菊池道人note支店・支店de視点5

<<今、紙の本の意義は?>>

黒澤明監督の映画「生きる」の主人公である市役所の職員は、不治の病で余命いくばくもないことを悟り、市民のための公園を作ることにそのわずかな余生を捧げた。
 山田太一氏作の昭和五十五年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」では、明治時代初期の北海道開拓に於ける強制労働に従事していたある囚人が、監獄での飯を一合増やすことを看守に要求し続け、「己のことだけ考えた一生は死んでしまえば終わりだが、後から来る者のために何かをした一生は死んでも生きた証が残る」という台詞を吐いた。この作品中にも登場した大久保利通、西郷隆盛、板垣退助、伊藤博文らが学校の教科書に記載されるような事業に携わっている時の台詞ではなく、歴史の捨て石でしかなかった無名の男の言葉である。
 公園であれ、監獄の飯であれ、自分の死後も残り、後に続く人々に恩恵を施すことにこそ人生の意義があるということを考えさせられる。

 本を出し、それが著者の死後も誰かに読まれる。ここに物を書く人間の幸福があるのではないだろうか。

 本文の筆者は、先に「アジア主義の行方・宮崎龍介小伝」「畠山重忠」を電子版とオンデマンド版両方で上梓した。
 紙印刷の方は、何軒かの公共図書館に贈呈した。丁重なる御礼の手紙を頂いたところ、すでに公開して頂いているところもある。
 この場を借りて、感謝の意を表する次第である。
 そして、そのことによって、ようやく心安らぐ思いである。長い旅を終え、たどり着くへき所にたどり着いた感がある。
 自分がこの世を去った後も、誰かに読んでもらえれば:。そう思えば、今、ベストセラーになるかどうかなど二次的な問題に過ぎないような気すらする。
 まぎれもなく、自分が生きた証となるからである。寄贈先の図書館が存続する限りは:。

筆者はこれまでに電子書籍の利点について繰り返し述べてきたが、紙の書籍にも今申し述べたような長所がある。

前述の「宮崎龍介小伝」は現在休刊中の学術誌に発表したものに手を加えたものであるが、「アジア主義の行方」と「畠山重忠」はある電子新聞に発表したものである。
 しかし、その新聞も現在は本格的な活動は休んだ状態で数か月が過ぎている。
 それ以前に上記の作を発表しようと考えていた別の電子新聞も数年前に休刊したままである。
 電子媒体の当面の課題は持久力であろう。
 それだけに、紙の本として図書館に寄贈できたのは 大きな意義があることだと思っている。

 紙か電子化かという二者択一的な議論よりも、関ケ原合戦時の真田一族(兄は徳川、弟は豊臣) のような二股のかけ方をこれからも続けようと思っている。

「アジア主義の行方・宮崎龍介小伝」「畠山重忠」

発行:一人(いちにん)社 https://bccks.jp/store/167124

学びの場とそのまわり

http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/


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