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隣近所が2万㎞離れた人、なんて当たり前な時代に思う事

2万㎞というのは地球の外周の半分。
つまり自分の住んでいる場所の真裏にいる人と関わる事が出来る時代になったということ。

そんなの随分前からだよと言う人はきっと多いのでしょうが、
私はずっとその社会の流れに乗れずにいます。

自宅待機、テレワークが進む中、
コミュニティはネット社会で作っていくことが普通になりつつあります。

ネット社会という言葉すら死後になっていると思える位、
そちらの世界で行動することが当たり前に見えるのです。

自閉症スペクトラム障害である自分としては、
昨今のオンラインコミュニティの拡大化に思考が追いついていません。

ネット社会が世間に広がり始まった頃、
私はまだ住んでいる場所の周りだけが人間関係という認識でした。

ネットはコミュニケーションの上手い人、
そっちの世界が好きな人の「広場」であって、
私とは住む世界が違うと思っていました。

あくまでも知りたくても知れない情報を得るための便利な物。
コミュニケーションとは切り離して利用するのが日常でした。

10年位前からですかね。
急にネットの世界が現実を侵食している感覚を受けたのは。
自分の周りでSNSや出会い系アプリを当たり前に使う人が増えたからです。

その時も自分は抵抗があり、周りに合わせる事はしたくありませんでした。
そもそも知り合っても喋る事なんて思いつかない。
顔も見えない人と関わる事に抵抗が無い人の方が信じられないと感じてました。

ただ以前と比べて認識の部分で違う所がありまして。
近くでそちらの世界を当たり前に利用している人の表情を見て、楽しそうに、過ごしやすそうに見えたのです。

実際親戚はSNS経由で今も仲良くしている仲間がいて、友人は皆出会い系アプリで結婚を決めました。
あれ、これが今では当たり前なのか?と同年代の友人からカルチャーショックを受ける始末。

それからは私も後を追い、ここ数ヶ月でようやくSNSのアカウントを作ったり出来るように。
ですがネットの環境は私の気付かない間にガラリと変わり、居場所を作って当たり前に過ごしている人達に溢れていました。

今の私は広場の中央で賑わっている光景を遠いところから眺めている状態です。
正直オンラインの世界に溶け込むのはまだ怖いし慣れません。

隣近所とはトラブル無くそつなくニュートラルな関係性を築きたいと思っている私には、途轍もなくハードルが高いです。

実生活ではコミュ障だけどネットでは生き生きしていると話す人は、間違いなくコミュ障じゃないのではと。
感情を乗せにくい文章で親しく付き合えるのなら、高次元な事が十分に出来ているんじゃないかと思えて、私から見ると素直に羨ましいです。

そういうコミュニティとは距離を置いてきた私は根本から勉強し直さなければ入ることもままなりません。

自分の価値なんて、狭いコミュニティにさえ受け入れられていればいい。
それだけで幸せ。なんて思っていました。

職場の面接の瞬間だけエネルギー振り絞ってアピール出来ればそれでいいんだ。受かってその後社内の人間関係に溶け込めなくても。
手のひらで数えられるほどの信頼している人にさえ受け入れて貰えたら。

でもこの1年でその価値観は消えて無くなりました。

自分がどれだけ価値のある人間か。
信頼できる人間か。
親しみやすい人間か。
大多数に評価される時代になったのだと。

多様性を認めようなんてことを言ってくれると勇気が出るけれど、
そう言ってくれる人は決まって周りに存在を認識され、その中央に立っている人です。

ただでさえ人と関わる事に負担を感じる私が生きていくためには、コミュ障だからと逃げ道を作る事をやめなければならない。

人間関係が苦手だなんて言っていられません。
他の人に価値ある何かを貢献できる余裕を持ちたいです。
とにかく観客席からステージに移らないと何も始まらない。

もし私と同じように恐怖心を抱えている人がいたら、こんなネット初心者もいるので安心してもらえたら嬉しいです。

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