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note始めて良かった~noteを始めた理由&来年書きたいこと

 年末の慌ただしい雰囲気に浮かれた後、大晦日のNHKで放映されるあの厳かな除夜の鐘を静かに味わい、華やかなお正月を迎える。私は、日本のそんな雰囲気や感じが好きだったんだと思えたのは、韓国に来てからだ。こちらでは、「陰暦」が重要視されているため、日本のお盆に当たるチュソクや正月を陰暦で迎える。そういうわけで陽暦のほうの元旦は、イベントという側面が強い。年末大掃除をすることもなければ、年賀状を書くこともない。お正月準備もしない。何かすると言えば、山へ行き初日の出を拝むということぐらいかもしれない。

 韓国にいると「ゆく年くる年」の実感があまり湧かないので、1年をきちんと整理して終わらせたい私は、年末年始だけは日本にいたいと思う。

 しかし、今年の年末は少し違う。今年の1月にnoteを始めて、1年が経とうとしているわけだが、日本の時季を感じさせてくれる素敵なnoterさんたちの記事のおかげで、忘れ去られていた日本人観が私の中に蘇ってきている。みなさんの、今年を振り返る記事を読みながら、私も今年一年をきちんと振り返り、新しい年を迎えたいという心が強くなった。

 ということで、またもや前置きが長々となってしまったが、今回はnoteを始めた理由、これからのnote生活、今年1年の振り返りについてお話したいと思う。

私がnoteを始めた、恥ずかしくも情けない理由とは

 長期邦人あるあるかもしれない。「日本語が下手になっている」いや、在住地の言葉を長期間使ったことによる、「外国語による母語への干渉」が正しいだろう。まさか?と思われるだろうが本当である。

 20年ほどの韓国暮らし。外国で子育てしサバイバルするために、習得した韓国語。日本語との共通点が多いためハングルの読み書きさえマスターできれば、日本人にとっては比較的習得が易しい。語順もほぼ同じ。良きか悪しきかその類似性が効してしまい、日本語と韓国語がダブることが少なくない。

 同じく長期在韓邦人の方々とお話していると、日本語の会話の中に韓国語が混じることが多々だ。この状況では韓国語で表現した方がピタリとくるよねという言葉などは、かなりの割合で韓国語になってくる。日本語を教えている知り合いは、絶対に日本語と韓国語を混ぜないよう心掛けて話す方もいらっしゃるほど。その気持ちはよく分かる。私も日本語教師という立場であるため、日本語の感覚が落ちてこないように混ぜないようにはしている。しかし、意識しなければついつい韓国語的な日本語になることがある。

 日本語教師という仕事上、学生たちに日本語でやりとりはする。しかし学生が上級レベルだといっても、せいぜい学習日本語の枠におさまる程度なので、そこはあまり問題がなかった。

 在韓邦人の多くは、日本人コミュニティーに属している。そういう方々は日本語を使う機会も多いので、日本語の感覚を維持している。しかし、私は団体やコミュニティーに属し、みんなでワイワイと楽しむタイプではないことがわかっていたため、最初からそういったコミュニティーに入ることなく、韓国人の中で生きてきた。親しくしている日本人の友人も2人ほどいるが、筆無精(今はライン無精?)の私が積極的に連絡をとることもなく、ネイティブ日本人とコミュニケーションをとる機会が少なかったため、日本語の感覚が落ちてきているのはわかっていた。

 特に、話し言葉より書き言葉に不都合を感じるようになってきた。日本語で文章を書いていると、あれ?これ不自然だよね。日本語で何て表現すればいいのかな?などと考え込んでしまうのである。母語がわからないなんて、あり得ない!とは思わない。母語であっても使わなければ下手になるのだ。大学時代、中国人留学生に「これ中国語で何というんですか?」と尋ねたところ、「思い出せない」と言うのだ。その時には冗談だろうと笑い飛ばしていたが、、今は違う。

 だから、noteを始めた。そう、日本語を書く練習をするためにだ。恥ずかしながら、そうなのだ。最初のほうの記事を、今読み返すと顔が火照ってしまうぐらいに下手だ。読んでいられない。(笑)まあ、もともと作文も得意なほうではないので、日本語が書けているとしても読み返すと恥ずかしくなるのは変わらないだろうが^^

エンディングノート書いてるの??

 と言われた。「ディープな韓国」の日本語教育に関する記事を書いている際、あやふやになっているところがあったため、在韓日本人である親友に「今、日本のブログを書いているんですけど、〇〇について教えてください」(その方はnoteをご存じない)と話したところ、「なに?エンディングノート書いてるの??」と言われた。ちなみにその方は私より八つ上(書くならそちらでしょ)。(笑)^^気のおけない私の大切な友人で、何でも気軽に話す間なので、そんなこともサラッと言い合う。

 そっかあ。そういう心持ちで書くのもいいなあと思った。エンディングノートかぁ。最近日本のヤフー記事やSNSをみていると「終活」「エンディングノート」のキーワードが目立つ。というか、目に飛び込んでくるのは、私が人生後半戦を迎えようとしているからだろう。今までは、前だけに目を向けて人生を駆けてきた。しかし、今はちがう。立ち止まって私が一生懸命生きてきた痕跡を振り返りたいと思うようになってはきていた。

私が参考にしている同世代の終活ミニマリストエリサさんのサイト


それに実際問題、いつ「生の終わり」を迎えるかわからないから、なるべく早い段階で終活をするのも良しと思う。韓国人は「生まれるのには順序があるが死ぬのに順序はない」とよく言う。当たり前のことだが、なにか私たちは漠然と「死ぬのにも順序がある」と信じて生きてはいないだろうか。そうであれば、どれだけ良いか。つい最近の悲しいニュースのことが思われてしまう。

 日本の老親のことで1,2年後は日本に戻る予定である私。韓国とは行ったり来たりすることになるだろうが、もう韓国で腰を据えて生活するつもりは今のところない。これまでの韓国生活を振り返り、文章にまとめたいという思いはnoteを始めるうえであった。

 しかし、エンディングノートまでは考えていなかった。来年は、もっと人生全体に目を向けて書いてみようかなと思う。もちろん自分よがりの文章ではなく、人生の反面教師^^として、何かひとつでも読んでくださる方に得があるような文章を。(それが私のモットーです、いちおう)

noteで心がけていること&来年書きたいこと


「他人の文章を読む」 

 一分一秒がもったいないと思えるほど、楽しいこと面白いことが溢れている世界で、他人の文章をじっくり読むのは易しいことではない。「これ面白い!」と感じ没頭してしまう文章には、どんな特徴があるんだろう。私は、「共感」「気づき学び」この二つがあると思う。

 「共感」には、気持ちをアップさせ、悩みやストレスを癒してくれるパワーがある。私も共感できるnoter(長期海外暮らしなど、何かしら共通点がある)の方々をフォローしている。(すみません、勝手にフォローしております^^)反対に私のnoteが面白いと思いフォローしてくださる方々も然りかもしれない。

 しかし、私の書く記事は、何か個人的なエピソード(苦労話などの)と、そのことから感じること思うことを主にはしていない。なぜなら、私の思考や感情パターンは、あまり一般的とは言えないということがわかっていたためだ。

 他の人に、私の意見や思いを話すたびに「ichieって変わっているよね」と耳にタコができるほど聞いてきた。「そっか。私って変わってるんだ」だから、あまり親しくない人たちの中にて、自分の意見や思いを述べることはしない。相手側が反応するのに困ることが分かっているから。;;だから、noteにおいても、あまり自分の意見や思いを大っぴらにすることはしない。

 私は「共感」よりも「気づき」や「学び」が得られる記事を書くよう心掛けてきた。韓国に関する記事も、日本ではあまり知られていないような韓国人と韓国に関する内容を扱おうと心がけてきたし、健康に関することは、自分の経験や専門家から聞いた、ためになるような内容をまとめているつもりだ。

 しかし、最近、韓国に関する話題について思うことがある。韓流ブームのおかげか大方の韓国事情がダダ洩れ^^状態だなということ。もう私が書く必要もないかと思える。だから、「ディープな韓国」マガジンは、あと2,3か月でいったん終了させようと思っている。(書きたいこと書けばいいじゃないと言われそうだが、私の思考パターンは変わっているため、こうなってしまう。)

 実は他にも書きたいことが山ほどある。それは、一風も二風も変わっている私が考える「女性」に関することだ。このことは年始にまた詳しく書くことにするが、これに関しては、「学び」的側面より「一風変わった人の考え方」としてかる~く読んでいただければと思っている。そして、昭和生まれ長期邦人の考える諸々についても書いてみたい。

 フォローしてくださる方々へ

 先にも述べた通り、あまり万人受けするようなモノの見方や書き方をしないため、最初noteを始めた時には、1年で10人ほどがフォローしてくだされば、ホント嬉しいな^^とマジで思っていた。

 フォロワー数が多い(どんどんと増える)方々の記事を見ると、強い「共感力」を感じる。多くの読者が思っていること、感じていることを察知し、その目線で分かり易く記事を書かれている。これは素晴らしい才能だなと思う。フォロワー数へのこだわりはないつもりだが、やはりそこは卑しい私^^どんな方が?どんな記事が?人気があるのか気になるのである。

 ところが!!「共感力ゼロ」の私の記事でも、ありがたいことにこの1年間で80余名の方々がフォローしてくださった。ビックリもしているし、有難いと思っている。というか、真剣に嬉しい^^のである。

 しかし、こんなことも思う。私がフォローするからという理由で、記事に興味がなくてもフォローしてくださる優しい方もいらっしゃるのかな?ということ。もしそうであれば、フォローを外していただければと思っています。皆さんの貴重な時間を奪いたくないので^^私の場合は、自分の興味の範囲外の記事を書かれているnoterさんであれば、ありがたくフォローしてくださっても、フォロー返し(というのかな?)はしておりません。本当にすみません。。

 私は、好きなnoterさんの記事はじっくり読んで、強く共感したり面白いなと思う場合、コメントを勝手に差し上げたりしています。しかし、あやしい日本語になっていたりしないか不安;;そこは先述のことをくみ取っていただければありがたいです^^

最後に!

 今年一年、noteとすてきなnoterであるみなさんのおかげで、充実したものになりました。ありがとうございます。すてきな良いお年をお迎えください。


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