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綺麗な部分を描きつつも、他をなかったことにしない文章を

物事の捉え方は、そのひと次第。だから同じ世界を生きているはずなのに、自分じゃない誰かは全く違う側面を見ていることもある。たとえば、いいところに目を向けるのか、悪いところに目を向けるのか。意識の向け方によって、見える世界は大きく違ってくる。

そしてそれは、書く文章にも表れる気がしている。たとえば、この世界の美しさを見せてくれるような文章を「書ける」のは、その美しさに「気づける」から。物事のいやな部分ばかりじゃなく、ポジティブな側面に目を向けられるひとって素敵だ。

自分はというと、ときには「世界ってこんな美しいの!」とか「こんなにおもしろいんだ!」なんて大発見みたく思うこともあるけれど、そこまで愛のある眼差しで世界を眺められてはいないと思う。自分勝手な色付きフィルターを通して歪めて見るせいで、この世の美しさやおもしろさをいくつも見落としてきたような、そんな感覚がある。


でも一方で、自分から見えた世界を綺麗に書くだけじゃ、だめなのかもしれないと思うことがあった。最近、SNSである文章に怒っているひとを見つけて、人を不快にさせない文章のむずかしさを感じたのだった。

たとえ自分には綺麗に見えた出来事を書いたとしても、みんながみんな同じ見方をしてくれるわけじゃない。そこに別の側面を見て「綺麗なんてもんじゃない」と思っているひとだって、なかにはいるのだ。そういう場合、心を込めて書いたはずの文章は不快なもの・怒りを感じるものとしか受け取ってもらえなくなってしまう。そんな気持ちになってもらおうと書いたわけじゃなかったとしても。


この世界のものごとの綺麗な部分に意識を向けて書くこと。でも、だからといって他の側面をなかったことにしないこと。それは矛盾しないと思うけれど、簡単なことでもない。自分がまだ知らない側面、別の誰かの視点に気づくのは難しくて、すぐにできることじゃないと感じる。

だからせめて、もっといろんな見方と生き方と人生があることを知る努力をしようと思った。知る努力を通して少しずつ想像力を育てたい。理想論にしかなってないけれど、いまの自分はそんなことを考えている。



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