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標高が上がると沸点は下がる。その影響かも、しれないねっっっ。

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たかやまさん
「混んでる」

いちがやさん
「外に観光バス停まってたから、団体のお客さんが来てるんじゃない?」

ロープウェイ乗り場への通路は、確かに混んでいる。7、80人前後は並んでいるだろうか。今日はただの平日のはずなのに。ロープウェイに乗るのに時間がかかるとは予想していなかった。タイミングが悪かったのかもしれない。

順番待ちの列に並びつつメモ帳を開いて今後の予定を思案していると、たかやまさんがわたしの右腕をつついた。

たかやまさん
「かわいい」

たかやまさんがそう言って列の前方を見遣る。わたしたちの何組か先に若い家族が並んでいて、1歳くらいの赤ちゃんがお母さんの肩越しに後ろを向いて、列に並んでいる人たちの顔を順々に、まじまじと見つめている。こんなにたくさんの人の顔を初めて見た、という感じで、不思議そうな表情で。

ささづかまとめ
さすが、かわいいですね」

たかやまさん
「うん」

いちがやさん
「さすがだ」

3人でうなずく。赤ちゃんはどんな表情をしていてもかわいいのがおもしろい。

たかやまさん
「あ、今私たちの顔が、あの子の脳に顔のサンプルとして保存されてるんだ

ささづかまとめ
「おー、そう考えるとなんかちょっとエモいですね」

たかやまさん
「私がずっと見つめてたら金髪のギャルが性癖になるのかな。いえーい

たかやまさんがじっと赤ちゃんを見据える。

いちがやさん
「そもそもたかやまさんはギャルじゃないでしょ。……ちょっとそれ睨んでるって」

たかやまさん
ピュアな視線でじっと見つめるの、意外とむずい」


御在所ロープウエイ(「エ」が大きいのが正式な表記)はたくさんの小さな搬器に数人ずつ旅客を乗せて循環運転するタイプだ。地方の観光地にありがちな、せいぜい20人くらい乗るといっぱいになる2つの箱が往復するああいうのではない。御在所岳はわたしが思っていたよりずっとメジャーな観光地なのだ、たぶん。

だから本気になれば大量輸送が可能なはずで、順番待ちの列はゆっくりだが確実に進んでいる。20分くらいでわたしたちの順番になった。係員のお兄さんが「みなさんは3名様のグループですね」と確認してくる。

わたしたちの乗る搬器は山頂側から下りてきて降車用ホームで客を降ろし、駅構内でぐるっと半周してわたしたちの前にやってくる。スキー場のリフトと同じような動きだが、リフトと違って搬器を一台ずつ止めてゆっくり乗り降りできる。中年夫婦とカメラが趣味らしき若い男の人といっしょに、比較的新しい感じのする搬器に乗り込む。全員で6人。

それではいってらっしゃいませー!」と係員のお兄さんが威勢よく言いながら扉を閉めると、搬器は待ちきれないという感じで勢いよく駅を飛び出していく。あれ? 乗ったの絶叫系だった?

駅舎を出ると搬器の中は急激に明るくなって何の音もしなくなった。耳が変になったように感じたが、単純に今までがうるさかったのだ。順番待ちをしている乗客たちの話し声や係員の声、搬器を転回させる装置が立てる音や搬器が乗り場に近づくときのサイン音で満たされていた空間から解放されて、いきなり山の中に放り出されたのだから、音量差があるのに決まっている。

搬器の中で6人とも黙っている。音といえば換気のために開いている小窓から入りこむ空気が立てる音だけだ。15分間この気まずい感じのままか、と思う。たかやまさんが雰囲気を壊してしゃべってくれないかと思ったが、ぼんやりとガラスの向こうを眺めているだけである。基本的には静かな人だった。いきなり饒舌に語り出すときもあるけれど。


「2号 標高504M」と書かれた支柱を搬器はわずかな音と小さな揺れとともに通過する。山麓側を見ると、ロープウェイの駅と駐車場、その周辺の旅館やホテルがあって、その向こうに扇状地と平野を霞みながら望む。

しばらく進むと、わたしたちの斜向かいに座る中年夫婦が
「あそこの岩、登ってる人いるわ」
「おおー、あんなとこよう行くな」
と話しているのが聞こえた。わたしはその会話が関西弁イントネーションであることに感動しつつ、その視線の先を見る。直線的に亀裂の入った岩が積み上がったような岩山の上に、人が立っているのが見えた。

いっしょに岩山を眺めていたたかやまさんがわたしの顔をちらりと見たような気がして横顔を見ると、

たかやまさん
「あれは、花崗岩」

と小声で言った。わたしは石のことは詳しくないので「そうなんですね」とうなずく。

たかやまさん
「あと、この時間は登るじゃなくて、下りるだと思う」

たかやまさんがさらに声を潜めてそう言ったが、わたしにはよく意味がわからなかった。


やがてわたしたちの乗った搬器は御在所ロープウエイのハイライト、白鉄塔と呼ばれる6号支柱を通過する。高さは61mあって、東京タワーと同じリベット接合という工法で建てられている。

6号支柱を過ぎると周囲の木々が色づいてきた。この混雑はもしかして紅葉目当てなのか。今さら思い当たる。白い鉄塔が離れていき、その向こうには広々とした伊勢平野、さらにその先には伊勢湾があるはずだが、海については霞んでいてよく見えない。
山頂側の山上公園駅に到着。標高差780mを15分間の静寂とともに運んでくれた搬器と別れる。


プラットホームに下りる。寒い。キンと冷えてるぅ。明らかに麓の湯の山温泉と季節がちがう。わたしは反射的にパーカのファスナーを首元まで上げた。寒さに強いたかやまさんもついにダウンのベストを着る。
いちがやさんは手袋をつけている。出発するまで目的地の詳細を知らなかったはずなのにずいぶん用意がいい。

いちがやさん
「秋の山に遊びに行くって言われたら手袋くらい持ってくるよ」

駅舎の通路を歩きながら尋ねると無意識なチクチクが返ってきた。わたしたちは手袋なんて持っていない。わたしとたかやまさんの装備ではこれ以上暖かくなれない。果たしてどちらが企画した旅行なんだろうか?

いちがやさん
ホカロンなら人数分持ってるから」

いちがやさんのバッグから長方形の赤いやつがいくつか出てきた。

ささづかまとめ
「ううっ、わたし、それもらったら負けな気がします」

関西の皆さん。わたし桐灰派なんです。今後ともどうぞよろしゅう。

いちがやさん
「いいから使ってよ、寒いんでしょ?」

たかやまさん
「さーさちゃんはすでに敗北している。降伏するんだ

たかやまさんがなぜか得意げな顔で言った。

ささづかまとめ
「ううっ、もらいます〜」

いちがやさんからホカロンを受け取る。ああ。

いちがやさん
「たかやまさんにも、はい。あげるから」

いちがやさんがたかやまさんにホカロンを渡そうとする。

たかやまさん
「ははっ、残念ながら私の手は常にほっかほか。この私に使い捨てカイロなんて必要ない! まるで…そう、ほっともっとのロースカツとじ弁当を手のひらの上にのせて持ち帰ったかのごとき熱さ! ほらっ! 」

たかやまさんはなにかのキャラクターにでもなりきっているのか、テンション高く捲し立てて両手を差し出した。やっぱりいきなり饒舌だった。

いちがやさんは手袋を外して、たかやまさんの両手をそっと握った。なんだか通路を行く人たちに奇異の目で見られているような気がする。

いちがやさん
「えっと、全然あったかくないけど…」

いちがやさんはたかやまさんの手の温度を念入りに確かめるように揉みながらそう言った。

たかやまさん
「そんなことない」

いちがやさん
「あったかくないよ。むしろちょっと冷たいよ」

たかやまさん
そんなことないもん

いちがやさんはホッカイロを開封した。


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