いちなな

【サッカー】×【教育】 杉田菜々子といいます。 サッカーとUVERworldと走るこ…

いちなな

【サッカー】×【教育】 杉田菜々子といいます。 サッカーとUVERworldと走ることが好きです。 ホンモノならいつか見つかる。 見つける。

最近の記事

言葉集め

小さい頃、親に言われた悲しい一言とか。 中学校の先生が言っていた感情的な言葉とか。 恩師がくれたお守りのような言葉とか。 本のタイトルとか。 ふとした瞬間に、誰か からもらった言葉を拾い集めて、今の自分の意思や価値感があるのかもしれない。 自分が自分に納得していない時は、 特にその「言葉集め」を悪い方で過剰にしている。 放つ言葉が、どれだけプラスの言葉であっても、 自分の言葉ではないから、何だか自分でも説得力もなく、腑に落ちない。 確かに同じ事を思っているはずなんだけど

    • 【第一章】~完~

      たった、14年。たかが、14年。 選手として10年。 指導者として4年。 "ヘタクソな事なんて、どうでもよかった。” ピッチを見る目だけはいつだって輝いていた。 目の前にあることの有り難さに気付けず 自分の自信のなさをめいいっぱい隠して 笑わない日々を過ごしていた生意気なサッカー少女だった。 本当に勝手だった。 サッカーの本質に 本当の意味での面白さに 気付き始めたのも、笑えるようになったのも、大人になってからだった。 それでも 勝手に ずっと 続くものだと思って

      • 少し大人なキミへ。私を 指導者 にしてくれた君へ。

        少しだけでもいいから、 挑戦して、 失敗から学んで、 傷を負って、涙を流して、 想いを背負って、 強くなってください。 でもね キミが頑張れるサイズは決して見誤っちゃダメだ。 身体が保っても、気持ちが保たない場合がある。 挑戦して、毎日めいいっぱい殴られて、悲鳴をあげることもままらなくなって、君の気持ちが壊れそうになったら、 その時は、逃げるんだよ。 なりふりかまわず逃げるんだよ。 逃げた先で、次の一手を考えればいい。 生きてさえいれば、必ずまたチャンスは巡ってくる。

        • サッカーと営業

          ――大嫌いなはずの数字の話。 私は20歳の2月にサッカー指導と営業を行う会社に飛び込んだ。 「スクール」といえば、単に初心者の子供達に指導する仕事だと当初は思い込んでいたし、指導者という職種をそこまで深くは考えていなかった。 しかし、そこで目の当たりにしたのは指導者としての業務よりも営業者としての立場の大きさ。 「普及活動」であるからには、当然だと言われてしまうかもしれないが、 自分自身その営業といわれる仕事を 食わず嫌い していた。 「うちのクラブでサッカーやりま

          10歳の彼女からもらったココロの話。

          自然災害の報道をTVで流す時の 「※しばらく津波の映像がながれます」のあれ、 子供の頃は、被災を受けた方に対する配慮としか捉えていなかったが、さらに深く考えるようになった。 TVやスマホで悲しい情報や映像が目に映ると、 誰もが心苦しい気持ちになるのは、言うまでもない。だがそこを、今までの私は少し甘く見ていたらしい。 というのも、 私自身、昔から人が病気になってしまう映画や そういった感動系のドラマやアニメに耐えられず涙を流したり、その後もしばらく落ち込んだりする子であった

          10歳の彼女からもらったココロの話。

          隣の芝の主に訪ねた

          サッカーを始めて15年目。 指導に携わって4年目。 地元の友達から時々言われる、「○○といえばサッカーだよね!」という言葉に、嬉しさよりも寂しさを強く感じていた。 好きなことを持ち続けている割に、「これしかないのか…」「これを放したら何も無くなるのか…」が強い傲慢な人間だと感じる。 10か月前に亡くなった兄が、「サッカーを仕事にしたら、逃げられなくなるから」とよく口にしていたことを思い出す。 サッカーを誰よりも愛していた兄は、サッカーの指導の時間をつくれる仕事を選んだ。

          隣の芝の主に訪ねた