「旅する家とは何か?」7

7 アートプロジェクトに至る美術史について 4現在

このように、概念=「意図」や「意味」自体が作品化されるようになったことが「現代美術」の特徴としてあげられますが、そこからさらに時代が進むと、もう一つ、他の分野との融合が盛んに行われるようになっていきます。

この頃、近代的な合理主義、西欧中心主義、そしてそれらが招いてしまった2度の大戦の反省から、多元的、相対的な価値観が重視されはじめました。これは、一つの価値観(西欧の価値観がナンバー1だ!)で世界を覆ってしまうのではなく、様々な視点に立った価値を認め合い、それぞれに合った発展をしていこうという姿勢です。ある地域や国にはそれぞれの考え方があり、文化があるので、それを尊重した発展を考えることを重視し、西洋の考え方だけで、他を良い悪いと決めつけるのは時代遅れだという思考です。

いろいろな考え方が絡み合ってそれぞれが成り立っているという、このような多元的な思想によって、美術もそれ自体で自立して存在するものではなく、他の領域と関係し合いながら表現を創造してゆくようになります。これは価値の多元化、相対化という時代のニーズでもありますが、ぶっちゃけていうと、視覚的な表現方法の発展をやり尽くし、「意図」にまで行き着いてしまった「近代美術」がネタ切れを起こしてしまい、次の展開をするために、美術の外の世界やメディアにその手がかりを求めるようになったともいえるでしょう。

作品の概念化と、表現方法の完全自由化が解禁されてしまったことで、美術はここからいわば「なんでもあり」の状態になってしまいます。作品として表現の「意図」や「意味」がありさえすれば、それこそ「鼻くそ」から「ビックバン」まで、世の中すべてのものが芸術作品となる可能性を持つという、表現の大解禁状態が始まります。

この解禁状態は、作り手にとっては新たな制作の突破口になったことが考えられますが、芸術を見る方にとっては、その解釈の負担や、評価の複雑さが増すする原因にもなりました。それまでの「近代美術」は、おおよそ一本の価値観や、純粋な視覚表現の枠の中で発展してきたので、比較的理解しやすい部分もあるのですが、「現代美術」以降になると、表現の方法が多様化したために、他のジャンルとの区別が曖昧になり、また相対的な価値観が根底にあるため、絶対的な価値や評価軸がないものになってしまいました。

そのため、その歴史や関係性を知らずに、作品だけ見てもよく意味が分からず、またその意味がわかったとしても、他の様々な事象と複雑に絡んでいて簡単には説明できない、つまりは「美術ってよく分からない」という、現在よく聞くような美術の感想が生成される土壌も、ここで出来上がってしまいました。

これまである程度一本道だった美術史の流れは、他分野と融合し始めることで一気に枝分かれし様々なあり方が関係しあい、ネットワークのように広がってゆきます。

絵画表現では難解な意図を作品に込める「コンセプチュアルアート」に対する反動から、感情や個人的なものを題材に純粋な表現への揺り戻しが「新表現主義」を産み、また直線的に未来発展的に表現を生み出すのではなく、過去の文脈や様々なイメージをサンプリング、引用、再構成して、新たな意味を作り出し表現とする「シュミレーショニズム」や、新時代の映像メディアと融合した「ヴィデオアート」、身体にメディアの可能性を見出そうとする「パフォーマンスアート」なども次々に花開きました。

さて、長らくお待たせしました。次回からは、やっと「アートプロジェクト」への道筋が見えてきますよ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?