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雨のち晴レルヤ

「どちらまで?」
「○○第一サッカー場まで」

たまの日曜日、まだ朝の8時。なんとか捕まえたタクシーに飛び乗る。空はどんよりとしており、「バケツをひっくり返したような」なんて言葉じゃ済まない豪雨が窓ガラスを叩く。

普段の私なら、こんな日は頼まれてでも家から出ないだろう。だがその日は何がなんでも観たい試合があった。私が贔屓にしているクラブのユースチームの試合だ。

意地でも行きたかった理由は様々あった。
まず私の贔屓クラブが、その年に戦術をがらりと変えたことが大きい。トップは変わろうとしている、ではそこに選手を明け渡すユースは?とも思っていた。また、サッカー選手であることをたやすく諦めた私にとって、プロになることを現実的な目標と捉えてボールを追う高校生たちはどんなプレーをするのか。単純に興味があったというのもある。
「なんでこんな大雨の日に?」
そうした様々な理由が積もりに積もって背中を押した日が、よりによって大雨の日だっただけだ。

この時はまだ2年生を主体とするBチーム同士の試合だとは知らず、眠気も降りしきる大雨も気にならないくらい楽しみにしていた。

「サッカーやるんですか?この大雨で。」
「えっ?ええ、たぶん…」

いきなり運転手が質問してきた。話しかけてくるタイプか。正直苦手だ。

「サッカー観るんですか?」
「ええ、し、知り合いの弟が出るものでして。」

我ながら苦しい嘘だ。
けれど、「ユースチームが見たくて」と言っても運転手はピンとは来ないだろう。

「ふーん。まあ、やるでしょうね。私も息子のサッカー観に行きますけど、この雨ならやりそうですし。」

前言撤回。
おしゃべりな運転手は苦手だが、サッカー好きの人なら大歓迎だ。

それから運転手と私は延々とサッカーの話をした。
といっても、バルサがどうとかサムライブルーがどうだとかの話ではない。運転手の息子の選手人生の話だ。

「そりゃ大変ですよ。上手くいかなかったら家でモノにあたったりしますから。」
「あぁ、でも私もそんな感じでした。結果出ない時は特に。息子さん、ポジションどこなんですか?」
「ああ、サイドです。生意気に10番なんて背負って。」
「えっ、すごいじゃないですか。」
「でもねえ、なんかコーチが違うポジションやれって言ってきたらしくて、それでまた怒るんですよ。」

それからずっと、顔も見たことのない、わがままなNo.10の話を続けた。
じきに目的地、というところで、運転手はこう呟いた。

「でもなんだかんだ言って親としては嬉しいですよ。アイツ、だんだん顔つきもキリッとしてきてるし、そもそもイライラしても悔しくても充実してそうですから。」

その時の私は、話に区切りをつけようとして上手くまとめたな、とだけ思っていた。

タクシーから降りると、もう試合は始まっていた。
運転手の言う通り、土砂降りの中でも選手たちはボールを追っていた。
3分も経たないうちに、私は食い入るようにゲームを見ている自分に気がついた。とにかくレベルが思った以上に高い。規律が窺える立ち位置のとり方、雨でもブレないボールタッチ。プレーしているのはプロではないとか、スタンドらしいものも無い簡素な感染環境だとか、そういうのはどうでもいい。
「楽しい」
おそらく、言葉に出してたと思う。少なくともニヤつきはしていたはずだ。

その中で1人、気になる選手がいた。
24番の青いユニフォームを着た小柄なウィング。私が好きなクラブの選手だ。初速が速く、スピードを上げてもボールタッチがブレない。ドリブルの時にピンとした背筋もいい。何より果敢に仕掛ける気の強さが好みだった。

けれど、決して突出した選手ではなかった。
それにサイドでの攻防の旗色も良くなかった。相手の水色のチームのサイドバックは対応が上手く、またボールを持ってもプレスなどないようにゲームを組み立てる。残念だが、彼は果敢な24番の選手を上回っている。
スコアも彼ら2人の差を反映するように、水色が2点のリードをつけたまま時間は過ぎていった。

「ああ、クソっ!」

ある時、痺れを切らしたのか、ボールを失った青の24番が叫んだ。
若いなあ、とも思ったが、それもまた負けん気の強さゆえと思うとすごく好感が持てた。
仕掛けても仕掛けても、こじ開けられない相手SBの壁を前にしても、24番は試合中ずっと仕掛けることをやめなかった。言葉を選ばず言えば、しつこいくらいだった。

すると、彼のしつこさが試合を好転させる。彼が仕掛けている時間を使ってチームの陣形はじわりじわりと位置を上げ始め、ボールを奪う位置と頻度も上がっていった。

豪雨も通り雨だったようで、眩しいくらいの日差しが降り注ぎ始めた。照らされた人工芝がまぶしくなった頃、24番はついに水色の選手を置き去りにした。
「行け、行け」
声を出していいのかわからなかったので、心の中で24番に声援を送った。ついさっき閉じたビニール傘を握る手に汗を感じながら。
結局、24番の突破が元で得た青のコーナーキックから逆点弾が突き刺さってゲームは終了。
私のユース初観戦は、いささか出来過ぎなくらいの内容だった。

時は流れて、あの時の24番は、また雨に濡れていた。
同じ青いユニフォームを身にまとって。
背中にはより大きな番号を背負っているが、舞台はより大きなスタジアムだ。カクテルライトに照らされた彼は、あの時より随分しっかりした身体つきになっていた。

相手はまたあの水色のチームだった。
今度は残念ながらあの日とは違い、追い上げられず負けてしまった。
彼はあの日のように悔しさをあらわにせず、ただ肩を落としていた。

私は私で、やるせない思いでいっぱいだった。
それこそ悔しさで声を出してしまいたかったくらいだ。
けれど、雨に打たれている大きな番号の小さな背中を見て、なぜだかあの日の運転手を思い出していた。

「イライラしても悔しそうにしても、充実してそうですから」

あの言葉は決して、上手く話をまとめたくて出たものではなかった。偽らざる本音だったに違いない。家路について寝る間際、敗戦を振り返りながら私はそんなことを考えていた。

元・24番の彼は知っているだろう。
雨は上がり、じきに晴れることを。
突破できなかった壁も、じきにこじ開けられることを。
晴れ間が見えなかったとしても、彼はまたその負けん気とともに仕掛けるに違いない。

やがて彼にとっても、このチームにとっても、充実した日々だったと振り返る晴れの日が来るだろう。
その時まで、私はこの雨ざらしになったチームと、大きな背番号のウィングを見届けていくつもりだ。

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