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「説法」という話

「説法」という話

秋の彼岸ですと、お経のあとに説法を聞くはめになります。

平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

"という話"は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

※本当はノワール作家です。

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彼岸(ひがん)は仏教用語で、サンスクリット語の音訳である波羅蜜多(はらみた)/波羅蜜(はらみつ)を漢語に意訳した「到彼岸」(とうひがん)の略です。

「彼岸に到(いた)る」とは、迷いのない彼岸(あっちがわ)にいくことです。簡単にいうと川の向こう岸ですから、死んでしまう訳です。#死んだオウム

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人間死ぬのは恐いですから「まああんまり心配しなくてもいいよ」と落ち着かせるのが、彼岸会(ひがんえ)です。

春分の日・秋分の日を中日として、前後七日間も法会があります。

806年(大同元年)に早良親王(さわらしんのう)である崇道天皇(すどうてんのう)の霊を慰めるために初めて行なわれたそうです。

なお、早良親王は平安京に遷都した桓武(かんむ)天皇の同母弟ですが、中納言である藤原種継(ふじわら の たねつぐ)の暗殺に関与したとして捕らえられ、絶食して憤死しました。

政治的な陰謀があったのでしょうね。

それから不審死や、疫病の流行、洪水などがありました。

死に追いやった人は(自覚がありますから)早良親王の祟(たたり)だと思う訳です。
※崇道天皇の「崇」(あがめる)とは別字です。

そこで、追諡(ついし)といって死後に崇道天皇という「おくりな」を贈りました。

自分たちで殺めておいて、怨霊(おんりょう)になって祟られたので、天皇や神になってもらって不幸を回避しようとしたのです。
※崇道神社という神社が京都市左京区にあります。

他には、菅原道真(すがわら の みちざね)や平将門(たいら の まさかど)など、日本という国はけっこうこんなことをしています。
(何故か私は菅公と仲が悪く、雷で二回もエレベータに閉じこめられたことがあります。)#清涼殿落雷事件

そういう訳ですから、彼岸の説法は「いいこと」しか言いません。

よく考えれば、前述のように疫病は古今東西あった訳ですが、その当時は祈るしかできませんでした。

今ではワクチンが開発されています。

最近は手洗いが習慣になったのか、インフルエンザになる人が少なくなったのだとか。

意外かもしれませんが、手を洗わない人は多かったのです。

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日本では仏教で法事が行われることが多く、説法もありきたりなものばかりです。

勤勉なお坊さんは、新しい出来事を過去の事例から説法に取り入れて話してくれます。

とはいえ、大人にしてみれば、毎回聞く漫才のようなものです。

「良いことをしよう。悪い事をしてはいけません」

まあそんなことも、クリスマスや正月と同じです。

寒い時期には、何か人に優しくなろうと考えて、一つ歳を重ねれば幸せを祝うものです。

けれど、秋のこの時期は、夏の暑い終戦記念日で暑さ寒さも彼岸までの法会です。

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