小説『夜の街』

 いつだって夏の夕暮れは、花火と蚊取り線香と実らなかった恋の記憶を運んでくる。いつも脳裏に浮かぶのは、他人からすれば恋とも呼べないような些細なやりとりばかり。言えなかった言葉と癒えない傷は、今も消えずに残されたまま。

 アスファルトから立ち込める陽炎がおぼろげな夏の記憶と重なりあう。
 街の西側にそびえ立つ城壁のようなビル群が太陽を飲み込み始める頃、空はこの街特有の諦めの色を滲ませていく。希望を捨てた者だけが感じられる鮮やかな空のグラデーションが色を失っていく光景は、二度と会うことができない永遠の別れの場面にも思えた。
 何色にも染まらない黒一色の闇が昼の光を丸ごと包み込んでいく。それは、夢や希望など何ひとつ持たなくても生きていける夜の街の寛容さそのもののようでもあった。

「……夜の……へは……立ち入りが制限され……」
 どこからか流れてくる防災無線の聞き取りづらい音声は、あらゆる言語でこの地域への夜間立ち入りを制限する旨を伝えている。かつてはギラギラとした欲望を隠そうともしない人々の熱で満ち溢れていたこの街も、今は闇の訪れとともに往来する人の姿も消してしまう。

 人生の岐路における選択を決断してこの街を離れる者と、あらゆる選択を保留してこの街に残る者。
 こうでなければならないとか、こうあるべきといった理想的な生き方や容姿をこれでもかと煽る街頭の広告。白くきれいな歯、シミひとつない透き通った肌、私たちに先入観を植え付けるこうした広告の類も、この街へ一歩足を踏み入れるとほとんど見かけることがなかった。
 何者にもならなくていい。それは彼にとって救いであった。


「名前をつけてやる」
 頬のこけた雇用主からそう告げられて、彼はロビンソンと名付けられた。その後、誰からもその名で呼ばれることはなかったが、確かに彼はロビンソンだった。
 授業そっちのけでイヤホンから流れる音楽に身を委ねていた中学時代、期末テストで解答欄どころか氏名すら何も書かずに提出して、すべての科目で0点を取ったことがあった。直後に教師から呼び出しを受け、試験のこと以上に普段の生活態度や皆とは違う服装や頭髪のことなどを散々説教され、これ以上何かあったらもう面倒は見られない、と釘を刺された。
 しかし、実際に彼は答案に何も書かなかったのではなく、氏名にはロビンソンとだけ記入していたのだと今ではそう思っている。教師は解答を書かなかったことが気にくわなかったのではなく、通名で書かれたその名前を認めようとしなかったのだと。

 自分が自分であることを証明するのに、名前と記憶以外に何があるというのだろう。
 この街で暮らす者にとって、今や顔や身体は何の証明にもならなかった。生まれもったままの顔と身体で生きる者などもはやほとんどいないのだ。ただ、それは他の街とは違い、人からコンプレックスを消し去ったり、身体の美的要素を強調することを意味しなかった。むしろそれとは反対の、社会から存在を隠し、匿名性を手に入れるための手段としての意味合いが大きかった。
 ただでさえ数か月もすれば体のほとんどの細胞は入れ替わり、表に現われる身体的特徴ですら刻一刻と変わっていく。そういった意味では人の記憶だって自分を証明できるかどうかは怪しいもの。昨日の自分のこと、一年前の自分が自分であるという連続した記憶があるから今も自分は自分であるはずだというその記憶ですら、思い込みや勘違いの結果形作られた記憶ではないとどうして言えるだろう。


 記憶は常に上書きされていく。あの日の夜の記憶もどこまでが本来の記憶であったのか。
 確かあの夜も暑い夏の日だったはず。いや、夏だったかどうかは定かではない。そう思わせるのは、たぶんあの日のフロアのあまりの熱気のせい。空間が発する熱量と体の内部にまで入り込んで来る音圧、脳内に溢れるほどの感情で満たされたあの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。

 おそらく夏の蒸し暑さがその日のフロアの熱狂を作り出していたわけではなかった。季節や気温、湿度など、外部の環境とは何の関係もなく、ただただ内から湧き出るエネルギーだけが彼らの体を突き動かしていた。
 友人は隣にいる彼のことなどまるで忘れてしまったかのようにひとり踊り狂い、どれだけ拭っても拭いきれないほどの汗と上昇する体温が友人の眼鏡を曇らせ続けた。この音と言葉が止んでしまったら、彼らの心臓も止まってしまうのではないかと思うほど、次々と押し寄せる音の波と銃弾のようなパンチラインはその場にいる者たちの全身を支配していた。
 目の前のステージには圧倒的なパフォーマンスを繰り広げるHighDriedがいた。アコースティックギターのループする単調なリズムに、韻にこだわらない即興の言葉を乗せていく。同じリズム、同じ言葉が繰り返されていながらも、抑えを利かせた声、唸るような声、言葉の揺らぎに意味が乗っていく。
 その歌声を聴きながら、彼自身がこれまで悩み生きてきたアイデンディティーのことや日々の揺らぐ思いまでもが同調していくようで、今目の前で歌われているこの歌は自分のために歌われているのだとすら感じていた。
 今ではこれほど間近で見ることも適わなくなってしまったこの街を代表するラッパーのHighDriedを直に見たのはその日が初めてであり、またそれが最後の日でもあった。この場が失われ、二度と訪れることのない体験をしていることを、そのときの彼はまだ知らなかった。


 中学を出た後、毎日暇を持て余していた彼に仕事を紹介したのが雇用主だった。夜の街にいくつか店を持っていた雇用主は新たにスマートフォンやタブレットの販売、修理の店を開くための働き手を必要としていた。
 この街に限らず今では働くことは生活の中心ではなく、働けば働くだけ稼ぐことができたが、ほとんど働かなくともなんとか生活していくことはできた。すでに多くの労働者が働けるほどの仕事が市中にはなくなっていたが、一定の活動義務さえ果たしていれば、毎月の食費と、家賃の支払いなどにあたる居住費がすべての人に賄われるようになっていた。
 社会的な価値を生み出すのは労働ばかりではないということが常識のようにもなっていて、単に人と人が出会い話すことだったり、生活の知恵やTipsを誰かに伝えることでも社会への還元となり、その人の負担にならない範囲で社会とのつながりを持ち続けさえすれば生活を維持することができた。

 しかし、彼は働くようになるまで自由に使える時間を持て余していた。許可証を持たない夜の街への立ち入りが制限され、あらゆる娯楽も衰退していたため、できることも限られていた。
 そんな現状を変えようと、ライブハウスや接待付きの飲食店等、今では規制の対象となっているかつての街を取り戻そうとしていたのが雇用主で、自分もその力になれるのなら、ということも働く要因のひとつであった。

 彼は今でも雇用主と呼んでいたが、雇用主の本当の名前を知らなかった。聞けば教えてくれるのかもしれないが、あえて聞こうとも思わなかった。
 そもそもこの街で本名を名乗る人はおらず、通名で通す人がほとんどだということもあるが、人から名前を聞き出す方法もそのタイミングも彼はわからずにいた。
 どれだけ親しくなったら、”さん”付けではなく呼び捨てで呼んでも良いのか。苗字で呼んでいたものを下の名前で呼び始めるタイミングはいつなのか。ただの知り合いと友達の違いは何なのか。
 関係性によって呼び方を変えることの意味すらよく理解できずにいたため、彼は相手の愛称を知っていれば愛称で呼び、本名を知れば年齢に関係なく誰でも”さん”付けで通していた。その方がシンプルで迷うこともなく、すべての人と対等な関係でいられると思ったからだった。

 彼は学生時代も面倒を避けるため、夜の街の住人であることを明かさないようにしていたこともあり、あまり友人と親しく付き合う方ではなかった。
 学校でも授業中にも関わらず音楽を聴き続け、毎日湧き上がる感情のようなものをリリックとしてiPhoneのメモに書き記していた。そのことを目ざとく見つけた同じく夜の街の出身である友人になかば強引に連れていかれたのが、あの日のライブだったのだ。

 ライブといってもジャンルは多岐に渡り、ロックからエレクトロ、ヒップホップ、ポエトリーリーディングやダンスなど、ステージ上で行えるものであればあらゆる表現が可能であり、パフォーマーもプロからアマチュア、ほとんど初めて舞台に立つ人もいて、緊張のあまり声を震わせたり、最初の一声が出るまでしばらく間が空いたりすることもあったが、観客には誰もそのことを咎めたり、笑うような者はいなかった。

 HighDriedの歌声に熱狂したその日の帰り道、人生にはまだまだ最高の瞬間があるのだと彼は思っていた。
 しかし人生が理不尽なのは、その最高の瞬間がもう二度と訪れないことをそのときは知りようがないのだということ。
 最高の瞬間だけを追い求め、オーバードーズで逝ってしまったロックスターや、好景気と不景気を繰り返す景気の循環みたいに、最高の瞬間にもやがて終わりのときがやって来る。

 失われた20年。
 この20年の間、私たちは何を得て、何を失ったのだろう。
 TV画面には、夜のニュースが流す中央政府の会見の様子が映し出されている。経済成長を続けるグラフを示しながら、健全な財政運営が行われていること、持続的な回復を続けていることを殊更に強調する。

 経済の繁栄ばかりを追い求め、自らのプライドを失ってしまった都市。これまで永く引き継がれてきた文化や街の歴史を蔑ろにして、人々の暮らしを忘れてしまった街。
 失ってしまったのは数字に表れる経済成長ではなく、この街への信頼だった。生活は維持されても、娯楽や芸術、人々が表現する営みはそこにはほとんど残されてはいなかった。

 夜の街が例外視され、まるでないもののように扱われながら、資料の文言をなぞるように読み上げる感情を持たない会見はまだ続いている。
 いわば寄る辺のない街が今、何を回復し続け、どこへ向かおうとしているのか、彼にはまるでわからなかった。
 ただ、彼が望んでいたのは、今はもうなくなってしまったライブハウスで自由にパフォーマンスを披露していたあの日の歌や音楽だった。
 地図からは消え去ってしまっても、彼の脳裏には残っていた。あの日のHighDriedの歌声を、彼は記憶の中に聞きながら口ずさんでいた。

この街は誰のもの もう聞こえない音
何者かになろうとして 何者にもなれなかった
正しい街 正しい人
結果がすべてと 統べる社会
最高の瞬間 最高の女
最低な俺 最後に笑うのは誰
忘れないで 見捨てないで
忘れないで 見捨てないで

 
 もし、街にも記憶というものがあるのなら、そこに残されているのはどんな記憶だろうか。
 食料危機によって多くの食品がまがい物の代替食品に置き換えられ、人力による労働力のほとんどは機械や人工知能による自動化に取って代わっても、そうなる以前の昔の思い出を、街も懐かしく思い出すことがあるのだろうか。


 街はきっと思い出すのだろう。

 かつてこの街にも歌があったことを。
 歌う者たちに名前があったことを。


 街は覚えているだろうか。


 かつてこの街にも名前があったことを。



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