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光る君へ(5)計算されたセリフ・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第五回の学びポイントです。
歴史の知識や「源氏物語」については一切触れませんので、予めご了承ください。

今回の学び

第五回は、これまでに仕込んだドラマのタネが、じっくりと展開し始めた回で、たいへん見ごたえがありました。
学びポイントは、セリフです。

セリフ

第五回のタイトルは「告白」です。

三郎は自分が道長であることを告白し、まひろは、道長の兄が母殺しの犯人であることを告白します。

そしてさらに、まひろは、母が死んだのは自分のせいだと、自らの罪悪感も告白します。
それを聞いた道長にも、罪悪感が芽生えます。

この告白シーンのセリフが見事です。
二人に罪悪感という新たな枷をはめ、「大人の関係」のはじまりを描いています。
具体的に見ていきましょう。

「もし道兼だけだったなら私は、「人殺し!」と叫んでいたかもしれない…でも、三郎がいて…」

これは、五節の舞で、三郎の隣に母殺しの犯人である道兼を見つけたときのことを言っています。

まひろは自分の気持ちを素直に告白しているだけですが、三郎すなわち道長には、自分を責める言葉に聞こえます。自分こそが、まひろが倒れる原因だったということですから。

このセリフは、いわば前フリです。さらにこのあと道長は、自分の罪を自覚せざるをえない状況に追い詰められていきます。

その後の、道長とまひろの会話です。

「一族の罪を詫びる。許してくれ」
「兄はそのようなことをする人ではないと言わないの?」
俺は…まひろの言う事を信じる。すまない」
「別に三郎に謝ってもらいたいと思ったわけじゃない」

これは、将棋で言う「待ち駒」のような感じで、後で効いてくる、ちょっと怖い会話です。

「一族の罪」とは、自分自身が犯した罪ではないという意味です。

しかし「俺はまひろの言う事を信じる」と言ったせいで、道長は認識を改めざるを得なくなります。

次に続くのは、まひろが自らの罪悪感を告白するセリフです。

私が三郎に会いたいと思わなければ、母は殺されなかった。だから、母が死んだのは、私のせいだ」そういっています。

ここで先ほどの「俺はまひろの言う事を信じる」という道長のセリフが効果を発揮します

まひろの言う通りなら 母の死は道長のせいでもあります
少なくとも 道長にはそう聞こえるはずです

そして、最後のダメ押しが、兄・道兼のセリフです。
道長に殴られた後、道兼はこういいます。

「そもそも、お前が悪いんだぞ」
「お前が俺を苛立たせなかったら、あのようなことは起こらなかった」
「あの女が死んだのも、お前のせいだ」

こう言われたあとの表情を見れば、道長が自らの罪をハッキリと自覚したことがわかります。

第五回の「告白」とは、まひろの罪悪感の告白のことでした。
まひろを愛するがゆえ、それを聞いた道長にも罪悪感が生まれます。

罪悪感というのは内面の問題ですから、身分やお金といったものより過酷な縛りかもしれません。
これにより、視聴者はますます二人の関係から目が離せなくなったと思います


最後までお読みいただきありがとうございました。
第五回以降も、こんな感じで学びポイントを取り上げていくつもりです。

背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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