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愛される不便さ

こんばんわ。


昔からあるものってたくさんあるけど、その中でも「カレンダー」ってのは不思議だなぁと思います。


一世を風靡した「テレホンカード」は時代の変化とともに使う場所がなくなり消えていきました。
(広末涼子のテレカどこいったかな)

国民の9割ぐらいが持ってたであろう「ガラケー」もスマホに姿を変えていきました。


こう考えると、不便なものは淘汰され便利なものへと進化していくようです。

しかし、その中でも不便なのになくならないものもあります。というか、便利になったのに不便なものがまだ残っているものがあります。


それが、たとえば「カレンダー」

スマホでスケジュール管理するようになって久しいですが、それでも家の壁にはカレンダーが掛かっていたりトイレの壁には日めくりカレンダーがあったりします。

その流れでいくと、「えんぴつ」なんかもなくなりません。シャーペンやボールペン、フリクションさらにはiPadなんかもあって、物を書くツールは溢れかえってます。でも、えんぴつはあります。


カレンダーはめくらないといけない。
えんぴつは削らないといけない。


どう考えても不便で、だからこそ便利な物を発明したのに、不便なものがなくならない。

ぼくが開発者なら嫉妬します。
なんやこいつらは、と。


ここで気になるのは、消えていった物たちの共通点。どうやら、デジタル系のニューカマー登場時にデジタル系の古参達は軒並み立場をなくしています。そんな時でも、アナログ達は市場が違うのか生き残る傾向にあるようです。

カメラとか、これだけデジタル化が進んでスマホでハイクオリティな写真が撮れるのに、フィルム勢が一定数残っていたりしますもんね。



人間はどうやら、ある程度不便がないと不安な生き物なようです。
そして、その「ちょうど良い不便さ」は人が生きている限り追い求めてしまうものなようです。


スマホの操作感とかも、コンマ何秒でタイムラグが設計されているそうですね。
子供も大人も大好きな「ガチャガチャ」も、回すという「不便」をあえて残しているそうです。



ぼくも、いずれ歳をとってポンコツになりますが「愛される不便さ」のある人間でいたいなぁと、カレンダーを見て思い出した賞味期限切れの牛乳を片手に思う深夜でした。

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