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ひとり注文して食べるフードデリバリーの味気なさ

過去7回。これまでのUber Eatsの注文履歴を確認してみたら、わたしの利用回数はまだ7回だった。

会社員時代、社内のイベントなどに合わせてフードデリバリーで発注したことはあるものの、個人で利用し始めたのは今年に入ってから。自分はまだまだ、フードデリバリー初心者だ。

周りの友人からはUber Eatsをよく利用しているという話を聞くので、過去7回という数字は比較的少なく思える。自分と同じ年齢層で都内に住んでいる人の多くは、わたしよりもずっと早くUber Eatsに慣れ親しんでいるのではないか。そんな気がしている。中心市街地に住んでいるひとには、このサービスはどんどん浸透しているみたいだ。

その一方で、いまだにフードデリバリーに慣れ親しむことができない自分がいる。

もちろん、家から出ることなくおいしいご飯を食べられるのは大きなメリットだ。玄関前に置いてもらえば対面すらしないので、髪の毛ボサボサでもテキトーすぎる服でも、前日シャワーを浴びないまま昼を迎えてしまった日でも大丈夫。なんにも気にせず、手間をかけず、美味しいご飯にありつける。まだ慣れていないから、便利がすぎてこわいくらい。

便利なのは紛れもない事実で、「Uber Eatsしたいなーしようかなー」と思う日でいえば月に何回もある。それなのに、アプリを開いて店舗とメニューをひたらすら眺めて閉じるという行動を、自分はこれまで何度も繰り返してきた。

メニューを眺めるだけ注文に至らないのには、まず金額面の問題がある。「なんやかんや高くつくなあ」と思うと、家にあるレトルト食品や食材を組み合わせてテキトーご飯をつくるか、もしくはコンビニで買おうかという気持ちになるのだ。

そしてもうひとつ、“便利すぎる”ということも含めてフードデリバリーの味気ない感じにまだ慣れなくて、いまいち好きになれないというのもある。 

たとえば、言ってしまえば顔を合わせることなく料理を届けてもらうこともそうだし、玄関前の地面にご飯の入った袋を置いてもらうこともそう。そして何より、せっかくお店の人に作ってもらった美味しいご飯をひとり自室で食べるというのが、どうしようもなく味気ないのだ。

もし同じ料理をひとりで食べるなら、自宅で食べるよりもお店で食べた方が何倍も何十倍もおいしく感じられると思う。同じ店の同じ料理でも、盛り付けられるお皿や見える景色が違うだけで、不思議とおいしさも変わってくるもの。せっかくなら出来るだけおいしく食べたくて、お金かけるならお店で食べたいなという結論に至ることが多い。

今のところ、わたしがUber Eatsを利用する機会は月に1〜2回程度。たとえば二日酔いで動く気力がない日とか、家にいながらどうしてもジャンクなものを食べたい日とか、仕事に追われすぎてどうしても精神が無理な日とか。

だけど、もし誰かと住んでたらまた変わってくるのかなとも思う。ひとりじゃなければ自宅で食べるのだって寂しくないし、料理もいっぱい注文して分け合えるのに。

もはや一緒に住んでなくていいので、誰かと一緒にフードデリバリーを存分に満喫するのが夢。そしたらきっと、フードデリバリーに対するイメージも変わるかなぁ。


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