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親知らず抜いた話

1ヶ月くらい前に、親知らずを2本抜いた。同じく先月、友達の結婚式の直前に下の親知らずが腫れて散々な思いをしたので、延々と先延ばしにしてきた抜歯を決めたのだった。

抜歯後しばらくは奥歯のあった場所にできた穴が気になって仕方なくて、洗面台の前に立つたびに口を大きく開けて穴ぼこを確認してみたり、舌でなぞるみたいに確かめたりしていた。それから1ヵ月経ったいま、歯のあった場所は着実に歯茎に置き換わっていて、穴はほぼ塞がりつつあることが自分でわかる。

抜歯後の穴には食べ物が落っこちやすくて、食後は必ず歯磨きするか、グジュグジュうがいをせずにはいられなかった。それが不快で面倒で、早く治ってくれと願っていた。でもそれがこうして塞がりつつある今、なんだか寂しさにも近い感情が湧いてきて、不思議な気持ちでいる。穴がほぼ塞がった歯ぐきを、また舌でさわる。

はたと、この感覚って何かを失ったときの気持ちに似ているなと思う。この空洞みたくぽっかり空いたいつかの喪失感も、いまやもう埋まりつつあることを思い出す。傷跡が残っていた方がまだ忘れないでいられるのに、治って忘れてしまえばなかったことみたいになるのが悲しい。でもわたしは、それを確実に忘れていく。

引っこ抜いてもらった歯は、歯の形を模した白くてちっこいプラスチックケースに入れて持ち帰ってきた。歯科医の先生が「持って帰る?」と聞いてくれたので、迷わず持って帰りたいですとお願いした。親知らずって磨き残しが多くて汚いのではと思っていたけれど、抜けた歯は意外にも綺麗だった。

歯は、骨と同じような成分でできていると聞いたことがある。持って帰ってきた歯は自分から切り離された一部って感じがして、もっといえば遺骨みたいで、可愛くて愛おしい。表面に入ったシワシワの溝も、歯根という名前通り根っこを思わせるようなキュッとした付け根部分も。家に帰った後は、形を確かめるように触ってはしばらく眺めたりしていた。わたしが跡形もなく消えてしまうようなことがあれば、これを遺骨だと思ってもらおう、とかいう妄想もした。

「親知らず」といえば私にとってはずっとチャットモンチーで、高校生のときに友達がバンド組んでステージで堂々と歌い上げていたのがとてもカッコよくてキラキラしていたのを覚えている。親知らずが生えてきたよ、怖いから歯医者には行かない。その女の子は少し前にお母さんになったと聞いた。あの頃からずいぶん遠くまできたものだと思う。

あの曲の歌詞と自分の家庭は全く被らないはずなのに、それでも「親知らず」を聴くと、実家の窓際に飾られた1枚だけの家族写真が思い浮かんで、なんでかわからないけど泣きたくなる。妹が七五三かなにかで、家の前で撮ってもらった写真。そこには平凡でありきたりで、それなりに幸せな家族が写っていて、そんなときも確かにあったのだと教えてくれている。本当に、ずいぶん遠くにきてしまったなあと思う。話の脱線の仕方も。

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