『もしも朝起きたら志尊淳だったら』春風亭㐂いち

映画やドラマや小説や漫画ではよくある話だ。
大林宣彦の『転校生』や最近だと『君の名は』がそれに当たる。
カフカの『変身』や『名探偵コナン』もそれに近い。
しかしそれは全てファンタジーやSFといった所謂、作り話だ。
体が入れ替わる(変身する)といった表現が何かの比喩だったり、なんらかの世間に対する風刺や問題提起だったりする。
なので、それ自体をリアルに表現した作品はあまりない。
例えば『転校生』や『君の名は』のように女子の体に男子が入れ替わったら、まずやる事はオナニーだと思う。まずでなくとも必ずはやると思う。コナンのように高校生の体がいきなり小学生になったら、陰毛はどうなるのだろう?
しかし、そんなことはどうでもいいのだ、フィクションなのだから。
ただ私は今、猛烈にそれが気になるのだ。
『君の名は』は、『コナン』はどうだったのだろう。彼らはいったいどうのような精神状態でそれを乗り切ったのだろう。
今朝、起きたら、志尊淳になっていた。
顔や背丈や髪の毛や声帯が全て志尊淳に変わっていた。
私はそれほど志尊淳を知らない。というより、ほぼ何も知らない。
昨日、何かの情報番組に出ていて、それでその存在を知った程度だ。
だから正確に言うと、おそらく志尊淳である。
私の顔ではないことは確かだ。
体型までも変わっていた。私は170センチなのだが、多分今は10センチ以上高い目線になっている。腹も六つに割れていた。
私には世の中の分からないことが沢山ある。だから自分では理解出来ない不思議なことがあるとは思う。
まず私はウイルス兵器かと思った。北朝鮮の弾道ミサイルにはウイルスが混入していて、そのウイルスが体内に入ると皆、志尊淳になるのだと。
だが、ネットニュースではそんな事は出ていない。
弟弟子にラインを送った。
『今日って昼席?』
いきなり志尊淳になってない?とは聞けないので、とりあえず探ることにした。
5分後、返信が来た。
『いえ、今日は師匠が地方のため、タテに了承を得てお休みいただきました』
おそらく弟弟子は志尊淳にはなっていない。
母親に電話をした。
『あ、もしもし。落語協会から郵便物とかなんか届いてない?』
『届いてないよ』
母もおそらく志尊淳にはなっていない。
ということは、おそらく志尊淳になったのは私だけだ。
何か動画を観ることによる視覚的ウイルス感染かもしれない。
昨日見たいお笑い動画はと思い出すが、昨日は夜遅くに帰って来てそのまま寝てしまったので動画は何も見ていない。
食べ物かもしれない。
お礼の電話も兼ねて昨日、お世話になった歌武蔵師匠に電話をする。留守電だった。
『お疲れ様です。㐂いちでございます。昨日はありがとうございました。また宜しくお願い致します』
食べた物による感染なら歌武蔵師匠も志尊淳になっている可能性がある。そうだとしたらパニックを起こし電話に出れないというのも合点が行く。
やはり食べ物かもしれない。
すぐに師匠からメールが来た。
『こちらこそ遅くまでありがとうございました😃色々と助かりました💦また宜しくお願いします👍あとこれからお礼はメールで結構ですよ。電話だと出れないことがありますので💧ではでは。歌武蔵😘』
おそらく師匠は志尊淳にはなっていない。
というか絵文字が多い。動揺を隠す為かもしれない。だが確信が持てない。
家の外に出よう。コンビニに買う物に行く程で外の様子を伺いに。
服のサイズが合わない。つんつんるてんの格好で近所のコンビニへ行く。
犬を連れた老人とすれ違う。老人は70代で志尊淳ではない。『こんにちは』と挨拶をされた。
コンビニで水と雑誌を買う。店員は志尊淳ではない。東南アジアの顔で名札には『スマン』あった。
千早近辺で志尊淳になっているのは私だけだ。
なぜ私だけが?そしてなぜ志尊淳?
家に戻り志尊淳をネットで調べる。
何か私と共通項があるかもしれない。
出身地と血液型が同じだった。
ユーチューブで志尊淳を検索する。インタビュー動画を観る。
『家に帰って来てパンツ一丁でダラ~っとなる瞬間が一番幸せです。毎日パンイチで。最高に気持ちいいです、その瞬間が』
『電車に乗るのが好きです。いろんな方がいて、いろんな景色を見て、時間が過ぎていく感じがすごく好きで』
『マッサージが好きです。多いときは週5くらい』
『もっと趣味を作ることで人間力が上がっていくのにも通ずると思うので。プライベートを充実させたいです』
私もいつかインタビューでこういうことを言ってみたいと思った。
だが、それだけでなぜ私が志尊淳になったのかは分からなかった。
では、どうだろう。志尊淳が私になっている可能性はないか?
それこそ『転校生』や『君の名は』のように。
だとしたら私は春風亭㐂いち(小林裕吉)になっている志尊淳に会う必要があるのではないか?
何かしらの解決になるのでは?
しかし、そう思った瞬間に私は思い止まった。
私が志尊淳であればいいんじゃないか?
一之輔だってちゃんと話せば分かってくれるはずだ。
『朝起きたら志尊淳になってました。でもこれからも宜しくお願い致します』
と挨拶しに行こう。
宣材を撮り直したり諸々あるが、それもしょうがないことだ。
もう志尊淳になってしまったのだから。
果たして一之輔はどういうリアクションをするだろうか。
多分、『分かった。しっかりやりなさい』と言うのだろう。
さて明日はアゲだ。稽古をしよう。

2019.8.24

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