出すためにはまた道路を渡らねばならない。

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わかるかな、実はこれ、公園じゃなくて遊歩道なんだ。もはや公園に見える、というか私はしばらくここでのんびり茫然としていたい。と思わせるほど穏やかな景色だ。だが、ここに居座ってしまっては折角のラピスラズリの建物を見ることができない。我々は勇気を出して必死に道路を渡った。

麗しのサマルカンド

自動車の洗礼を受けた後は、栄えある建物に巡り合うことができる。私の個人的一押しその1は(1つちゃうんかい)、アミール・ティムール廟(Amir Temur)である。

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勿論他の建造物も非常に麗しいのだが、この廟、中の装飾が他と比べても一際見事だ。

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金。

青と、金。

麗しすぎるだろ。ラピスラズリは勿論としても、ここまで金をふんだんに使った建物はここだけである。派手なのに派手に見えないんだよな……不思議。
そして小さなことではあるが、ここの展示が3D技術を駆使していて非常に先進的であった。あれ、日本負けてる…? 勝ち負けの問題ではないはずだが、正直そんなことを思ってしまったのも仕方がないと思う。
歴史とSFの融合はずるい――中二心が震えるぢゃないか。

そして、お勧めのスポット第2弾ビビハニム・モスク(Bibixonim Masjidi)。
嘗てイスラーム世界で最大規模を誇ったモスクで、サッカー場もすっぽり入る大きさだ。
私たちが到着した時には結婚式の撮影もしていた。めっちゃ可愛い奥さんと、あまりパッとしない男性――ごほん。とりあえず奥さんめっちゃ可愛かった。美人だった。

あ~可愛いな~、とほのぼのしていた我々に、一人の男性が声を掛けてくる。

「Take a photo!」

え、写真撮ってくれるのかな? と思ったが、どうやら違うらしい。
ニコニコとした顔で告げられた言葉。その心は

「一緒に写真撮ってくれよ!」

え? 我々はハリウッドスターか?

そんなことを思いながら、見知らぬおじさんと写真を撮る。一体何なんだ。

中庭を囲む大きな壁には小さな戸口が並んでいる。モスクだった頃は神官の住まいだったらしいが、今は全て土産物屋が入っている。
他のモスクでも場所によっては2階まで登れるが、神官学校になっていたりして入り辛い。このモスクは2階も店舗になっているので、一度別の店舗に入る必要はあるが、しつこい勧誘をのらりくらりと躱せば2階まで上がれる。

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ちなみに私はこの写真の中に映っている男性から手縫いのショールを買った。まあまあ値引きして貰った。2階だからか、あまり客が来ないのだそうだ。あとは現金の持ち合わせがなく、さらに1階のATMを使おうにもキャッシングできないタイプのカードしか持ち合わせがなかった私の強運のお陰であった。ちなみにここではドル紙幣も受け付けてもらえた。多分ドル紙幣の方が欲しいんだろうな。

この近辺には様々なランドマークが密集している。市場もあり、活気にあふれている。そこで、十代後半と思しき少年が声を掛けてきた。

「ねえ、君たち日本人?」
「うん、そうだよ」

どうやら少年は友人が日本に留学しているらしい。すごいねえ、と話をしていると、少年がとうとう切り出して来た。

「あのさ、君たち何歳?」
(ナンパかい! 薄々気が付いてたけども!)

そんなことを思いながら、我々はにっこり尋ねた。

「何歳に見える?」
「うーん…21歳かな」

ずいぶんと若く見られたものである。ちょっと楽しくなりながらも、我々は正直に年齢を告げた――途端、少年の心の距離が10mほど開いたのが手に取るように分かった。どうやら少年から見れば、我々はオバサンだったらしい。
残念だね、異国の地で一夜の楽しみにふける趣味はないのだよ。はっはっは。

腹が減っては戦ができぬ

買い物を済ませた私と友は、暑い中でひーこら言いながらシャーヒズィンダ廟(Shohi Zinda Ansambli)に向かった。Google Mapはなかなか役に立たないので、Yandex Mapsを活用する。が、途中で心が折れた。

無理。暑い。お腹空いた。

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事前に友がネットで発見したお勧めのチャイハナである。ちなみにここ、サマルカンド滞在中に毎日食事に立ち寄った店である。クレジットカードも使えるが、なぜか休日になったらネット回線が落ちて使えなくなるので注意が必要だ。食事も美味しく、そしてとても可愛らしい働き者の女の子(私の推しだ)とイケメンの子煩悩なパパ(友の推しだ)を眺め楽しむということもできる。
ここで食事を堪能し満足した我々は、気を取り直してシャーヒズィンダ廟(Shohi Zinda Ansambli)に向かった。はずだった。

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ここどこだ。
シャーヒズィンダ廟は見えているのだ。だが、中に入れる戸口――降りれる場所がない。我々が辿り着いたのはシャーヒズィンダ廟の裏手にある墓地だった。
いや、絶景なんだけど。普通にシャーヒズィンダ廟に辿り着いてしまったら見えない景色を見られているから、お得と言えばお得なんだけど。
問題は、死ぬほど暑いということである。
お分かりいただけるだろうか――写真に描き出されている、真っ青な雲一つない空を。日陰もない足場の悪い坂道を、出口も分からないまま、ただひたすら歩く――拷問かと言いたくなるほど体力が削られていく。
そうしてどうにか辿り着いた廟は、とても綺麗だった。隆盛を極めていた当時をそのまま見てみたかった――と思うほどには、世界が青一色である。

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プロの写真家ではないから撮影機器の性能に頼るしかないが、プロの写真家の写真を見たとしても、実物の方が圧倒的だと感じるほどだった。ただ、人がものすごく多いのでスリには注意が必要だ。
警戒心は残しながらも堪能していた我々に、子供を抱えた男性が声を掛けてきた。

「Hey!」

――もしかして。
何となく察する我々。

「写真、一緒に撮ろうぜ!」

何故。
何故なんだ、と思いながら、男性と男性の抱えた赤ちゃん、そして友に私という謎な4人組で写真を撮る我々。
その後も、我々は妙に色々な人から写真をせがまれ、ハリウッドスターのように写真撮影に答えながら、観光を楽しんだ。基本的に写真をせがんでくるのは男性ばかりで、女性はヒジャブを着た観光客集団に1度声をかけられただけだった。恐らく、彼らの教義が理由ではないかと推察する。女性は写真に顔を残してはいけない――みたいな感覚があるのではなかろうか。

人混みの中では多少スリが気になったものの、サマルカンドは非常に治安も良い印象が強い。夜景もライトアップが綺麗だと言うので、我々は日が暮れてからも観光を続けることにした。
ぷらりぷらりと中心にある歩行者天国を歩いていると、二十代前半と思しき男の子1人、そして女子数人のグループが我々の後ろから追いついて来た。

「やあ、君たち日本人?」

そんなに日本人ぽいかな。などと思いながら、我々は「そうだよ」と頷く。
日本っていい国だよね、サマルカンドは楽しんでる? などと色々な雑談を交わした後、少年はわが友に尋ねた。

「君、彼氏はいるの?」

おい少年よ、わが友は人妻だぞ。
そんな私の心の声が聞こえぬまま、少年は更に言葉を重ねる。

「何歳?」

年を訊くのは君たちのマナーなのかい?
思わず遠い目になりながら、何歳に見えるかと尋ねる。今度は、「23歳くらい」と返事があった。どうやらナンパする人間は、自分と年齢が近いと思って声を掛けてくるようだ。

「君は彼女いるんじゃないの~ww」

友が適当に返事をする。さすがに同級生の女の子たちと一緒では勝手が悪かったのか、少年と少女たちは我々が「別の場所に立ち寄るから」と告げたらそのまま立ち去った。
やれやれ――と思ったその矢先、目の前から走って来た自転車3台の男性陣(恐らく二十台後半であろう)が我々に向かって叫ぶ。

「Hey! Japanese!!」

あ、やべ。これ戻って来るぞ。

我々の直感は正しかった。すれ違った自転車は、いつの間にかUターンして戻って来る。男性3人は自転車に乗ったまま、徒歩の我々にスピードを合わせて矢継ぎ早に質問を繰り出して来る。
曰く、サマルカンドは気に入った? 僕は中国人の彼女がいるんだ、だけど残りの2人は彼女がいなくてね――年は何歳? 25歳くらいに見えるけど。

やはり年代問わず、ウズベキスタンのナンパ男たちは年齢を尋ねるようである。
適当にはぐらかしていると、男は更に突っ込んだ質問をしてきた。

「ホテルはどこ?」
――それはトップシークレットだ、愚か者め。
「あそこにレンタル自転車があるんだけど、お金出すから一緒に街を走らない?」
――歩く方が好きなんだ、残念ながら。
「お酒は好き?」
――それなりにはね。
「良い店知ってるから、今から一緒に飲みにいかない?」
――お腹いっぱいだからお断りするわ(というか貴様らの教義はどうなった?

お国柄、スーパーマーケットにもアルコールがない場所である。それにも関わらず、アルコールを出す店に連れて行かれる――?
碌でもない臭いしかしない。
まあ、何故彼らが海外の女性をナンパしまくるのか予想はつかなくもない――が、あいにくとこちらもそれに乗る気は全くないのである。
日本人女性に対してナンパをする宜しくない現地男性の注意喚起が見られるイタリアやスペインでも、道を尋ねられる以外声を掛けられたことのない私と友が(何故観光客に道を尋ねるのか、これも不可思議である)、ウズベキスタンではモテまくりだ。しち面倒なことこの上ない。
適当に言いつくろって彼らと別れた後、我々は夜のライトアップを見るため、無事にウルグベク・メドレセ(Ulug 'bek Madrasasi)に到着した。音楽も大音量で流れ、なかなか見ごたえはある――が非常に長い。

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ここでもナンパの憂き目に会いそうになったが、ウンザリしていた我々は足早に少し離れた場所をすり抜ける。その後は妙な集団に声を掛けられることもなく、ホテルに向かうことができた。

サマルカンドは広い。1日では物足りず、最低でも2日は欲しい街だ。
我々はチャイハナだけでなく、ちょっとしたレストランにも足を運んだ。
冒頭で紹介した、道路が怖すぎて歩いた公園の中にある店である。このレストランはミュージックレストランで、生演奏を楽しみながら食事を楽しむことができる。悲しむべくは、ウズベキスタン語しか通じない(そして偶にロシア語も)という点である。英語のメニューはないので、頑張ってメニューを読解し指さしで注文をするか、頑張って発音に挑戦してみるしかない。
ラムのシャシリクを注文したにも関わらず、誤ったオーダーで鶏のシャシリクが届けられ、結局それもサービスして貰った(腹ははちきれそうになった)というアクシデントもあったが、ウェイターたちは非常に丁寧で好感度も高い。料理も美味しく、お勧めの場所だ。
そう、言葉が通じるナンパ男たちよりも、このレストランは最高だった。
言葉が通じなくとも、食事は美味しく心は通じ合う。

「踊ろうぜ!」

隣のテーブルの人々にジェスチャーで誘われ、私と友ははちきれそうな腹を抱えたままおもむろに立ち上がった。大音量で鳴り響く音楽、そして人々は幸福な気持ちを抱えたまま思い思いに体を動かす。

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サマルカンドの夜は軽快な音楽とダンスに更けていくのであった――。


最後はタシュケント編です。


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