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~第179回~「大宮見沼と蛍の話」

江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師、渓斎英泉(けいさいえいせん)が描いた「木曾街道大宮宿富士遠景」。
この絵を含む「木曽海道六十九次」は、天保6(1835)年から天保8(1837)年頃、木曽街道(中山道)の板橋宿から大津宿まで69宿と、起点の日本橋を描いた計70図からなる作品で、英泉と歌川広重の2人により描かれています。
国土交通省関東地方整備局のサイトによると、土手村からの富士山と武甲山の眺めが描かれており、現在のさいたま新都心の付近であるという説も。

そのように描かれた江戸時代の大宮は蛍の名所としても知られ、特に明治大正期の東京の人にとって大宮はホタルの名所としてとても人気だったようです。
例えば大正9年6月15日付の読売新聞に「ホタル出盛りの土日には上野と大宮の両駅は子供連れの客で花見時並みに大混雑した」という記事が残っています。

さらに、大宮見沼の源氏蛍発生地は昭和7(1932 )年に天然記念物に仮指定されます。
その結果、市民が蛍を自由に捕れなくなったことから、昭和13(1938)年に大宮町で6月11、12、18、19日の「螢デー」の日に、大宮公園舟遊池付近へ市民のために7、8万頭のホタルを放すことを決定したとあります(6月9日付東京朝日新聞より)。

仮指定であろうと、見沼のゲンジボタルが文化財保護法により学術上の価値が高く重要なものとして国からも認識されていたことは、忘れてはならない大宮の大切な歴史です。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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