もしお金があったら費やしたいと願うなにか

社会人になって迎えた4月から5月にかけての2ヵ月間、わたしはとにかく金欠で、初の給料日となる5月末を心待ちにしていた。

新卒で4月に入社したときのわたしは、なぜか4月末にはお給料をもらえるものと思い込んでいた。でも、実際の給料日は2ヵ月後。つまり、5月末の給料日までの2ヵ月間を、手持ちのお金で過ごす必要に迫られたのだった。

入社前の3月頃、残り少ないバイト代は、大学生最後の春休みを満喫するというありがちな野望によって消え、口座にはほとんど残っていなかった。たしか残高が2〜3万円ほどだった気がする。

そんな家計状況ゆえ、少しでもランチ代を浮かせようと、当時は毎日のようにお弁当を作って持っていった。

お弁当を作れなかった日はコンビニでお昼ご飯を買うのだけど、そこでもつい安いものを選んでしまう。数百円どころか数十円ほどの違いで、食べたいものとは別の食品を選ぶこともざらだった。

その頃は、コンビニでも飲食店でもドラッグストアでも、レジでお金を払うたびに「お金を使ってしまった……」という焦りがあった。減っていく残高を見て、また焦る。支出を把握しないのが怖くて、使ったお金は必ず、スマホの家計簿アプリやら手帳やらに記録していた。

そうしてマメでケチな生活を貫き、なんとかお金のない2ヵ月間を乗り越えることに成功。……でも、それから丸2年に満たないタイミングで、まさかの金欠生活(2度目)が始まった。


社会人2年目にして、ほぼ勢いでフリーランスになることを決めたわたし。結果、月収が10万ほど下がる事態に直面したのだった。

そのときは都内で一人暮らしも始めていたから、以前にも増してお金は出て行くばかり。「もしお金があったら」「稼げるようになったら」と、持ってないお金の使い道を考えて日々を過ごした。

今より稼げるようになったら、「食費にお金をかけよう」とも思っていた。食費といっても、外食にお金をかけるわけじゃない。食品、食材、調味料をケチらずに「ちょっといいもの」を選びたいという気持ちだった。


それから数年が経ち、いまは毎日のように家計簿アプリとにらめっこする生活からは解放された。決して贅沢はできないし不安定でもあるけれど、それなりに生活はできている。

たとえば古本屋さんでしか本を買えなかったのが、本屋さんで買うことができるくらいにはなった。

その一方で、収入が増えたからといって、以前思い描いていた“ちょっといい”食品だとか調味料だとかを買う自分には、不思議とならなかった。

「いつかお金が入ったら」と思ってる何かは、一見欲しいものに見えて、実はそれほど欲しくないもの。ということもある。

「いつか金が入ったら」「もしも稼げたら」には、「いまはお金がないからいいや」のニュアンスが隠れている。現段階で他より優先順位を低く設定して諦めている時点で、きっとどうしても必要ってわけじゃないのだ。

自分が本当に求めているものや、生涯をかけてお金を費やしていくもの。それは、たとえお金がなくとも、なんらかの方法で手にしてしようとしている“なにか”なのかも。


逆にいうと、心からほしいもの・見たい聞きたい触れたいもの・得たい体験には、「いつか」なんて言わずに、なんとかお金を抽出してでも手にしたほうがいいとわたしは思う。

そうしないと、本当なら生涯かけてお金を費やせるほどに愛せたはずの何かが、どんどん遠ざかってしまう気がするのだ。

「推しは推せるときに推せ」みたく言うならば、「好きなもの(ひと)を好きなときに、好きという感情を注げ」ということ。

現に、これまで金欠を理由にしなかったあれこれを今になって「すればよかった」と後悔する気持ちが少なからずあって、そのとき得られたはずのなにかは、もう取り戻せないのだという感覚がある。

お金があろうとなかろうと、本当に必要なものにお金を使いたいなんて、当たり前すぎることを思ってしまうな。

そうはいっても、またいつ金欠生活に逆戻りするかわからないし、もっと困窮するかもしれないし、そのときの自分がどう思うかはわからないけれど。

できることなら、未来の自分が「よくぞこれにお金を使った!」と思えるような、後悔しない使い方をしていけたら。




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