mix「一郎の日記」を振り返る[107] 2008/10/19(日)~10/25(土)

mixiに書いていた日記をまとめました
Twitterを始めたことでmixiは全く利用していませんでしたが
mixi日記を読み直すまとめ作業のおかげで
新たな一つの目標・・・「1万字日記」が出来ました

2008/10/25(土) 

   一日で消える一郎の日記

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2008/10/25(土)

2008/10/24
それぞれの「一握の砂」~番外編

まぐまぐ!「啄木の歌とともに」
http://archive.mag2.com/0000133102/index.html

啄木

  あ  こ  が  れ


   孤     境

老樫(おいがし)の枯樹によりて
墓碣(はかいし)の丘邊に立てば、
人の聲遠くはなれて、
夕暗に我が世は浮ぶ。

想ひの羽いとすこやかに
おほ天の光を追へば、
新たなる生花被衣(いくはなかづき)
おのづから胸をつつみぬ。

苔の下やすけくねむる
故人(ふるびと)のやはらぎの如、
わが世こそ靈(たま)の聖なる
白靄の花のあけぼの。

いたみなき香りを吸へば
つぶら胸光と透(す)きぬ。
花びらに袖のふるれば、
愛の歌かすかに鳴りぬ。

ああ地に夜の荒(すさ)みて
黒霧の世を這ふ時し、
わが息は天(あめ)に通ひて、
幻の影に醉ふかな。

                   (甲辰一月十二日夜)

 神代の
 山の麓の小さなお寺
 今思えばそこがきっと父の母方の墓所
 中学生の時に母と姉二人と訪ねて行った
 父も列車に乗ったが出発前に降りた

 確か正月休みで
 列車は混んでいた
 父は混雑も人付き合いも
 嫌いな人だった
 きっと田舎も嫌いだったのだろう

 父の祖母と祖父は離婚していた
 そのあと昭和の大恐慌のあおりで
 祖父の事業も倒産
 そして祖父の自殺
 父はまだ学生だった

 商業高校を卒業した父は
 郷里の神代に戻っていた母親を頼った
 幾ばくかのまとまったお金を無心し
 海を渡って朝鮮へ行った
 父親のいない日本に用はなかった

 朝鮮で父は結婚した
 その頃のことはほとんど話を聞いたことがない
 ただ敗戦で朝鮮から引き揚げたときの話はよく聞いた
 父は腸チフスを患っていた
 おそらく死ぬ思いで引き揚げたのだろう

 引き揚げ先が母親の郷里の神代だった
 そこで私が生まれた
 昭和二十二年十二月
 裸で砂浜に立って笑っている姿や
 もっと小さい頃雲仙で母に抱かれている姿が写真に残っている

 ただ私が神代に居たのは物心がつく前のこと
 私に生まれた土地での記憶はほとんどない
 映画館の幟のはためきと
 風に乗って聴こえてくる音楽の記憶がかすかにあるが
 これは父か母に聞いたことによる疑似体験の記憶なのだろう

 父は八年前に八十五歳で亡くなった
 親戚付合いはほとんどしなかった
 無宗教で墓参りや宗教行事とは無縁だった
 敗戦を経験した父は思想に生きる道を選び
 労働運動に献身した

 長崎から福岡に引っ越して
 一時期祖母が一緒に暮らしたことがある
 私はまだ小学生だった
 そう長い期間ではなかったが
 その時が唯一父が母親にできた親孝行ではなかったか

 私もまた父と同じ道を歩んでいる
 思想的には落伍してしまったが
 家庭も持たず田舎の母親とも電話で時折話すだけ
 親不孝が親孝行だという屁理屈で
 親不孝を続けている

 そんな私が最近神代が気になりだした
 祖母は神代で眠るように死んだという
 母や姉たちと行った山の麓のあの小さなお寺
 もし尋ねて行ったら見つかるだろうか
 墓石のどれかに祖母の名前が
 [ 一郎 ]

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。
一郎


2008/10/24(金) 

   一日で消える一郎の日記

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2008/10/24(金)

mixiの「一日で消える一郎の日記」へコメントがありました。その返事です。


2008年10月24日 14:10

私は、ずっと啄木の歌に合わせて日記代わりに歌をつくってきました。その私が詩のようなものを書くきっかけとなったtomoさんことを少し書かせていただきます。
tomoさんは、私より20歳も若い詩人です。
私のメルマガを読んで感想をメールで送ってくれたのがきっかけで、ネットでのお付き合いがはじまりました。
そのtomoさんは、街頭に出て詩を書いた色紙を売るようになりました。
またお客さんからのメッセージ
そのことがブログにブログにつづられています。

 blog 「詩人tomoの出会いが人を変えてゆく」
 http://ameblo.jp/tomo1663/

街頭に出て詩を書くようになった、ちょうど息子ほどのtomoさんの行動力に刺激されました。tomoさんは、ご自身のメルマガを週に一度発行して詩を発表しています。啄木の歌に合わせて自分の歌をつくりはじめたように、tomoさんの詩に合わせて私も詩を書いてみようと思いました。
ちょうど啄木にtomoさんに重なるうたがありました。その啄木の歌に合わせて私はtomoさんのことを短い詩に書きました。それが今年の7月21日のことです。

2008/7/21
今日の投稿

歌集「一握の砂」 54.非凡(ひぼん)なる・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/ichirof58/16283680.html

啄木
非凡(ひぼん)なる人のごとくにふるまへる
後(のち)のさびしさは
何(なに)にかたぐへむ

 ある若い
 詩人が街で詩を売った
 街へ導く心ぞ非凡


 すっかり有名になった詩人がいる
 かれがまだ無名だったころ
 お昼のテレビ番組の素人参加コーナーに出て
 詩人であることをアピールしていた

 彼をそうさせた魂こそ
 非凡なる才能の表れなんだ
 才能とは止むに止まれぬ魂の働き
 非凡なる才能は魂を信じ魂に導かれる
 そして才能は才能に見出され世に導かれる

 魂よ人を導け
 魂よ自信と誇りと勇気与えよ
 魂に導かれる者は幸せ
 魂は為すべきを知り為すべきを為しているから
 たとえ名を成さずとも世に知られずとも
 [ 一郎 ]

この詩をきっかけに、私が発行している「啄木の歌とともに」というメルマガでtomoさんの歌に合わせた詩を発表していくことになります。
その1回目となったのは、tomoさんの「ナミダ」という詩でした。

 2008/07/30 啄木の歌とともに・・・第195号
 http://archive.mag2.com/0000133102/20080730010000000.html

啄木の「一握の砂」の歌に合わせて歌づくりを始めたのも、私には一つのチャレンジでした。
街頭に出て詩作をはじめたtomoさんの歌に合わせて私の詩をつくるのも、私にとっては新たなチャレンジだと思いました。
最近私は、もうひとつチャレンジを始めました。
それはもう一つのメルマガ「花を歌うかな」でのチャレンジです。
この日刊メルマガは、今年4年目に入りました。このメルマガでも歌に俳句と詩を添えるようになったのですが、思い切って童話のようなものを書き始めました。つい最近のことです。

 '08/10/9 日刊「花を歌うかな」 No.1231
 http://ichirof60.dip.jp/hanauta8/1231.html

続けられるかどうか、さて童話のようなものが書けるかどうか・・・わからないけど見切り発車です。やりたいことがあったら、ともかくもはじめてみる。ダメでもともと、やめればいいだけ・・・。

自分自身の言葉で自分を表現してみたい。それができるかもしれないと思わせてくれたのが啄木の「一握の砂」でした。
見よう見まねで「啄木の歌とともに」歌づくりをして丸4年・・・三行書きの歌が五行書きの詩になりました。
五行書きの詩を連ねて、それが童話のようなものへとなりました。
パソコンを始めたことで私の関心が次々に広がっていった結果です。
これからの私がどう変わるか、どんなことに関心を持つか・・・私自身も楽しみです。
まだまだ変われる自分に期待しています。変われる喜びを感じています。

コメントへの返事を書き始めたところ、結果は私の自己紹介というかメルマガの宣伝になってしまったようです。どうもすみません。
コメント、それからマイミクへのメッセージありがとうございました。
それではまた・・・ごきげんよう。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。
一郎

2008/10/23(木) 午後 

   一日で消える一郎の日記

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2008/10/23(木)

あるmixiへの投稿から・・・。

2008年10月23日 13:34 こんにちは。

「ノーカントリー」は、アカデミー賞受賞作品ということもあり要チェックなのですが、やはりまだ手が出ずにいました。トミー・リー・ジョーンズは、イラク戦争を取り上げた「告発のとき」の映画評を読んでぜひ観たいと思っている作品です。彼を知ったのは「歌え!ロレッタ愛のために」という映画でした。1980年の映画ですから当然彼もまだ若く、それが新鮮でした。
「ラストコーション」は、アン・リー監督でトニー・レオンとくれば要チェックなのですが、カバー写真からSEX物と単純に判断してこれも手にはするのですが観る決心がつきませんでした。
アン・リー監督の作品は、「グリーン・デスティニー」に好きな女優のミシェル・ヨーが出ているし、武侠物ということで観たのが最初だと思います。その後、アカデミー賞作品ということで「ブロークバック・マウンテン」を観ましたが、どちらかといえばドラッグ・クイーン物はよく見るのですが、この手のものはちょっと苦手。
それでも私はかなり変態的な趣味があるようで、美少女物、ロリータ物の映画は要チェック。そういうわけで「ライラの冒険」は観ていました。少女物では、フランス映画の「ぜんぶ、フィデルのせい」のDVDを楽しみにしているところです。

フランス映画といえば、きのうちょうど観ていたのが「地上5センチの恋心」・・・軽く笑えるというところで私としては軽くおすすめ。
「女はみんな生きている」(2001)で、すっかり女優のカトリーヌ・フロのフアンになってしまいました。その関連でこの映画・・・DVDのレンタルが開始されたばかり。もうひとつDVDレンタル待ちの映画が「譜めくりの女」…こちらの映画はかなりシリアスな内容のようです。

ということで、また長くなりましたがどうかお許しを・・・。


2008年10月22日 18:15 初めまして・・・

気にしている映画の記事がありましたのでコメントさせていただこうと思いました。
「イントゥ・ザ・ワイルド」は、映画評を読んでぜひ観たいと思っていた作品です。私の場合、出不精とデブ症の合併症なので、映画館に出かけて観ることはほとんどなく、たいがいはレンタルDVDでの映画鑑賞になります。というわけで、この映画もレンタル開始を今から待っている次第です。映画は映画館で・・・というのはよくよく分かっているのですが・・・。

過去の日記の映画に関する記事を少し拝見して、今度観てみようと決心できた映画がありました。
つとめて映画を観るようになったのは去年からのことなのですが、たとえば「Gガール」・・・「キル・ビル」でユマ・サーマンとタランティーノを知り、関連映画を少しは観ました。ミラ・ジョヴォヴィッチの「バイオ・ハザード」シリーズを観て、ヒロイン・アクション物が好きなのだと自覚した私としては、「Gガール」のDVDに何度も手が伸びるのですがなぜか借りるまでの決心がつかずにまだ観ていませんでした。
それから メリル・ストリープの「プラダを着た悪魔」・・・彼女の「今宵、フィッツジェラルド劇場で」をDVDで観て、次は話題になっている「プラダを着た悪魔」をと思ったのですが、これもなぜか何度も手にするのですが借りる決心ができす・・・もうお分かりでしょうが、私はかくも優柔不断な性格なのです。
でもこちらでそれらの映画の記事を読んで、すぐにでも観てみようという気持になったのです。何がきっかけになるか分かりませんね。
いつもは訪問しても素通り専門の私なのですが、なぜかコメントしたいという気持ちになったのも、映画の感想や何気ない文章に何か魅かれるものを感じたのでしょうね。

これからも時々はお伺いして、映画選びの参考にさせていただこうと思います。
うちには、ネコちゃんが二匹いますがネコ派というわけではなく、ワンちゃんを飼っていないというだけのことです。ワンちゃんを飼える環境があればいいのですが、なかなか・・・という事情で、ワンちゃんの話題には残念ながらお付き合いはできませんが、映画つながりというご縁で、どうかよろしくお願いいたします。

最初のコメントが長くなってしまいました。どうかお許しを・・・。
それではまた・・・失礼します。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。
一郎

2008/10/22(水) 

   一日で消える一郎の日記

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2008/10/22(水)

まぐまぐ!「啄木の歌とともに」
第207号 2008.10.22 より・・・。
http://archive.mag2.com/0000133102/index.html

◇◇ひとりごと◇◇

第207号をお送りします。

詩集 カラーブラインド blog
http://colorbd.livedoor.biz/
詩集カラーブラインド blogでは、詩人tomoさんによる最新の詩を掲載しています。

2008年10月18日
笑顔を咲かせよう
http://colorbd.livedoor.biz/archives/51496893.html

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2008年10月14日 一郎
笑顔

笑顔で死にたいものだ
笑顔できっと死のう
だって
やっと死ねるのだから
やっと人生が終わるのだから

笑顔で送ってほしいものだ
笑顔で語ってほしいものだ
だって
よろこんで死ぬのだから
よろこんでほしいと願っているのだから

笑顔を忘れていた時があるから
笑顔をどんなことがあっても忘れたくない
だって
生きることはよろこびのはずだから
生きているだけでもよろこべるはずだから

笑顔を取り戻せたのは単純なことだった
笑顔で生きて行くのは簡単なことだった
だって
自分がちっぽけな人間だと気付くだけでよかった
そのちっぽけな命を愛おしく思えばよかった

笑顔で生きようと思ったから
笑顔で死のうと思った
だって
いつ死んでも不思議ではない
いつ死んでもいいと思えるようになったから

笑顔で死にたいものだ
笑顔できっと死のう
だって
やっと死ねるのだから
やっと人生が終わるのだから

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。
一郎

2008/10/19(日) 

   一日で消える一郎の日記

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2008/10/19(日)

あるmixiホームを訪問してのコメントから・・・。


2008年10月19日 17:34

初めまして・・・○○○というお名前に魅かれてお伺いしました。

3年ほど前、ホ-ムページで「音楽でひとやすみ」というクラシック音楽のページをつくることに熱中していました。
インターネットでの人間関係にすこし疲れていたときに無性にクラシック音楽を聴きたくなったのがきっかけでした。
毎週2曲取り上げて更新していました。何度も何度も音楽を聴いて自分なりにイメージをふくらませます。どんなページにしようか、どんな画像、どんな詩を使おうか・・・そんなことを曲を聴きながら考えているときが一番楽しい時間でした。
音楽を聴き音楽のページをつくることで、いつしか心が癒されているのを感じました。音楽の素晴らしさを実感できた貴重な経験となりました。

Pachelbelの「カノン ニ長調」のページもつくっていました。
音源や画像はインターネットで知った方からお借りしています。みなさんのご協力があってこそできた「音楽でひとやすみ」でした。
ピアノ生演奏のMIDI音源と弦楽四重奏 版のMP3音源の二つのページです。MIDI音源のページは、少女の画を十数枚使っています。MP3のページは、バラの画像です。

 カノン ニ長調
 Pachelbel
 http://ichirof60.dip.jp/PART16/kanon-top.html

お時間があるときにでもご覧いただければうれしく思います。

私をクラシック音楽の世界に引き留めてくれるきっかけとなった曲は、ショパンの「幻想即興曲」でした。それからシューマンの「トロイメライ」・・・クラシック音楽に救われたと思っています。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。
一郎

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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