mixi「一郎の日記」を振り返る⑨ 2006/11/11(土) その1~

万葉集のブログと一握の砂のブログに書いてきた自分のコメントを
noteにまとめる作業をしてきました
それらのブログやメルマガ発行とほぼ並行して
mixiに日記を書いてきました
Twitterを始めたことで今ではmixiは全く利用していません
noteでの作業を通してmixiに書いて日記を
今一度読み返してみたくなりました

2006/11/16(木)

2006/11/17(金) 午前 1:28 mixi「一郎の日記」 短歌 =================
   
   一日で消える一郎の日記

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2006/11/16(木)

いろいろ用事を済ませ残るはこの日記だけとなったのですが・・・何を書こうかと思うばかりで書けないでいます。なにか日記に使えるものはないかと探したのですが、もうたいがいは使ってしまいました。
日刊メルマガをこの14日に発行したばかりなのでメルマガのことでも書こうかと、最初に出した週刊メルマガ「啄木の歌とともに」をまぐまぐ!の個人ページで開いてみました。
発行して2年以上になるのですが、ちなみに去年の今頃そのメルマガにはどんなことを書いていただろうと見てみました。
ちょうど去年の11月16日に第76号を発行しています。もう「一握の砂」の歌は終えて「悲しき玩具」に取りかかっていました。そして「あとがき」にあたる「ひとりごと」には、「北からのデジカメ便り」というメルマガのことを書いています。
「音楽でひとやすみ」のページつくりに、曲をイメージした画像をいろんなサイトからお借りしてつくっていました。画像をお借りしたことがあるMiyukiさんのことを書いています。ここで紹介してみます。

◇◇ひとりごと◇◇

第76号をお送りします。
9日の夕方、この日の啄木の歌を書き終えて、このひとりごとに何を書こ
うかと思案していました。Yahoo!ブログ「万葉集を歌う」が100回を超
えたのでそのことでも書こうかと思っていました。
気持ちが決まらないままでいると、今日発行されたメルマガをまだチェ
ックしていないことに気がつきました。hotmailを開くと数通のメールが
届いていました。「北からのデジカメ便り」というメルマガもありまし
た。このメルマガは、3人の方が交替でデジカメで撮った北海道の自然を
届けてくれます。
今回のメルマガはいつもと違っていました。自然を写した画像はありま
すが、お仲間の一人・・・Miyukiさんの追悼号になっていました。
ここ数回のメルマガで、Miyukiさんの具合が悪いということは知らされ
ていました。しかし、まさか亡くなられるとは思ってもいませんでし
た。それだけに、今回のメルマガがMiyukiさんの追悼号になっていたの
に驚きました。
今日、TVでなんども歌手の本田美奈子さんの死を悼む様子を見ていたこ
とで心が重くなっていたこともあったのでしょうが、数年前インターネ
ットでお世話になっただけのMiyukiさんの死の知らせはショックでし
た。HPで「音楽でひとやすみ」に力を入れてページをつくっていたと
き、Miyukiさんの画像のお世話になったことがあります。記憶では一度
だけだったと思うのですが、それはモーツァルトの曲を取り上げたとき
でした。
今日、あらためてそのページを見ました。たくさんの画像をお借りして
いました。元気だったMiyukiさんの姿が、それらの画像の向こうに見え
ます。
MiyukiさんのHPは、ご主人が引き継ぎ維持されます。
http://miyuken.com/

Miyukiさんのご冥福をお祈りいたします。

「音楽でひとやすみ」
Mozart~ピアノ協奏曲第23番第2楽章嬰へ短調
http://ichiro54.zive.net/pcon/23-2.html

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2006/11/13(月)

2006/11/14(火) 午後 9:00 mixi「一郎の日記」  =================

   一日で消える一郎の日記

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2006/11/13(月)

今朝は月に一度の新聞休刊日・・・おかげでゆっくり休めました。
4時ごろ目が冷めてmixiを開きました。「足あと」をたどります。ある日記に目が留まりました。いつもはブログの更新をしたりコメントへの返事を書いたりしているのですが、そんなことも忘れて日記を読んでいました。
そして日記にコメントを書いておこうと思いました。書いては日記に戻り、読んでは書いてくというくり返し。少し長くなったのでこれを私の日記に使おうとさらに長く書くことを意識したのでした。
そうやって書き上げ投稿したコメントを今日の日記にしてみます。ですから朝6時には書き終えていました。私もやれば出来るのだと、チョッとは自信を取り戻せました。

2006年11月13日06:15
一郎

初めまして・・・京都在住の58歳、ひとり者です。
内容のことは置いといて・・・さて置き、長い文章を書きたいと常々思っている私にとって、感動するばかりの日記でした。
日記というか、エッセイというか、詩というか・・・心の中のる言葉を、こうもスラスラよく書けるものだと・・・。こうも言葉が湧いて出るものだと・・・。

ついつい前の「日記」をさかのぼって読んでいました。
11月分を読み終わってこのコメントを書いています。
62歳ということですが、そのお年で「わしゃ年寄りじゃが」とは無いと思いますが・・・気になってmixi登録当時の日記を開いてみました。
「わしゃ確かにじいさんじゃが、人生終わりかけと
思われては心外じゃ。
わしゃ120才まで生きる予定じゃから 」

「わしも若者の言葉真似して書いてみようかと
思うのじゃが、まだ勇気が出んしなあ
わしゃ変身願望もあるでの、そのうち
若者のふりして若い友人作ったりもしてみたいんじゃ。」

「ところでちょっと注文があるんじゃが。
わしゃ自分のことじいさんじいさんと言っておるが
多少謙遜の意味や自虐の意味も含んで言っとるわけで
本当にじいさんだとはおもってないんじゃ。」

ここでやめようと思ったら・・・

「わしゃ本当は普段からこんな話し方では
ないんじゃよ。
普通の話し方じゃ。
ここではじいさん度を強調してみたが
何かわざとらしいのぅ・・・
日常生活でこんな言葉でしゃべる人はいるんじゃろか?
じゃがわしゃ飽きるまでこれで行くわぃ!」

これで納得・・・馬鹿さんの「文体」でしたか。
この「日記」につられて次の「日記」のタイトルを見ると・・・「わしのこと」で家族のことが・・・短い文章でしたがまた読んでしまいました。
「日記」を読むのとコメントを書くのが交互に進行しています。どこまで行くのか自分でも分かりませんが、興味が尽きるまでとにかく進行してみましょう。
せっかくここに書いたコメントが手違いで消えないように「メモ帳」に書き進め、終わったところでペースト・・・貼り付けましょうか・・・消えれば消えたときのこと、神様が面白くないから投稿しない方がいいとの配慮と思えば済むのですが、ここはいつもの私の流儀は「置いといて」・・・この言葉を使うのは2回目ですかな・・・といいつつまだメモ帳は開いていないのじゃが・・・あれ?いつのまにか誰かさんの言葉と似てきたのかな・・・まだそんなにもうろくしていないとおもっとるのじゃが・・・ま、それは置いといて・・・なにをしようとしていたのか・・・そうそうメモ帳じゃ・・・ここまで書くとイヤミと思われるかもしれんな。

ここからはメモ帳に書いているのですが、なんかしっくりこないですね。やはり日記のコメント欄に直接書いていったほうがいいのかな・・・と思いつつ先に進めます。
私の悪い癖が出てきました。長い文章を書きたいと思うようになってきました。もうかなりコメントになっているのですが、これはmixiが悪いのです。制限が無いのです。無いと思うのです。「字数制限」の表示にまだ出会っていないのです。かなり長い文章・・・その日に書いた文章ではなく、過去の詩や文章をまとめて私のプロフィールの自己紹介欄に設けた「日記」・・・過去の記録が残る「日記」機能を使わず、あえて更新すれば消えてしまう自己紹介欄につくったもの・・・に貼り付けたのですが、それでもOK・・・「字数制限」の表示が出ませんでした。ちなみにYahoo!ブログの方に同じ文章を書き込む・・・貼り付けると「5000文字の字数制限」にひっかかりました。文章を3分割してやっとOKがでました。
話しがそれましたが、つまり長い文章を書いても制限があるのかないのかまだ分からないmixiのせいで長い文章を書きたいという悪い癖に歯止めが効かないのです。mixiで、日記本文の「字数制限」はまだ無いのですが、このコメントにはそれがあるのかないのか・・・それがテストできますね。それにこのコメントの意味を求めましょうか。
長い文章を書こうと悪い癖が出てきたのは、この文章を先ほど紹介したきょうの私の「一日で消える一郎の日記」に使おうという思惑も働いているのです。というのは、「できるだけ長い文章を毎日更新」という課題を自分に突きつけスタートしたものの、書くことが無くて、書きたいことがあっても書く力がなくて過去の文章、詩、俳句をひっぱりだしては「日記」として更新してきたいたからです。人様の日記のコメントを自分の「日記」に使うとにはすこし心苦しい思いはありますが、自分が書いた文章で、途中からではありますが自分の「日記」にすることを意識して書いているのでお許しをいただけるかと勝手に思っています。

さて・・・これまで読んだ馬鹿さんの日記で気がついたこと・・・「全部「わしゃ」で始まっておるのぉ」までの5本の日記は、mixiを始められた初日の一日に「日記」だったんですね。
ここでことわりごと・・・日記に「」をつけるのは、単なる日記ではなく私は「作品」として意識しているからです。
私がmixiから登録完了の通知を受けたのは9月22日・・・mixi暦では、私の方が少しだけ先輩になります。mixiにおいては少々えらそうなことを言っても許されると思うのです。これまでの失礼も「mixi先輩」ということでお許しください。
私は何も知らずにとりあえずmixiに招待してもらいましたが、だから何をどうはじめていいのか分からない状態でした。日記を始めたのは9月27日・・・1週間後のことでした。それまではmixiの勝手が分からず右往左往していたようです。そういう意味で言うなら馬鹿さんが初日から日記を始められたというのは、私には驚きです。馬鹿さんの頭脳がいかに「やわらか頭」かということが分かります。

10月13日の日記は、長短ありの7本。気になる日記もありました・・・「やっぱりむなしいのぉ」。
「日記」を読み、コメントも続けたいのですが朝の6時になりました。いつもの私の日課・・・ブログの更新も忘れてこの「日記」のコメントを書いてきました。
新聞休刊日でしたのでこの時間にこのようなことも出来ました。6時半にはいつもの市場の仕事に出かけます。

「足跡」をたどってお伺いしたのですが、そのおかげで今日の私の日記の「ネタ」ができました。私の日記に使わせていただくことをお願いしておきます。それからついでにと言っては失礼ですが、「マイミクシィ」の手続きをさせていただきます。承認いただければ嬉しく思います。
長々と失礼しました。さて、コメントへの長文の投稿が有効かどうか・・・テストです。成功するかどうか・・・いずれにしてもその点だけでも意味があるといえますかね・・・。意味を求めなくてもいいことなのですが・・・。
重ね重ねの失礼があったかもしれません。どうか「mixi暦先輩」に免じてお許しください。

それではまた・・・ごきげんよう。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

馬鹿さんのmixi
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=7047343

日刊メルマガ“それぞれの「一握の砂」”準備号(HTML形式)
http://ichiro54.zive.net/sorezore.html

2006/11/12(日)

2006/11/12(日) 午後 7:51 mixi「一郎の日記」 短歌 =================

   一日で消える一郎の日記

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2006/11/12(日)

きのうの続きの日記を拾い出してきました。きのうの日記は2年前の11月と12月分、今日の日記はその次の年・・・つまり昨年の1月分からです。
正月休みの山歩きで左足首を骨折するというアクシデントがありました。そして7月・・・さらに大きなアクシデント。私のことなど興味は無いかもしれませんが、私自身がこの日記を読むのを楽しみになってきました。
人ごとのように読んでいます。この部分は日曜日の午後4時、相撲中継を見ながら書いています。日記を書く時間が無いからと言えば嘘になります。今日記が書けないのは、日記を書くこと自体の意味を探しているのかもしれません。
書くことが無いとも言えますし、書くことはあるのに書く力がないとも言えます。そのどちらの理由もあるのでしょう。以前書いた山歩きの日記も今回で終わりとなるでしょう。そうすれば、いよいよ私が以前書いたものはおしまいです。
その先どうするか、どうなるか・・・。「一日で消える一郎の日記」をどうするか、どうなるか・・・自分でも分かりません。分からないから面白い・・・そう思ってはいるのですが・・・。

 雪の山道
2005年1月2日 17:00
今日は、この前京見峠への道の途中にあった6体の小さな石仏に会いに行ってきました。
朝9時、お供えにでもしようとみかん1個をポケットに入れ出かけました。
船山からの山道は、きのう午前中に降った雪が残っています。凍っているので歩くたびにザクッザクッと音がします。きのう歩いた1人の足跡が残っています。不思議とその人の足跡を無意識に踏んでいました。
お天気はサイコーです。
私の格好といえば、山歩きするような装束ではなく、ごく普通の格好にスニーカーに似せたズック。雪が10センチほど積もっているところでは、容赦なくクツのすきまから雪が入ってきます。雪は、昨日の朝の配達のときにたっぷり経験済みです。そんなことはなんともありません。
以前、雪山に凝ったときに冬の装備はそろえたのですが、今は物置の奥に眠っています。
そのころはといえば、高い山へ登ることに興味があり、船山周辺は歩いたこともありませんんでした。もっともその当時は、今のところに住んでいませんでしたが・・・。
今は、船山、京見峠周辺のハイキングコースが気に入っています。

6体の小さな石仏が石垣の上に並んでいます。雪に半分埋まっていました。かたわらに掃除道具がビニール袋にまとめてあるのを見ると、どなたかが目的を持ってつくられたのでしょうね。
6体あるところから「六地蔵」と思われますが、定かではありません。
失礼だったかもしれませんが、持ってきたミカンをむいて中身を分けてお供えしてきました。
中には10個しか入っていませんでしたので半端になってしまいましたが・・・。

京見峠から、この前いった沢山への登り口になる上の水峠に出ようと思っていましたが、予定を変更して車道から離れた別の道を通って千束に下り、家に戻ることにしました。
この道からは、以前登った桃山、沢山が良く見えます。途中、登ってくるひとりのお年よりの人に会いました。「こんにちは」とだけあいさつを交わしてすれ違いました。
この道を下ったところの千束は、毎朝新聞の配達が終わって帰る通り道になります。
家に戻ったのが11時半・・・昼飯前の散歩になりました。

 京見峠から上の水峠
2005年1月4日 18:00
新聞の配達は始まっていますが、中央市場の仕事はあすから・・・私にとっては今日が正月やすみの最後の日という感じ。ですから当然、歩きに行ってきました。

今日は千束から京見峠に登り、京見峠から尾根伝いに上の水峠・・・沢の池への分岐点に出るコース。この前船山から京見峠に出たとき、本当はこのコースを歩く予定でした。そのときは京見峠を下って、千束に出るコースを歩いて帰りました。今日は、千束からその逆のコースをたどり、京見峠のすこし上にある分岐点から上の水峠、そして出発点の千束に戻ります。

京見峠の分岐点からは少しのぼりが続きますが、そのあとは尾根伝いに比較的平坦な道が続きました。とてもいいコースだと思います。というか・・・どのコースも全部いいとしか言いようがないみたい・・・。

約2時間、たっぷり歩いた気がしています。お昼前に家に戻り、もう一度お風呂に入って汗を洗い流しました・・・極楽極楽です。

 周山街道
2005年1月8日 19:00
午後2時前、昼寝が済んでから山歩きに出かけました。今日の予定は、山には登らず距離を歩くこと・・・沢の池への分岐点、上の水峠から周山街道にある中川町に出て紅葉で有名な高雄まで歩き、そこから沢の池に出る山道に入り沢の池を経て上の水峠に戻るコース・・・かなり歩きました。
上の水峠から坂を下ったところに車を置いていました。車に戻ったのが5時少し前。ところが、車を道路の端に寄せておいたところに岩があり、後ろの左タイヤの横腹を擦ったせいでパンクしていました。タイヤ交換してガソリンスタンドに修理に寄ったころは、もう薄暗くなっていました。
タイヤは買い換えることになり、かなりの出費・・・いろんなことがあります。無事に戻れた訳ですからそれですべてよし、ということにします。
中川町は、20代のころ勤めていた菓子問屋の配送の仕事で、月に1回くらい農協へ配達に来ていました。今日歩いて周山街道に出たところは、その農協の少し下手の菩提道というところでした。周山街道を歩き出して驚いたことは、菩提道の少し下手から農協などを避けた中川トンネルが出来ていたことです。そのもっと下手では、別のバイパスの工事中・・・変わったものです。
周山街道は、福井・小浜に抜ける道です。車が私を次々に追い越していきます。いつも車で通っていた道を歩くなんて思ってもいませんでした。今日の予定も、菩提道の途中にある菩提の滝を見て、沢の池に戻ろうと思っていたのです。車が多い道を歩くのは嫌いです・・・でも歩き始めたら、意思に反してどんどん足が先へ先へと進んでいくのです。中川町のどの辺にでるのだろうという興味と、同じ道を戻るのを良しとしない気持ちも働いています。
20数年は通っていない周山街道・・・高雄まで歩いた訳ですが、トンネル、バイパス工事と様変わりしているのに比べ、こうして歩いている自分はどうなんだろうと思ったりしていました。

 船山
2005年1月9日 21:35
これまで船山の頂上から裏側(北側)へ下りたのが二度、そのたびに下りた地点が違うのです。裏側からの登り口に戻れないのです。この前・・・二度目の時は、まだ雪が残っていたせいかひとつ東側の尾根にそれてしまいました。
登り口にチャンと戻らないと気がすみません。そこで今日、三度目の挑戦をすることにしました。
いつもなら歩いていくのですが、昼寝から目が覚めたのが遅かったので、登り口の手前まで車で行くことにしました。片道30分短縮できます。ところが・・・車を出したとき、またパンクしているのに気がつきました。今度は右後部のタイヤです。交換したあと見てみると、釘が刺さっていました。きのうと今日・・・続くときは続くものです。二度あることは三度あるともいいます・・・・パンクを発見できたことは幸いでした。いつものように歩いて出かけていたら、パンクには気付かずに翌朝あわてるところでした。

船山・・・登りながら、今回は注意深く道を間違えそうな箇所を確認していきました。何箇所か間違えそうな箇所がありましたが、これまでどこで道を間違えたかは分かりません。
頂上について小休止。呼吸が整ったところで下りていきました。そして今日は、ちゃんと登り口に到着しました。三度目の正直というところでしょうか・・・やっと納得できました。

沢の池周辺~その1
2005年1月10日 8:20
今日はこれから出かけます。一昨日、沢の池に行ったときに毘沙門谷から周山街道に出る道がありました。そこをたどってみることにします。今度は周山街道は歩かず、同じ道を沢の池に戻ることにします。
帰ってお風呂に入ってお昼寝というコースにします。
日記やメルマガの短歌は、昼寝から目が覚めてからにします。

今日もいい天気です。洗濯物に日が照っています。

 沢の池周辺~その2(事件です)
2005年1月10日 17:25
桃山のふもとにある原谷に車を置き、原谷弁財天の裏山から桃山へ登りはじめました。桃山から沢山、沢の池へでる尾根伝いの道に出て西へ西へと歩いていきます。沢の池への分岐点を過ぎて、いよいよ初めての道、毘沙門谷へのコースに入ります。毘沙門谷への分岐点から毘沙門山の頂上(491m)に立ち寄り、分岐点に戻って毘沙門谷に入りました。北側の谷ということもあって、まだ雪が残っていました。だから道はわかりません。木の枝に巻いた赤いビニールテープだけが目印です。とにかく谷を下りていきます。
下りていくにしたがって水が増え、川らしくなっていきます。その川に3本の丸太が橋の変わりに架けてありました。滑らないように注意をしていたのですが滑ってしまいました。ちょうど大きな岩があったのでその上に降りたのですが、そのとき左足を強く打ってしまいました。右足が水に浸かってしまいました。その冷たさよりも左足の痛みがこたえます。捻挫だったらしばらくすると痛みは和らぎますが、今回はなかなか治りません。もしかしたら足首の骨にヒビが入ったか、最悪折れているかもしれないと思いました。
しばらく岩の上に座り込んで足が回復するのを待ちます。何度か手で水をすくい飲みます。毘沙門谷を下りているとき、この道を戻るのは難しいと思い始めていました。初めの予定では周山街道まで出て、またもとの道を戻るつもりでした。この前とは逆に、周山街道を菩提道まで戻り、そこから沢の池に出て車を置いている原谷に戻ろうと予定を変更したのですが、その矢先の事故です。ともかくも周山街道に出て、バスで原谷に近いところまで行き、タクシーを拾って車をおいているところに戻ろうと決めました。
左足をかばい、何とか毘沙門谷を下り切って周山街道に出ました。毘沙門橋のバス停は少し下ったところにありました。私はいつも時計を持っていません。いま何時なのか分かりません。1時間に1本の割でバスは運行されています。最悪の場合、1時間ほど待つことになります。
待つことには慣れています。長い時間が流れました・・・。

バスに乗ったのは1時前でした。原谷の入り口になる仁和寺でバスを降り、客待ちをしていたタクシーに乗って原谷へ・・・・。
家に戻ってお風呂に入り、やっとひと息ついたのは2時前でした。

このあとも日記は続きますが、山歩きのことを書いたのはこれで終わりになります。
このブログのタイトルは、「梅原司平 Live in Radio Cafe」です。梅原司平さんのミニライブとラジオ番組制作を「ラジオカフェ」というスペースで取り組んでみたいと思いました。その取り組み状況を同時進行でお知らせしようと始めたブログでした。
この企画は、2005年7月1日の私の居眠りによる自損事故での入院で中断したまま現在に至っています。また機会があればライブに取り組むかもしれませんが、いまは啄木のブログやメルマガ、そしてこのmixiに力を入れているという状況です。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2006/11/11(土) その2

2006/11/11(土) 午後 10:52 mixi「一郎の日記」 短歌 =================

   一日で消える一郎の日記

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2006/11/11(土)

2年前の11月、あるブログをひっそりスタートさせました。その当時はつとめて歩くようにしていたようです。賀茂川沿いの散歩から次第に西賀茂にある山を歩くようになりました。
山歩きのことを書いた日記だけピックアップしてみました。今はまったく歩かなくなった私ですが、その頃のことをすこし振り返ってみたくなりました。・・・というより、やっぱり日記を書くことをサボるためですね・・・。
とりあえず11月と12月分から・・・。

ふ~~
2004年12月23日 午後2時
今朝の報告をしておきます。
朝9時にでかけました。今日は山のふもとまでクルマ・・・30分の時間短縮です。
予定では、沢山を尾根伝いに登るはずでした。いつも予定通りにはすすみません。ここが登り口かと見当を付けて登っていったのですが、出たところはこの前登った桃山と沢山を結ぶ尾根の中間あたり・・・間違ったとはいえいいところに出ました。尾根を西へ・・・そして吉兆山を経て目的の沢山(516m)に到着。ここで本当はタバコを吸って一服したいところ・・・「タバコ断ち」しているので、タバコを吸いたくなったら深呼吸・・・。帰りは、登ってくるはずだった尾根伝いの道を下っていきました。下りたところは、沢山の西にある沢池から来た道との合流点。予定では、沢山からの帰りに沢池に出て元の道に戻るはずだったので、沢池は見ておこうと沢池への道をたどることにしました。
沢池は前に一度来ています。30代のころ、山歩きを始めたころだったと思います。
そのときは沢池の南を走る周山街道の方から登りました。山に囲まれ、自然のままに残されています。沢池の水際に立って、今日の目的はやっと達したと思いました。
帰り道、にわかにみぞれっぽい時雨・・・「北山しぐれ」という言葉が京都にはあります。しぐれの中を歩いていきました。車を置いているところまではかなりの距離がありました。車に戻ったときは午後12時15分・・・よく歩いたと思います。家に戻ってお風呂に入り昼食・・・これを書き終えたら昼寝です。おつかれさまでした。

気合を入れて・・・
2004年12月8日
朝の散歩のことを少し書きます。
朝食後、眠くなってちょっと仮眠。9時に起きて出発しました。今朝の気温は4度・・・空気は冷たいけどお日様が照っています。日中は温かくなるはずです。
今日のコースは、船山から京見峠に出て、氷室から船山に戻るコース。このまえは船山から氷室に出て、京見峠から船山に戻るはずだったが、京見峠からの入り口が分からなかったので、仕方なく自動車道を下ることになった。
今日は、しっかりと京見峠の入り口を確認することが目的。この前、ここではないかという道が2箇所あったが、標識もなく確認できなかった。
船山の入り口は、ゴルフ場のコースを横切っていく。いつもは夕方荷散歩に出るので、その時間はコースに出ている人はいない。だが今日は、ちょうどゴルフのスタートの時間になったので、登山道が横切っているコースでもプレイしている人たちがいた。
「結構なご身分だ」と思ったが、それはそのまま私のことでもありました。

お日様を背中に、尾根下の道をどんどん歩いていきます。最初の分岐点、左は釈迦谷・・・ちょうど私のアパートの脇に出る道につづいています。道なりに進めば氷室へ出る広い道。その道の左上に登る細い道が京見峠に至る道。歩くのは初めてになるその道を進んでいきました。上り道ですが、そう苦にはならない程度のゆるやかな道です。道なりに歩きます。途中に三叉路がありました。左には京見峠の標識。右には何もありませんが、はっきりと人が通った道がつづいています。もうかなり歩きましたから、峠の近くまでは来ているはずです。またここに戻って京見峠に向かえばいいと思い、先に標識のないほうの道がどこに出るか確認することにしました。
これまでは、いつも一人か二人はすれ違うのですが、今日は誰にも会いません。まったく私一人の世界・・・日曜日などはそうもいかないでしょうね。ハイキングコースとしてはとてもいいコースですから、きっと歩く人も多いと思います。
小さな6体のお地蔵さまなのでしょうか、石仏が並んでいるところがありました。造花の花が添えられています。しばらく行くと今度は3枚の石碑が埋めてあるところにでました。安里なにがしという3人の名前と「ここに眠る」という文字が書いてあります。どんな人たちで、どんな人生だったのでしょうね。あとでこの名前にまた出会うことになります。
少し上りが急になって、ようやく自動車道に出ました。出口の木に巻いてあった黄色のテープ・・・この前、氷室から京見峠に下るとき見たテープです。ちょっと一服して三叉路まで戻ることにしました。目的は京見峠です。戻るとき、石碑があるところまでは道がはっきりしていません。こちらから来ると迷うかもしれないと思いました。三叉路から京見峠までは、ほぼ平坦な楽な道でした。左手が京都市街、木々の間から遠く眺めることもできます。温かい陽射しを感じて歩いていきました。
きれいに植林されたところを通ると少し上り坂・・・道路沿いにあった大きな歌碑が見えました。峠の茶屋があるところです。
やはりここだったのか・・・納得しました。
帰りは氷室の方へ上ります。
京見峠から少し登ったところは三叉路になっています。車道です。右へ行くと氷室、左へ行くと周山街道・・・若狭に至る道です。その三叉路から氷室に登って少し行ったところ・・・右側に大きな門があります。閉まっていますが、その表札の名が・・・「安里」だったのです。

氷室へ下りて、この前の逆の道をたどって京見峠、釈迦谷への分岐点に戻り、船山、ゴルフ場へと戻ってきました。そこから家までがけっこうあります。
家に着いたのは12時半・・・3時間半の行程でした。
お風呂に入り、食事して・・・気合を入れて眠りました。

2004年11月25日

(省略)

これからまた散歩のことになります。
予定は未定・・・足は船山に向かいました。
昨日、船山の裏道から登りましたが、あの車が通る林道の先はどうなっているか、どこに出るか知りたくなりました。あの道路の先に、船山に登るもうひとつの登山道があるかどうかも知りたくなりました。
家から昨日と同じコースをたどって林道に入りました。道は広いし、濡れたところは滑りやすいけど登るには楽な道です。左手に船山への登山口の目印を確認して先に進みます。すぐに下り坂・・・その先の道のおよその見当をはつけていました。
一日目に歩いたコースで、尺八池へと下りる谷への道と京見峠・氷室への分岐点に出るのではないかと思っていました。平坦な道をかなり歩きました。道が狭くなり、いよいよす杉木立の中に入っていきました。平坦な道から登り道になります。木々の合間から見える空が近くなると尾根の上に近くなったことが分かります。平坦で道幅のある尾根道に合流しました。道しるべもありました。左・船山、右・氷室・・・船山の方へしばらく進むと、見当をつけていた分岐点に着きました。この前見た道しるべがあります。この前はここから谷を下りていったのでした。辺りをゆっくり見回すと、その道しるべの反対側にもうひとつの道しるべがありました。そこには、船山と西賀茂という文字がありました。前には気がつかなかった表示です。船山とあるから頂上への道がこの先にあるのです。時間的に昨日より遅くなっていると感じていましたので、船山の頂上を目指すのはチョッと迷いました。でも、できるなら今日にでも頂上への道を全部確認しておきたいという気持ちの方が勝ちました。西賀茂への道とそう時間は変わらないと思いました。実際に頂上についてみると、こちらの道の方が楽だったかもしれません。
西賀茂へ下りる裏道だと思った道をさかのぼって山頂にたどり着きました。謎が解けました。船山への3本の道をみなたどりました。
船形のてっぺんの岩場に立って下界を見渡しました。もやがかかった街に明かりが見えます。見上げると、比叡山の上の方にまあるく白いお月様が出ています。昨日、ある掲示板に「十三夜の月」と書いてありました。すると今日は十四夜・・・船形を下り、ゴルフ場を横切り道路に出ると、その正面に大きな月。あたりが薄暗くなった分、白さを増しくっきりと見えました。

2006/11/11(土) その1

2006/11/11(土) 午後 10:51 mixi「一郎の日記」 短歌

今日も船形山
2004年11月23日
先ず散歩の話から・・・。
予定通り今日も船形山へ・・・3日連続になる。
今日の予定は、船形山征服・・・チョッとオーバーな表現だけど、これまでは船形の舳先(へさき)のところに乗っかっただけで戻っている。
艫(とも)・・・船尾まで歩いてそれから帆柱のテッペンまで行く、そしてさらに山の頂上まで・・・船形と山を征服するのが今日の目標。
頂上に登って小学生の登山記念の小さな板に書いてあったのは「船形山 317m」・・・征服なんて使うような山ではないのですが、このところまったく身体を動かしたことのない私のことですから、すこし大げさな表現はお許しください。今のわたし的には「征服」なのです。
ゴルフ場を横切ってからの急な上り坂が快感になっている。1日目よりは楽になった気がする。船の舳先にあたるところで一服、いよいよ未知の部分・・・艫の方向へ歩いていく。艫の部分から帆柱のテッペンへ・・・その手前まで来て先客がいるのに気がついた。
若い男女の外人だった。腰を下ろしていた女性から「こんにちは」とあいさつされたので、「こんにちは」と返事する。男の方は立っていた。Tシャツの腹部をみると、私よりはましだがすこし出ている。これがスマートな男だったら敵意を持つところだが、私と同類だと勝手に格付けして喜んでいる。
それより私にはまだ先が残っている。頂上を極めなくてはいけない。チョッと休んで展望を楽しみ、上を目指す。10分ほど登っただろうか・・・平坦なところに出ると背の低い石柱が本立っていた。近くの木に小さな板切れが掛けられている。小学生の登山記念の板切れ・・・そして初めてこの山の高さを知った。それが317m・・・・この低い山の頂上への1歩はたいしたことはないかもしれないが、私にとっては偉大な1歩・・・月面着陸した宇宙飛行士の言葉を真似てみた。まったく大げさだ・・・こんなことを仰々しく書いているのが恥ずかしくなる・・・が、これもまた私の真実、いいではないか。

頂上からまだ先に続く道がある。すこし下ってみた。右・・・東の方へ曲がっている。ということはゴルフ場の東の端の北側に出る感じ。今度はこちら側から登って船形の正面に出てみよう・・・新たな登山道・・・散歩道を発見して喜んでいる自分がいる。
まだまだ船形山探検は続く・・・。

今日は大事なことをひとつ書いておかなければならないが、久しぶりに字数制限に引っかかりそうな日記になってきた。
大事なことだが手短に書かねばならない。
新番組のパーソナリティーにお願いしたいと思う人が出来た。今日、10時半からその人の番組が生放送された。例によって車の中で聴いたのだが、クラシックのイベントの紹介に関連して、指揮者になりたかったという話題が出た。ベートーベンの「第9」を指揮できるという、それから中学生時代、京響の友の会に入っていたとか、合唱コンクールの指揮をしたとかの話題がなんとも楽しかった。
それを聴いて迷っていた私の気持ちが決まった。早速メールを送った。
結果はどうなりますか・・・。

今日の散歩
2004年11月21日
 昨日、みすゞの詩の使用許可の手紙が届いた。
使用許可が出た5つの詩のページはもう準備している。その次に公開する5つの詩の準備をし、以前作った5つの詩のページと合わせて使用許可願いの申請を出す・・・このような段取りでみすゞのページをつくっている。

 昼から5つの詩の選択作業をしていた。一段落がついたのが4時。散歩の時間になった。
以前は夜8時か9時頃出かけていたが、ある人の忠告を受け入れて明るい時間に済ませることにした。
外に出てコースを変えようと思った。紅葉がきれいな場所がある。そこを回る散歩コースを以前歩いたことがある。「東海道自然道」に指定されているコースでもある。
8月、お盆の五山の送り火は有名だが、私の住んでいるすぐ近くにそのひとつ、船形山がある。送り火を焚く石台のすぐ脇を登り、氷室への道筋にある京見峠の手前の谷へ下りると紅葉のきれいな「東海自然道」に出る。
このコースを歩いてみようと思った。小1時間で歩けるはずだと・・・。船形山への登り口までは平坦なコース。ゴルフ場のコースを横切って船形山に登ることになる。そのかかりからかなりきつい傾斜の山道・・・息を切らしながらも一気に登って行った。もうかなり前になるが、飼っていたネコが病気で死んだとき、この道から脇に入ったところに埋葬した。毎年送り火のときに、そのネコのことを想い出そうとその場所を選んだ。そんなこともあった。それから春蘭を探しにこのコースを歩いたことがあった。そのときは今日とは逆のコースから歩いた。送り火の点火台に出る手前で、奇跡的と言ってもおおげさではないと思うが、目的の春蘭を見つけることが出来た。その後何年かは、毎年春蘭を家で楽しむことが出来た。
 いろんなことを思い出しながら、点火台の脇を抜け京見峠の方へと登って行った。谷へ道をとり下りだした頃、木立の中には陽が届かず、薄暗い中を歩くことになった。以前来たときはもっと簡単なコースだと思ったが、今日きつく感じたのは年のせいなのだろう。
岩場もあり、足元が不安定・・・捻挫しないように注意して足を運んだ。
ようやく平坦で広い道に出たとき、その脇には谷を滴り落ちていた水が集まり小さな川となって流れていた。その流れは尺八池に続く。尺八池から引かれている用水は、私の住んでいるアパートのすぐ近くを流れている。そして鴨川へと合流する。

きれいな紅葉を見ようと辿ったコースだったが、紅葉のある「東海自然道」に出たときにはもう暗くなっていた

さて今日の予定は・・・
2004年11月7日
3時前に目が覚めました。
まだ少しモウロウとしていますが、今日の予定・・・半分以上過ぎてしまいましたが・・・書いておきます。ついでの「オヤツ」のてんまつも・・・。

これからの予定ですが・・・、
先ずこれを書き終える。結構時間がかかるのです。私の場合、チョッと行き詰まると気分転換にメールのチェックなどする、返信の必要があれば返信を書き始める、調べることが出来たら検索する、検索で気になること面白いことに出くわすとそちらに熱中する、TVが面白くなったらそちらの方を見る・・・などなどで寄り道が多いのです。
3時半・・・オセロ、深キョン、小池栄子の「沖縄大人の修学旅行」の番組が始まりました。面白そうなのでまた手が止まるかもしれません。

午後・・・・
 音楽のページ・・・バッハ「マタイ受難曲39番・アリア」(ここで記憶に間違いないか別ウィンドウを開いて確認作業)は、画像と歌詞の一部とでつくるイメージはできているし、素材も用意したし、後は仕上げる段階です。
日記を書いたあと、まずこれを仕上げる。
(TVでイルカが出て来ました。イルカには負けますよね。チョッTVタイム)

夜・・・・・
 ここで散歩が入ります。そして「オヤツ」のてんまつの話の始まり・・・
生協で山崎の「つぶアンドーナツ」を1パック買ったこと、夕方までに食べてしまったことも書きました。
ここ何年と運動らしきことはしていません。新聞の集金で外を歩くことはありましたが、およそ運動とは呼べません。散歩といってもダイエットのための散歩は、早足で歩く「運動」なのです。
その「散歩」に私が出かける決心をしたのですからこれは一大事です。そう決心させるほど私は追い込まれています。
「やるときはやる」・・・今がそのときだと覚悟と決意と根性いれています。
賀茂川に向かって歩き始めました。堤防下を歩こうという狙いです。上賀茂神社、京都産業大学、鞍馬寺に行くときに必ず渡る御薗橋があります。先ず上に・・・上流にある橋まで行って戻る。そして今度は下流の方へ歩く。ここで問題・・・どこまで歩くか・・・大体1時間ほど歩くつもりでした。1時間を早足で散歩・・それ位しないとアンドーナツの分を燃焼できない・・・御薗橋から下流には、上賀茂橋、北山橋、北大路橋、出雲路橋、葵橋があります。
上賀茂橋を右に曲がれば家に戻る道になります。でもそうすれば30分位の時間しかならない距離感・・・北山橋までと歩き始めたのでした。6時過ぎから始めましたから外は真っ暗です。堤防下はいつもなら犬の散歩や運動する人が多いのですが、この時期のこの時間、人は2~3人に会っただけです。
北山橋まで来ましたが、気持ちにケリをつけて戻るには北大路橋までだと思い、そのまま歩き続けました。汗が滲んできました。効果がそろそろ出てきた感じ。このまま家までのことを書く必要もないですね。ともかくこうやって久々の身体を動かし、どうやら眠っていた筋肉の感覚が目を醒ましたようです。
毎日の早足散歩に挑戦します。(足の裏にマメが出来ましたけどね)
夜8時、用事があって外出しました。その帰り・・・空腹感を覚えました。久しぶりに「天下一品」に寄って、「こってりチャーシュー並」を食べました。「こってり」スープの誘惑に負けてしまいました。ま、いいか・・・。

さて予定の続きでした・・・
 メルマガ配送予約・・・
どうにか毎週水曜日発行は続けています。誉めてやってください。

この日記は1500字の字数制限があります。前にもずいぶん削ったことがありました。さて今回は・・・。ハイ・・・ひっかかりました。削らなくてはいけません・・・と言いながら書いていますが。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

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1万字mixi日記にチャレンジしようかな・・・またバカなことを考えている~投稿再開「mixi日記」

2019年05月10日19:49
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
noteにいくつかも記事をまとめて公開している
ほとんどは過去に書いたもの
mixiとかブログとか
Twitterを始めたことで
mixiは利用しなくなった
読み返していると
mixiに書いた日記をブログにまとめていたりする
それをnoteに再掲する作業をしているが
10年ほど前に書いたことなのに
すっかり忘れていた
2:42 - 2019年5月10日

mixiの字数制限について
利用し始めたころにテストしたことがある
タイトルは何文字までとか
今確認できたのは日記だと1万字
noteにまとめる時の目安を1万字にしている
1万字が頭に残って
この数字にチャレンジしたくなった
過去に書いたものをコピーするだけなら
1万字は簡単だが
いざ書くとなると?
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
28 分28 分前

mixiに書いていた時は長文にこだわっていた
長文コンプレックスがあったからで
出来るだけ長く書くことを心掛けた
私は想像力に乏しいと自覚している
物語も書けない
ぐたぐだい意味のないことを書き連ねるだけ
その当時のことすら忘れているくらいだから
長文コンプレックスはどうなったか
忘れている
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
22 分22 分前

過去に書いたものをまとめることに意味はあるのかなど
何事にも意味づけする自分がまだいるが
読み返すことで何かの役にたつと思っている
今からみれがその当時の私にはまだまだエネルギーがあったと思う
その発見だけでも私は嬉しかった
そんな時期があったのかと
少しだが感動もしている
自分ではね
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
22 分22 分前

誰のためでもなく自分のためにしていることだから
人の評価など今では何も気にしないし
そんなことが耳に入ってくることも無い
待ったっく個人的な一人だけの作業
私が言うネットの「一人遊び」
かなり過去のまとめ作業を続けてきて
またぞろ何かやりたいという気になっている
それがmixiの1万字日記だ
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
4 分4 分前

長文にこだわっていた時期のブログへのコメントも
出来るだけ長く書いていた
恐らく常識から外れた行為だったろう
爆弾と呼ばれたこともある
コメントは短くというのが
恐らく常識
私にはその常識すらない
自己中心的で自分の都合で物事を進める
だから親しい人もできない
つくりたいとも思わないけど
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無名居士-Nameless layman
‏ @LaymanNameless
4 分4 分前

書きながら考えをまとめるという私のスタイル
横道にそれ本題がどこにあるのか
自分でさえ見失う
1万字日記にチャレンジするかどうか
書きながら考えている
やれるかどうか
書く材料があるかどうか
そもそもそんな力量はありはしないのだ
でも面白そうな気がしている
気持ち的には小野木になっている
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色々あるな恐怖症・・・病的ではないからまあいいか~投稿再開「mixi日記」

2019年5月10日 20:24
サボテンの
針はこわいが
ウサギ耳

気が付いた
先端恐怖症
なんだ

高所
閉所
恐怖症も
多少あり

誰にでも
苦手怖さは
付き物だ

こんなのも
ヘビクモムカデ
ゾッとする

彼らには
罪は無いとは
思うけど

神様の
することだから
意味はある

嫌うのが
いけないことと
思うけど

なぜ嫌う
なぜ苦手かと
わけ探す

わけなどは
無いのだろうが
探る癖

その癖は
自分のことを
知るためと

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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