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3月のライオン15巻の感想 〜弱さを担う脇役、野火止あづさ〜

3月のライオンの最新16巻が発売された。その16巻を読む前に、「あれ、15巻ってどういう話だったっけ?」と話が思い出せなかったので15巻を読んだら、その15巻が面白すぎたので感想を書く。

この巻の野火止あづさが凄い好きだ。凄い好きとは言ったが、このキャラはこの巻で初めて登場するキャラクターで、そしておそらくこの後はそんなに出てこなくなるだろう、いわゆる脇役中の脇役なのだが、このキャラクターがとてもいい味を出していて、とても素敵だった。

3月のライオンは、1人の天才将棋少年の話だ。主人公の桐山零は孤独の中で、孤独だからこそ手に入れた強さで、将棋という勝負の世界を戦っていく。この漫画は主人公の桐山零が、強いからこそ、ゆえに持ち合わせていない人間性を一つ一つ成長させて行く物語なのだが、一方で主人公が「強者」であるゆえに、「弱者」の側はその周りのキャラクターが担わなくてはならない。その1人として登場するのが野火止あづさだ。

野火止あづさは若くから注目を浴びていた天才少年だったが、桐山零たちの登場によって「元天才」のレッテルを貼られた存在として登場する。「自分には天に与えられた力があると思っていた」「望めば道が開かれるので、これが『才能』ってモノなのだと思った」と思っていた中で、後から追ってくる年下に負け、「それがモロモロと崩れ始めた」と苦しみ始める。

そんな野火止あづさが、獅子王戦というタイトル戦で主人公の桐山零と戦うことになる。野火止あづさは言う。

だからオレはこの獅子王戦に全てを賭ける!!
子供の頃、ばっちゃんが言ってた。『できない』には『本当にできない』     
と『しんどそうでやりたくない』の2種類があるって…
そして、大抵の夢は『しんどそうでやりたくない』の先に光ってるって

自分が唯一認める現名人と戦うために、獅子王戦に望む野火止あづさは、そのトーナメント表の過酷さに「吐き気がした」と言う。でも天から与えられた才能を打ち砕かれた「元天才」である彼は、「だからばっちゃん、『こっち』だろ? オレの光は多分、この先にしかないんだ!!」と自分を超えていった存在、桐山零に立ち向かっていく。

彼は勝負の中でこんなことを思う。

人は情熱を失うと、せっかちになる。
次から次へと成果が欲しくなり、近道を探し始める。
でも「最短距離」はみんなが通りたい道だからギュウギュウな上、
「みんなが持ってるモノ」しかもう落ちていない。
そして「もうみんなが持ってるモノ」を投げつけ合っても、
勝負はなかなかつかない。
しかも近道を選びがちで歩いていないので、基礎体力が落ちている。
神さま、僕はっっ、野蛮なままでいたい。
お得なルートばかり探して少しずつ弱くなってあきらめがつく日を待つより
道無き道につっこんで、何度も迷って転んで泣き叫んで、
泣き喚く、勇気と体力を無くしたくない!!

この台詞を聞いて、思い出したのはプロゲーマー梅原大吾の言葉だ。彼は「勝負論」という本の中で「『勝つこと』と『勝ち続けること』は違う」と言っている。そして「勝ち続けるために必要なのは、壁に当たり傷だらけになりながらセオリーを習得することだ」と言う。

最短距離で攻略法を身に着けてきた人間は、壁にぶち当たったときの引き出しが少ない。しかし、自分のやり方で、無駄だと思われるものまでとことん基礎を身に着けてきた人間は、セオリーのレベルを過ぎたときに"幅"がどんどん広がっていくとのこと。

また、同時に思い出したのは、もうひとりプロゲーマーのときどだ。彼は「東大卒プロゲーマー」という本の中で同じようなことに言及している。

公式から外れたことは、勝ちに結びつかない「ムダ」にしか思えなかった

東大卒のプロゲーマーであるときど氏は、その要領の良さを活かし最速でゲームの攻略法を見つけ出し、そして勝ち続けていた。しかし、ある敗戦をきっかけに壁にぶち当たり、今までの攻略法が通用しなくなったという。そして彼もまた、「昔の僕は勝とうとしすぎていたのだと思う。勝ちたいあまり、勝ちに直結するような選択肢ばかりを探そうとしていた。しかし、勝ちに即つながらない選択肢のなかにも、強さの理由は隠れているのだと、僕は学んでいった」と思い至る。


奇しくも2人のプロゲーマーと同じような台詞が、「3月のライオン」で出てきて個人的にアツくなってしまった。この野火止あづさのストーリーは物語の大筋からすれば、サブストーリーのような位置づけなのだろうが、しかしながら単に箸を休めるような話だとはぼくには思えなかった。

「3月のライオン」は、ある1人の少年の成長を描きながらも、その舞台は「勝負」の世界だ。そんな舞台を描いた漫画が、プロゲーマーというめちゃくちゃに純度の高い「勝負の世界」の住人と同じ思考を語り、そしてそれを見事に「漫画」として物語にしているところにとても感動した。

天才桐山零が「強さ」の中でもがく人間なら、「弱さ」を受け入れつつもそれに立ち向かうのが、野火止あづさなどの脇役たちだ。そしてそれは物語に不要では決してない。このような脇役の一人ひとりにも燃えるような血が通っているからこそ、「3月のライオン」は素晴らしい物語であり続けるのだ。

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