mixi「一郎の日記」を振り返る㉑ 2007/1/20(土)~

mixiに書いていた日記をまとめました
Twitterを始めたことでmixiは全く利用していませんでしたが
mixi日記を読み直すまとめ作業のおかげで
新たな一つの目標が出来ました

2007/1/24(水)

きのうのこの日記に、sunayama さんからコメントをいただきました。コメントへの私の返事を今日の日記といたします。

2007年01月24日
10:11
一郎
sunayama さん、コメントありがとうございます。
川柳と言えるようなものではありません。「一行日記」でしょうね。
メルマガをお読みいただいているとのこと、うれしく思います。「啄木の歌とともに」は、2004年の1月から準備を始めましたから丸3年になります。いま取り組んでいる「一握の砂以前」の歌がまだしばらくは続きます。どうぞお付き合いください。

じいさん語は私が始めたのではないのです。mixiを事情があってやめられたのですが、ある方が日記をじいさん語で書いておられたのです。内容的にはけっこう深刻なのですが、それが妙に面白く読めたのです。
それで私も使ってみたのですが、ときおり口調・・・文句がテレビの黄門様のようになったりで愉快な経験でした。そして普段の自分ならとても書かないようなことでも抵抗無く書ける気がしました。いわゆるじいさんの特権みたいなものがあるようです。言いたい放題もじいさんのせいにすれば許されそうです。間違ったことをいってもじいさんじゃからと気にすることもないのです。
自分であって自分でない、じいさんというキャラクターになるのですね。私は自分でも頭が固い人間だと思います。融通がきかないところがあります。それはそれで私の個性なのかも知れませんが、じいさん語を使うと自分とは違う人間になれるような気がしています。
私のじいさん語の師匠?にあたるお方が、それぞれのブログに歌を投稿してくださいました。それもいまは事情があってやめられていますが、mixiをやめたあともしばらくは投稿でお付き合いくださいました。よければその方の歌をお読みください。

未定さんの投稿記録
http://blogs.yahoo.co.jp/ichirof58/folder/1526460.html

sunayama さんのmixiを拝見すると五行歌のことが書かれていました。私も五行歌のことを知り興味を持ち、ある掲示板では五行書き込みを続けています。いまは単なる日記の五行の書きで「五行歌」と言えるようなものではありませんが、啄木に倣った「三行書き」の歌の先には、あるいは「五行歌」があるのかという期待も持っています。
いま私が試行している歌・・・短歌ではなく私の中ではあくまで「歌」なのですが・・・短歌形式の歌は、字数制限があるというある意味で自由なのです。字数制限があるから不自由ではないかと思うのですが、三十一文字にすればいいのですからそのなかで言葉を探せばいいのです。
私は詩を書きません。書かないというより書けないのです。字数制限がないことが、私をして不自由にしているのです。自由があって自由でない・・・おかしいようですがそうなのです。
啄木の歌を読んで私にもつくれるのではないかと始めたメルマガでした。「三行日記」、「三十一文字日記」と思うことでどうにか続けられています。「日記」なら何をどう書こうが自由だ、許されるという逃げ道をつくることでやっと自分の言葉で自分の思いを表現する手段を得たのでした。
だから最初から短歌や啄木のことを研究するという立場ではありませんでした。その後始めた「万葉集を歌う」でも同じ立場でした。私には、あくまで自己表現の手段としての歌でした。短歌にこだわっているわけではありません。じいさん語が面白ければ使ってみる、「五行歌」に可能性を感じれば書いてみる。
このmixiの日記も「できるだけ長い文章を毎日書く」を目標に掲げてみました。長い文章はなかなか書けませんが、その意気は持ち続けています。何ごともやってみる、チャレンジ・・・そうありたいと思っています。

sunayamaさんにコメントをいただけたおかげで少しは長い文章が書けました。ついでのことに、これを今日の日記にさせていただこうと思っていますのでどうかよろしくお願いいたします。

それではまた・・・ごきげんよう。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2007/1/23(火)

久しぶりにじいさん語で川柳でもつくってみるかの。川柳といっても洒落も風刺もあったもんじゃないがの、いまの自分のありさまを言葉が浮かぶままに書いてゆくだけじゃ。30分の間にどれだけできるかの・・・。

階段が楽になったぞいい調子
いいことのあとに来るのじゃ悪いこと
先のこと気にせずいまは喜ぶか
じいさん語忘れてしまう使わぬと
忘れるかそれが自然じゃ呆けまくれ
呆ければな周りは困るわしゃ楽じゃ
迷惑をかけりゃいいんじゃじゅんぐりじゃ
じゅんぐりに死んでいくのも自然じゃの
じゅんぐりに死んでいかぬもあることじゃ
死んだらなそれで終わりじゃ先はない
よみがえり信じる子らがあるそうな
信じるか死者の言葉が分る者
信じるかテレビや他人(ひと)の言うことを
疑って真実つかめ己が手で

 それぞれの「一握の砂」
 じいさん語文芸~短歌・川柳など
 http://blogs.yahoo.co.jp/ichirof58/MYBLOG/yblog.html?fid=1526308&m=lc

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2007/1/22(月)

一昨年の4月19日、まぐまぐ!から日刊のメルマガ「花を歌うかな」を創刊しました。自損事故で入院したため1ヶ月近く休刊しましたがそれ以外は毎日発行を続け、先日600号を迎えました。
この1週間の「花を歌うかな」の歌と俳句を今日の日記といたします。

'07/1/20 日刊「花を歌うかな」 No.603
「花ねこ日記」1月20日(土) 615.サムシングブルーのブーケ

 人がみな幸せになるおまじない
 花嫁の手に
 青いブーケを

 青いものデルフィニュームを花嫁に
'07/1/20 日刊「花を歌うかな」 No.602
「花ねこ日記」 1月19日(金) 614.ナンキンハゼの実

 雪降れば鳥も迷うね
 白い実はどこにあるかと
 ナンキンハゼよ

 寒かろうナンキンハゼは身を寄せて

'07/1/18 日刊「花を歌うかな」 No.600
「花ねこ日記」 1月17日(水) 612.アリウム・コワニー

 コワニーの
 足の長さはなんのため
 遠く見たさに背伸びしたから

 コワニーの初々しさはその白さ
'07/1/17 日刊「花を歌うかな」 No.599
「花ねこ日記」 1月16日(火) 611.春色のラナンキュラス

 真ん丸の固いつぼみがほころびて
 花びら幾重
 ラナンキュラスよ

 花びらを重ねて守る息吹かな
'07/1/16 日刊「花を歌うかな」 No.598
「花ねこ日記」 1月15日(月) 610.トゥモロービューティー

 たおやかな
 真白きバラはかく歌う
 あしたはきっと美しくなる

 白きバラ冬の日浴びてより白く
'07/1/13 日刊「花を歌うかな」 No.597
「花ねこ日記」 1月14日(日) 609.クレマチス・ウンナネンシス

 冬咲きの
 白い妖精クレマチス
 雪の代わりに咲いてくれたの

 雪のよう花の厚さやクレマチス
'07/1/13 日刊「花を歌うかな」 No.596
「花ねこ日記」 1月13日(土) 608.キャンディータフト(流通名)
イベリス・ウンベラータ

 菜の花の
 仲間と知って親しみが
 品格のあるキャンディータフト

 イベリスを茶うけの菓子に春を飲む
 花ねこ日記
 http://hananeko.exblog.jp/

お読みいただきありがとうございます。

同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2007/1/21(日)

それぞれの「一握の砂」のブログの今日の投稿と、私のコメント代わりの歌を今日の日記といたします。

2007/1/21・・・今日の投稿
103.とある日に・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/ichirof58/16910120.html
とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日(けふ)われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり

 とある日に 花一輪の 暖かさ 春の訪れ 心ときめき
 [ さやか ]
>とある日に 足の痛みを感じずに階段下りる 心ときめく [ 一郎 ]

 いつやらか疎遠になりしあの人の ふと思うは肌が欲しくも
 [ 中 ]
>いつからか便り途絶えしあの人の愛妻短歌また読みたくて [ 一郎 ]
150.誰(た)そ我(われ)に・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/ichirof58/17297793.html
誰(た)そ我(われ)に
ピストルにても撃(う)てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ

 武器を持ち
 徒党を組んで人脅す
 臆病者のすることと知れ  
 [ 一郎 ]

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2007/1/20(土)

1月18日付けの「一日で消える一郎の日記」に、昨日コメントがありました。そのコメントへの返事を今日の日記といたします。

2007年01月20日
19:20
一郎
蛍さんと出会うきっかけとなった掲示板・・・ここで私は、もう二つ、忘れられない出会いをしました。
その掲示板は、「音楽でひとやすみ」のページつくりのための画像を探していたとき知りました。「音楽でひとやすみ」のページは、クラシックの曲を聴いて私がイメージした世界を、画像や詩などで表現してみようと試みたものです。
ある曲のページをつくりたいと思った時、イメージした世界を出来る限り表現できる画像をインターネットで探します。私自身はカメラも持ちません、詩も書きません。使用するクラシックのMIDIも制作できません。それらは全部インターネットでそれぞれの制作者からお借りすることになります。私に出来ることは曲をイメージするだけ、そしてお借りした画像や詩の表示方法を工夫するだけです。
様々な方の様々な作品を組み合わせるのが私の仕事、作業でした。

サラサーテの「チゴイネルワイゼン」を取り上げたとき、イメージしたのは、「冬」「北国」「放浪」・・・そしてひとつのイメージにまとまりました。冬、北国への白鳥の飛来と旅立ち・・・このイメージにそって画像を探します。
キーワードにヒットした画像からHPを訪ねます。そうして出合ったHPが「雪国の四季」でした。
「チゴイネルワイゼン」のページで使っている画像のすべてをこのHPでお借りしました。画像使用のお礼と音楽のページが出来た報告を掲示板に書き込んでいました。その私の書き込みにある方のコメントがありました。その方が、のちに花の画像や絵の画像をお借りしてお世話になる愛さんでした。
コメントには、「チゴイネルワイゼン」が思い出の曲だと書かれていました。その愛さんのHPを訪れ、プロフィールを見て驚きました。ご主人を亡くされたあと、「空虚 さを埋めようと前向きに選んだ相手」(自己紹介より)がパソコンということでした。それが愛さん80歳のとき、そして現在87歳・・・いまも毎日のようにご自身の手で日記を更新されています。
。「負けてたまるか」が口癖・・・その気力を持って画像処理やフラッシュの勉強も始められるなど、私よりも好奇心と向学心の強いお方です。
私が80歳だったとして、パソコンを始める気力があるだろうかと考えたとき、愛さんの存在は大きなものがあります。私にはとても真似のできないことです。
私の母と同じ年頃の女性が、今も私よりも気力を持ってHPを更新されています。そういう方があるということを、インターネットで知ることができて幸せです。それは、あるHPの掲示板での投稿がきっかけでした。

その掲示板でのもうひとつの出会いは、やはりある方の投稿からでした。
HPを始めたことを知らせる投稿でした。それだけならば読み流していたと思いますが、その方の住んでいる地名が私の心に引っかかりました。そして、HPを訪問してみようという気になりました。その地名は、島原・・・私が、自分の生れた所を説明するときにいつも「島原の手前」とか「島原の近く」とか言っていたからです。実際は、島原鉄道の駅で言えば「神代(こうじろ)」・・・父の母方のふるさとでした。戦後、平壌から引き揚げてきたのが祖母の里だったのです。そこで私は生れました。そこに住んでいたのはしばらくのことで、長崎市内に引っ越していくのですが・・・。
だから島原には行ったこともないのに、なぜか故郷のように思うことがあります・・・神代に近いというだけのことですが・・・。
島原という地名だけの縁で訪れたHPでした。そのHPの掲示板に投稿するだけのお付き合いが、その後大きく変化していきました。それは思いもよらぬ展開となりました。

しばらくしてそのHPのご夫婦は離婚されることになりました。奥さんは郷里の福岡へ戻られました。
Aさんということで話を進めます。Aさんとの縁は、偶然にも私の母にさかのぼることが分りました。
私の母は、私が中学生の頃は花の行商をしていました。リヤカーに花を積んで町まで売り歩いていたのです。Aさんのお母さんが、私の母のお客さんだったようです。縁はそれだけではありませんでした。私が高校生のころ、市営住宅に引越ししたのですが、隣接して分譲住宅がありました。そこにAさんの妹さんが住んで居られたそうです。私の父がその町内の会長をしていた時期がありました。同じ町内ということで、妹さんは父のことを知って居られたそうです。
郷里が同じ福岡ということはあるにしても、インターネットで偶然に知り合った人が、父や母との縁があったとは極々稀なことでしょうね。
こAさんと私の両親私との縁はこれで終わるのですが、Aさんと私の縁はこれから始まるのでした。

Aさんが島原にいたころ、パソコン教室に通われていることはHPで知っていました。だから私が京都のFM放送局での番組作りを始めようとしたとき、放送用のCD制作の協力をしてもらおうと思いました。「音楽でひとやすみ」が、月1回の15分番組、詩の朗読「ことだま」が、毎週1回の3分番組・・・二つの番組の制作でした。
「音楽」の方は、クラシックを3~4曲流します。その曲名と作曲者の紹介ナレーション入れ。「ことだま」の方は、Aさんに朗読してもらいました。それらの録音データーを放送時間内に編集、CDにして放送局に送る仕事です。
私はまったくの機械オンチ、パソコンだけは何台も買い換えましたが、周辺機器は何も持っていません。ところがAさんはプリンターをはじめ、周辺機器も揃えておられました。
聞けば学生時代は放送部員で、録音テープの編集もしていたとのこと・・・私と違って機械OKの方だったようです。でも実際の作業は大変苦労されたと思います。試行錯誤の連続だったと思います。ふたつの番組は1年続けてやめました。途中、3つの番組を追加しました。ですから1時期、4つの番組の編集、制作が進行したことになります。来月からは事情があってラジオ番組の制作から離れられますが、今月始めまでは協力していただきました。

京都の小さなFMラジオの放送局ですが、そこで自分の番組を制作、放送することができたのもAさんの協力があってのことです。私だけでは実現できなかったでしょう。
このようなことができたのも、ある掲示板での出会いがあってのことでした。

私のHPの掲示板は閉じています。いわゆるいかがわしいサイトの宣伝が続いたからです。
掲示板は、たしかに出会いの場になります。私が経験したいい出会いのいくつかを書いてみました。
しかし、掲示板はなければないでいいと思っています。私自身は、掲示板にはよほどのことがないと書き込みしません。おそらく掲示板に書き込まれる人は、HPを見ている人のうちわずかの方だと思います。
掲示板やメールでの反応がなくても、見てくれている人があります。私が知らないところで私のHPにかかわってくれている人がいる・・・どこかで誰かが見ていてくれる、そう思っています。

自分のやりたいことをやるひとつの場がインターネットにあった。それはHPでありメルマがであり、いまはブログ、そしてこのmixi。
それは、ひとつの場であってすべてではないと思っています。
いまやりたいことをやれるばがインターネットの世界。やりたいことをやっていく中で、やりたいこともやる場所も変わってくるかもしれません。変わらないかもしれません。
自分の心のおもむくままに任せることにします。
誰にためでもない、すべては自分のためですからわが心の向くまま、気ままでいいのです。
やりたいことがある、その気持ちを持ち続けられれば・・・。

それではまた・・・ごきげんよう。
 雪国の四季
 http://www.spnet.ne.jp/~hirose/
 愛さんのHP
 花と観葉植物の部屋へようこそ!
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~lovesan/
 Aさんのブログ
 気ままな人生1人旅(3年目)
 http://blogs.yahoo.co.jp/agasa888
 イチローのHP FMラジオ番組
 http://www.interq.or.jp/black/ichiro/FMradio.html

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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